李漁『十便十宜』詩 注解・「伊園十宜5・宜暁」

(内容:清の劇作家である李漁(李笠翁)の有名な「十便十宜詩」の注解。「宜暁」。)

李漁『十便十宜』詩
5.宜暁(明け方によろし)

■原文
開窗放出隔霄雲
近水楼台易得昕
不向池中観日色
但従壁上看波紋

■書き下し文
(まど)を開きて放出すれば霄雲(せううん)を隔つ
水に近き楼台は昕(きん)を得易し
池中(ちちゆう)に向かひて日色を観(み)
(た)だ壁上より波紋を看(み)るのみ

■口語訳
窓を開けて見いだせば雲が遠くに見える
水辺に近い高楼は日の出の時を得やすい
(直接)池に向かって陽の色は見ない
ただ壁面から(壁に映った)波紋を見るだけだ


■注
【放出】
《ほしいままに出る、放たれて出る》
「窗を開き」とあるので、外へ出たわけではなく、窓から外を見出すということであろうか。

【隔霄雲】
「霄雲」は、雲。
構造的には「霄雲を隔つ」と読むべきだが、詩意から「霄雲隔たる」と読んでもよかろう。空の雲は遠く、晴れ渡っている。

【楼台】
《たかどの》
高層の建物。

【易得昕】
《日の出の時を得やすい》
「昕」は、日の出。おそらく日の出の方角に池があって開けていて、日の出の光景をたやすく見ることのできる楼台なのであろう。
「易」は形容詞だが、ここは副詞に活用して「易しいこととして~する」の意。「易得」なら「易しいこととして得る」だから「得やすい」という意味になる。訓読で「易」を返って読む時、つまり返読文字として扱う時というのは、要するに「易」が副詞に活用して後の動詞を修飾している時なのだ。「難」も同じ。

【不向池中観日色】
日の出の時を得やすい楼台ゆえに、朝日は池に光を落としているが、直接水に映った陽の色を見はしないのである。
この形はいわゆる部分否定で、「日色を観る」ことそのものを否定しているわけではない。(事実、第四句において、間接的に見ている。)「池中に向かっては」という条件付きで否定した形なのである。

【但】
限定の範囲副詞。ここでは「ただ~(だけである)」の意。

【従壁上】
《壁面から》
「従」は、「宜秋」の注参照。
「壁上」は、壁の面、土塀の面。壁の上という意味ではない。

【波紋】
池の水に映った朝日が壁に反射して見える水の波紋のこと。