李漁『十便十宜』詩 注解・「伊園十宜1・宜春」

(内容:清の劇作家である李漁(李笠翁)の有名な「十便十宜詩」の注解。「宜春」。)

李漁『十便十宜』詩
伊園十宜  (十のよろしさ)

 
「宜」とはよろしさの意であるが、住まいが十の観点でそのことに向いていることを表す。本来「十二宜」であったが、二編は伝わっていない。


1.宜春(春によろし)

■原文
方塘未敢擬西湖
桃柳曾栽百十株
只少楼船載歌舞
風光原不甚相殊

■書き下し文
方塘(はうたう)未だ敢へて西湖に擬(ぎ)せず
桃柳(たうりう)(かつ)て百十株を栽(う)
(た)だ楼船(ろうせん)の歌舞を載(の)するを少(か)きて
風光は原(もと)より相殊(こと)ならず

■口語訳
(我が家の)四角な池を西湖になぞらえようとは思わないが
桃や柳の木百十株を植えたことがある
ただ歌舞をのせた楼船がないだけで
ながめの美しさはもともとさほどには異ならない


■注
【方塘】
《四角な池》
「方」は「円」に対して四角を表す。

【未敢】
《(無理に)~しようとはしない、~しようとは思わない》
「敢」は、無理や危険をおして~しようとするという意の助動詞。「未敢」は「不敢」の婉曲的な表現。「不敢」を、決して~しないと訳す向きがあるが、誤りである。

【擬】
《なぞらえる》
上位のものと比較して真似をするの意。

【西湖】
淅江省杭県にある湖の名。景勝地として名高い。

【桃柳】
《桃と柳の木》
いずれも中国人が春の季節に愛する樹木。日本では春に桜を愛するが、中国では桃が中心。また、大陸にある中国では、遠方の地に旅立つ人も多く、柳の枝を折って(折楊柳)はなむけにしたという習慣があり、厳寒の季節を終えて旅立つ季節である春に、柳の木は愛された。

【曾】
《以前~したことがある》
「嘗」に同じで、過去の経験を表す時間副詞。

【桃柳曾栽百十株】
前句を踏まえて、景勝の地である西湖になぞらえるほどのだいそれた思いはないものの、せめてもと桃柳百十株を植えてみたという流れになる。謙虚な言い回しを用いてはいるが、作者にそれなりの自負があることは、四句めに明らかである。

【只少】
《ただ欠くだけだ》
「只」は限定の範囲副詞。
「少」は「欠く」の意で、動詞である。
「只」は直接「少」を修飾しており、本来「只だ楼船の歌舞を載するを少くのみ」と訓読すべき構文である。

【楼船】
高さ十余丈(約30m強)もあるやぐらをもつ船で、もともとは戦争に用いられた。ここでは遊興のための船である。

【歌舞】
《歌と舞い》
ここでは、歌手や楽器、その演奏者、舞人をさす。楼船を彩るはなやかな装いである。

【風光】
《景色》

【原】
「源」に通じ「本」の意。もともと、本来の意の副詞。

【不甚相殊】
《それほど(西湖には)異ならない》
「不甚~」の形で、「それほど~するわけではない」の意の、いわゆる部分否定。
「相」は対象があることを示す。ここでは、方塘が西湖に対してさほど異ならないと解する。
「殊」は「異」に通じ、異なるの意。