李漁『十便十宜』詩 注解・「伊園十宜3・宜秋」

(内容:清の劇作家である李漁(李笠翁)の有名な「十便十宜詩」の注解。「宜秋」。)

李漁『十便十宜』詩
3.宜秋(秋によろし)

■原文
門外時時列錦屛
千林非復旧時青
一従澆罷重陽酒
酔殺秋山便不醒

■書き下し文
門外時時錦屛(きんぺい)を列す
千林復(ま)た旧時の青に非ず
一たび重陽(ちようやう)の酒を澆(そそ)ぎ罷(をは)りしより
秋山(しうざん)に酔殺(すゐさつ)して便(すなは)ち醒(さ)めず

■口語訳
門の外はその時々に錦の綾をなした屏風が続く
無数の木々ももう昔の緑ではない
ひとたび重陽の酒をそそぎ終わってから
秋の(美しい)山に酔いしれてそのまま醒めることもない


■注
【時時】
《その時その時に》
いわゆる「ときどき」ではない。刻一刻と紅葉のさまが変わるのである。

【錦屛】
《錦の綾をなした屏風》
紅葉に彩られた林が続くさまを喩えたもの。

【千林】
《多くの木々》
もとより「千」は多いという意味である。

【非復】
再現の否定を表す部分否定の形。「もう~ではない」の意。

【従】
介詞。場所や時の起点を示し、「自」に同じ。介詞句「従澆罷重陽酒」が、次句の謂語「酔殺」「不醒」を連用修飾する。

【澆罷】

《注ぎ終わる》
 「澆」は、そそぐの意。水をそそぎめぐらす。十分にそそぐというのではなく、むらなく薄く水をかけるというのが本来の意味なので、ここでは重陽の酒をなみなみとつぐのではなく、うすく杯にそそぐ程度の入れ方である。
「罷」は動詞(ここでは「澆」)について、「~しおえる、~しおわる」の意を表す結果補語。

【酔殺】
《強く酒に酔わせる》
「殺」は形容詞や動詞(ここでは「酔」)の後に置いて意味を強める程度補語で、殺すという意味ではない。「悩殺」などがその例。

【酔殺秋山】
「秋山を酔殺す」と読んでは意味をなさない。酔いしれるのはあくまで重陽の酒を飲むひとであって、酒の酔いと秋山の美しさに二重に酔いしれるのである。

【便】
副詞。前の行為に近接して次の行為が起こることを表し、「即」に同じく「すぐに」などの即時を表すが、ここでは「重陽の酒と秋山の美に酔いしれるともうそのまま」ぐらいの意味で用いられている。