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■原文
伊園主人結廬山麓、杜門掃軌、棄世若遺。有客過而問之曰、「子離郡索居、静則静矣,其如取給未便何。」主人対曰、「余受山水自然之利、享花鳥慇勤之奉、其便実多、未能悉数、子何云之左也。」客請其目、主人信口答之、不覚成韻。
■書き下し文
伊園主人廬(いほり)を山麓に結び、門を杜(とざ)し軌を掃(はら)ひ、世を棄つること遺(わす)らるるがごとし。客の過(よ)ぎりて之に問ふ有りて曰はく、「子(し)は郡を離れて居を索(もと)む、静かなるは則ち静かならん、其れ取給の未だ便ならざるを如何せん。」と。主人対へて曰はく、「余山水自然の利を受け、花鳥殷勤の奉を享(う)け,其の便なること実に多く、未だ悉(ことごと)くは数ふること能はざるに、子何ぞ之を左(さ)なりと云ふや。」と。客其の目を請ふに、主人口に信(まか)せて之に答へ、覚えず韻を成す。
■口語訳
伊園主人は山のふもとに居を構え、門扉を閉ざし人との付き合いを断ち、世に忘れられたようであった。立ち寄った客人が主人に「あなたは人里を離れて住まいを 求めておられるが、静かなのは静かであろうけれども、そもそもたずきの不便はどうなさるか。」と問いかけると、主人が答えるには「私は山水自然の利、花や 鳥の丁重な心遣いを享受して、その便利さは実に多く、数え切れないほどである。あなたはどうしてそれを不便だなどというのです。」客人がその便利さの項目 を問うと、主人は口にまかせてすらすら答え、知らず韻律をなしていた。
■注
【伊園】
李漁の別荘の名。現在の浙江省金華市蘭渓市付近の永昌街道伊山頭村にあった。
【杜門】
《門を閉ざす。》
「杜」は閉ざす、中にこもるの意。
【掃軌】
《車の跡をなくす。》
人との付き合いを断つの意。「軌」は車の跡。
【棄世若遺】
《世に忘れられたかのようである。》
「遺」は忘れるの意。人事を絶って生活する様子を指す。
「若」は類似を表す動詞で、「棄世」(世を棄てる)が「遺」(人から忘れられる)に類似することを表す。したがって、謂語+賓語からなる主語「棄世」+謂語「若」+賓語「遺」の構造になる。
あるいは、「若遺」を様態補語と考えて、謂語「棄」+賓語「世」+様態補語「若遺」とみなすこともできそうだ。
【過】
《立ち寄る。訪問する。》
【有客過而問之】
《立ち寄って彼に問うものがいた》
「有客。」(客がいる。)と「客過而問之。」(客が立ち寄って彼に問う。)という2つの文が、1つになった兼語式の文。つまり、前文の賓語「客」が同時に後文の主語になっており、これを兼語という。
【離郡】
《人の集まるところを離れ。》
「郡」は「李漁全集」には「群」に作る。『釈名・釈州国』に「郡、羣也、人所羣聚也。」とある。池大雅も行政区画の意味に解していたとは思えない。
【取給】
《たずき。生活の手段。》
【其如~何】
《そもそも~をどうすればよいか。》
ここの「其」は指示語ではなく、「そもそも」ぐらいの意の語気詞で発語の辞として用いる。特に訳出する必要はない。
「如~何」は動詞「如」と代詞「何」からなる連語で、手段・方法を問うが、「~を」にあたる内容(賓語)を「如」と「何」の間に置くのが通例。
【未便】
《不便である。》
ここの副詞「未」は必ずしも「まだ」という意味を表さない。
【対】
《答える。》
面と向かって答えるの意。
【花鳥慇勤之奉】
《花や鳥の丁重な心遣い》
「慇勤」は「李漁全集」には「殷勤」となっている。「丁寧、丁重」の意。「奉」は奉仕の意だが、ここでは美しい花や鳥の声が楽しませてくれることを、花鳥の奉仕と表現したもの。したがって「心遣い」と訳しておいた。
【左】
《不便。》
『春秋左氏伝・昭公四年』に「不亦左乎。」(亦た左ならずや。)とあり、「左、不便也。」という杜預の注がある。
【目】
《条目、項目。》
【信口】
《口にまかせる。》
「信」は、後に伴う賓語の動きにまかせるの意の動詞で、「信手」(手の動くままにまかせる)、「信馬」(馬の歩みにまかせる)などの用法がある。
【成韻】
《韻律をなしていた。》
「韻」は韻文、詩歌。口に任せて述べた言葉がそのままリズムをもって詩歌になっていたということ。