李漁『十便十宜』詩 注解・「伊園十便10・眺便」

(内容:清の劇作家である李漁(李笠翁)の有名な「十便十宜詩」の注解。「眺便」。)

李漁『十便十宜』詩
10.眺便(眺める便利さ)

■原文
叱羊仙洞赤松子
一日双眸数往還
猶自未窮千里目
送雲飛過括蒼間

■書き下し文
羊を叱(しつ)す仙洞の赤松子(せきしようし)
一日(いちじつ)双眸(さうぼう)(しばしば)往還(わうくわん)
猶ほ自(みづか)ら未だ千里の目を窮(きは)めず
雲を送りて飛過(ひくわ)す括蒼(くわつさう)の間(かん)

■口語訳
羊を叱りつける仙洞の赤松子
(そんな光景を)一日、両の瞳は何度も見遣られてしまう
なお自分ではまだ千里かなたまでの眺望を見窮め得たとは思えず
目は雲を追っては括蒼山(のような山)のあたりへと飛びゆくのだ


■注
【叱羊仙洞赤松子】
「赤松子」は、晋代、丹渓(たんけい)の人、皇初平(こうしょへい)のこと。仙人の道を修得して五百歳まで生きたという。太古、神農(しんのう)の時代の伝説上の雨師赤松子と同名のため間違われやすいが、まったくの別人である。
『太平広記』が引く葛洪(かつこう)の書『神仙伝』の記述によれば、家に命じられて羊を牧していた折、道士に見出され、金華山の石室に連れていかれたという。四十年間家に帰ることを考えなかったが、兄の皇初起(こうしょき)が山中に探し求め、無事再会した。その時、初平がかつて牧していた羊のありかを、兄が問うたところ、山の東にいると言ったため、兄は見に行ってみたが、ただ白い石があるだけであった。羊などいないという兄のことばに、初平は「羊はいるのです、兄さんには見えないだけです。」と答え、兄を連れてその石を見に行った。初平が白石に向かって、「羊よ、立て。」と叱りつけると、白石はみな羊に変じて数万頭になったという。「赤松子」というのは、初平が後に字(あざな)を赤松子と改めたことによる。
この第一句は、羊飼いがたくさんの羊を牧する光景が雄大に広がっていることを表現したものであろう。

【双眸】
《両の瞳》
「眸」は瞳のことで、目玉の黒い部分を指す。

【数】
《しばしば》
頻度を表す副詞。

【往還】
《行き来する》
「双眸数往還」で、両の瞳は何度も行ったり来たりするの意。眺めのよさのゆえに思わず何度も何度も見てしまうということだ。

【未窮千里目】
唐、王之渙(おうしかん)の有名な詩『登鸛鵲楼』(鸛鵲楼に登る)によった表現。
白日依山尽、黄河入海流。
欲窮千里目、更上一層楼。
(白日山に依りて尽き、黄河海に入りて流る。千里の目を窮めんと欲して、更に上る一層の楼。)
(輝く太陽は山に寄り添うように沈みゆき、黄河は海をめざして流れていく。私はもっと遥か遠くまで見極めようと思って、更にこの楼閣をもう一階上へと登っていく。)

【送雲飛過】
よくわからぬが、視線が雲を追って飛びゆくの意か。

【括蒼】
淅江省仙居県の東南にある実在の山の名前。しかし、この山は『神仙伝』にも見え、仙境に住む気持ちをうたう作者がイメージしたものか。実際にこの山を見たというわけではあるまい。