李漁『十便十宜』詩 注解・「伊園十便1 耕便」

(内容:清の劇作家である李漁(李笠翁)の有名な「十便十宜詩」の注解。「耕便」。)

李漁『十便十宜』詩

伊園十便 (十の便利さ)

 

「便」は、ここでは便宜上「便利さ」と訳しておくが、便利、利点などの意を表す。住まいが十の観点において、便利であり、好都合であることを歌うのだ。


1.耕便(農耕の便利さ)

 

■原文
山田十畝傍柴関
護緑全憑水一湾
唱罷午雞農就食

何労婦子饁田間


■書き下し文
山田(さんでん)十畝(じつぽ)柴関(さいくわん)に傍(そ)
緑を護(まも)るに全く憑(よ)る水一湾
〔を〕唱へ罷(を)はりて農食に就(つ)
何ぞ労せん婦子の田間に饁(えふ)するを

 

■口語訳
山中の十畝の田畑が柴で作った門の横にある
田畑の緑を護るにはひとくまの川の流れがあればよい
昼を知らせる鶏が鳴き終わると農夫は昼餉に帰宅する
どうして食事を田畑に運ぶのに婦女子の手をわずらわせる必要があろうか(家が近いのだから、食べに帰れば済むことだ)


■注
【山田】
《山の中にある田畑》
「田」は必ずしも水田を指さず、田、畑の両方を指す。

【柴関】
《柴で作った門》
「柴門」と同じ。

【全憑】
《すべてをたのんでいる》
「憑」は「頼む、あてにする」の意。

【水一湾】
《ひとくまの川の流れ》
「水」は川の意か。山の中にある田畑なので、「湾」は「一隈(ひとくま)」、「水一湾」で、川の水のたまった部分を指すと思われる。

【唱罷午
《昼を知らせる鶏が鳴き終わると》
「午」は、昼(正午)を告げる鶏。
「唱罷」は、謂語「唱」+結果補語「罷」の構造で、「罷」は「唱」という動作が終わったことを表している。
構造的には「午鶏」は賓語だから、「午を唱へ罷はる」と訓読すべきところだが、漢詩の性質上、「午唱へ罷はる」と読むべきか。

【何労】
《どうしてわずらわせる必要があろうか》
語気副詞「何」を用いて反語を表す形です。
「労」は、「働かせる・わずらわせる」の意味の動詞。


《農夫の食事を田畑へ運ぶ》
『詩経・七月』に「彼南畝」(彼の南畝にす)とあるのを踏まえた表現。