李漁『十便十宜』詩 注解・「伊園十宜2・宜夏」

(内容:清の劇作家である李漁(李笠翁)の有名な「十便十宜詩」の注解。「宜夏」。)

李漁『十便十宜』詩
2.宜夏(夏によろし)

■原文
繞屋都将緑樹遮
炎蒸不許到山家
日長間却羲皇枕
相対忘眠水上花

■書き下し文
屋を繞(めぐ)りて都(すべ)て緑樹を将(もつ)て遮(さへぎ)
炎蒸(えんじよう)山家に到るを許さず
日は長くして羲皇(ぎくわう)の枕を間却(かんきやく)
相対して眠りを忘る水上の花

■口語訳
家の周りはぐるりと緑樹によって遮られ
蒸し暑さも山中の家に入ることを許さない
夏の日は長く羲皇の枕もなんのその
水辺の花を見れば眠ることを忘れてしまう


■注
【繞】
「浣濯便」に前出。ここでは家屋に沿って緑樹が取り囲んでいるのである。

【都】
《すべて》
現代中国語でよく用いられる範囲副詞。

【将】
「以」に同じ。ここでは「~によって」の意の介詞。介詞句「将緑樹」が謂語「遮」を連用修飾する構造。白居易の『長恨歌』に「唯将旧物表深情」(唯だ旧物を将て深情を表す)とあるのも同じ用法。

【炎蒸】
《蒸し暑さ》

【間却】
《棄てて顧みない、どうでもよいと思う》
「間」は「閑」に通じ、本来はどうでもよいさまを表す形容詞。後に「~してしまう」の意の結果補語「却」を伴って動詞に転じたものか。

【羲皇枕】
「羲皇」は、上古の帝王伏羲(ふくぎ)の尊称。
『陶淵明集・与子儼等疏』に「常言五六月中、北窗下臥、遇涼風暫至。自謂是羲皇上人」(常に言ふ五六月中、北窗の下に臥し、涼風暫(しばら)く至るに遇ふ。自ら是れ羲皇上人と謂ふ。)とあり、陶淵明は盛夏の窓辺でまどろむ中、涼風に吹かれる心地よさに、自らを「羲皇上人」とした。「羲皇上人」とは、礼法の生まれる以前、すなわち伏羲氏以前の人を指し、太古の人民、世の雑事を忘れて安逸に過ごす民人である。
この表現を踏まえて、明の陳献章(ちんけんしょう)が『陳献章集・対鶴二首・其一』に「悠然清唳外,一枕到皇羲。」(悠然たる清唳(せいれい)の外、一枕皇羲に至る。)と表現した。ゆったりとした鶴の声を聞きながら一眠りすれば羲皇上人の境地に至るということであろうが、「羲皇枕」という表現はこれらの典故を踏まえたものと考えられる。
「間却羲皇枕」は、以上の表現を逆手にとったもので、盛夏にあっても涼やかな窓辺で一眠りすれば、安逸な気分を味わえるというのを、もともと緑樹に守られ涼しい家にあっては、むしろ眠るを要せず、ひねもす水辺の花を観賞して時を忘れると表現したのである。

【相対】
「対」は向かうの意。互いに向かい合うのではなく、水辺の花に向かうのである。(「相」の意味については、「宜春」注を参照。)