『中山狼伝』注解6
『中山狼伝』注解6■原文(1)狼愈急、(2)望見老牸曝日敗垣中、謂先生曰、「(3)可問是老。」先生曰、「(4)曏者草木無知、(5)謬言害事。(6)今牛禽獣耳。(7)更何問焉。」狼曰、「(8)第問之。(9)不問、将咥汝。」先生不得已、揖老牸、(10)再述始末以問。(11)牛皺眉瞪眼、(12)舐鼻張口、(13)向先生曰、「(14)老杏之言不謬矣。(15)老牸繭栗少年時、(16)筋力頗健。(17)老農売一刀以易我、(18)使我貳群牛事南畝。(19)既壮、(20)群牛日以老憊、(21)凡事我都之。(22)彼将馳駆、(23)我伏田車、(24)択便途以急奔趨。(25)彼将躬耕、(26)我脱輹衡走郊坰以闢榛荊。(27)老農視我猶左右手。(28)衣食仰我而給、(29)婚姻仰我而畢、(30)賦税仰我而輸、(31)倉庾仰我而実。(32)我亦自諒可得帷席之敝如馬狗也。(33)往年家儲無担石、(34)今麦秋多十斛矣。(35)往年窮居無顧藉、(36)今掉臂行村社矣。(37)往年塵巵罌、(38)涸唇吻、(39)盛酒瓦盆、(40)半生未接、(41)今醞黍稷、(42)拠樽罍、(43)驕妻妾矣。(44)往年衣短褐、(45)侶木石、(46)手不知揖、(47)心不知学、(48)今持兎園冊、(49)戴笠子、(50)腰韋帯、(51)衣寛博矣。(52)一糸一粟、皆我力也。(53)顧欺我老弱、(54)逐我郊野。(55)酸風射眸、(56)寒日弔影、(57)痩骨如山、老涙如雨。(58)涎垂而不可収、(59)足孿而不可挙。(60)皮毛倶亡、(61)瘡痍未瘥。(62)老農之妻妒且悍、(63)朝夕進説曰、『(64)牛之一身無廃物也。(65)肉可脯、(66)皮可[$File1]、(67)骨角可切磋為器。』(68)指大児曰、『(69)汝受業庖丁之門有年矣。(70)胡不礪刃硎以待。』(71)跡是観之、(72)是将不利於我、(73)我不知死所矣。(74)夫我有功、(75)彼無情乃若是、(76)行将蒙禍。(77)汝何徳於狼、覬幸免乎。」(78)言下、(79)狼又鼓吻奮爪以向先生。先生曰、「(80)毋欲速。」■訓読狼愈(いよいよ)急にして、老牸(らうし)の日に敗垣(はいゑん)の中に曝(さら)すを望見し、先生に謂ひて曰はく、「是の老に問ふべし。」と。先生曰はく、「曏者(さき)に草木知無くして、言を謬(あやま)り事を害(そこな)ふ。今牛は禽獣(きんじう)のみ。更に何をか焉(これ)に問はん。」と。狼曰はく、「第(た)だ之に問へ。問はずんば、将に汝を咥(か)まんとす。」と。先生已むを得ず、老牸に揖(いふ)し、再び始末を述べて以て問ふ。牛眉に皺(しわ)よせ眼を瞪(みは)り、鼻を舐(な)め口を張り、先生に向かひて曰はく、「老杏(らうきやう)の言は謬(あやま)らず。老牸繭栗(けんりつ)にして少年の時、筋力頗(すこぶ)る健(すこ)やかなり。老農一刀を売りて以て我に易(か)へ、我をして群牛を貳(たす)け南畝(なんほ)に事とせしむ。既に壮(さう)たりて、群牛日に以て老憊(らうはい)し、凡事(ぼんじ)我之を都(す)ぶ。彼将に馳駆(ちく)せんとすれば、我田車(でんしや)を伏(ふく)し、便途(べんと)を択びて以て急ぎ奔趨(ほんすう)す。彼将に躬(みづか)ら耕さんとすれば、我輹衡(ふくかう)を脱し郊坰(かうけい)に走りて以て榛荊(しんけい)を闢(ひら)く。老農我を視ること猶ほ左右の手のごとし。衣食我に仰ぎて給し、婚姻我に仰ぎて畢(をは)り、賦税(ふぜい)我に仰ぎて輸(いた)し、倉庾(さうゆ)我に仰ぎて実(み)つ。我も亦た自ら帷席(ゐせき)の敝(へい)を得ること馬狗(ばこう)のごとくなるべしと諒(りやう)するなり。往年家の儲(たくは)へ担石(たんせき)無きに、今麦の秋(みの)りは十斛(じつこく)より多し。往年窮居(きゆうきよ)して顧藉(こしや)するもの無きに、今臂(ひぢ)を掉(ふる)ひて村社に行く。往年巵罌(しあう)を塵(けが)し、唇吻(しんぷん)を涸(か)らし、酒を瓦盆(ぐわぼん)に盛るは、半生未だ接せざるに、今黍稷(しよしよく)を醞(かも)し、樽罍(そんらい)を拠(と)りて、妻妾(さいせふ)に驕(おご)れり。往年短褐(たんかつ)を衣(き)、木石を侶(とも)とし、手は揖するを知らず、心は学ぶを知らざるに、今兎園冊(とゑんさつ)を持ち、笠子(りふし)を戴(いただ)き、韋帯(ゐたい)を腰にし、寛博(くわんはく)を衣る。一糸一粟(いちぞく)、皆我が力なり。顧(かへ)つて我が老弱を欺(あなど)り、我を郊野に逐(お)ふ。酸風眸(ひとみ)を射、寒日影を弔(とむら)ひ、痩骨(そうこつ)山のごとく、老涙雨のごとし。涎(よだれ)垂れて収むべからず、足孿(つ)りて挙ぐべからず。皮毛俱に亡び、瘡痍(さうい)未だ瘥(い)えず。老農の妻は妒(と)にして且つ悍(かん)なり、朝夕(てうせき)に説を進めて曰はく、『牛の一身に廃物無きなり。肉は脯(ほじし)とすべく、皮は[$File2](かく)とすべく、骨角は切磋(せつさ)して器(き)と為すべし。』と。大児(たいじ)に指(さ)して曰はく、『汝業を庖丁(はうてい)の門に受けて年有り。胡(なん)ぞ刃(やいば)を硎(けい)に礪(と)ぎて以て待たざる。』と。是を跡(たづ)ねて之を観(み)るに、是れ将(は)た我に利あらず、我死する所を知らず。夫(そ)れ我に功有りてすら、彼の情無きこと乃ち是くのごとく、行(ゆくゆく)将に禍ひを蒙(かうむ)らんとす。汝何ぞ狼に徳ありて、免(まぬか)るるを覬倖(きかう)するや。」と。言下にして、狼又た吻(ふん)を鼓(こ)し爪を奮(ふる)ひて以て先生に向かふ。先生曰はく、「速(すみや)かにせんと欲する毋(な)かれ。」と。■訳狼はますます(腹が減って)さし迫り、老いた雌牛が壊れた垣の中で日にあたっているのをはるかに見て、先生に言った、「このお年寄りに問え。」先生は言った、「さっき草木が知見もなくでたらめを言い、大事をぶち壊した。今牛は動物に過ぎない。さらにそんなものに何を問うんだ。」狼が言った、「黙ってこれに問え。問わなければ、お前に噛みつくぞ。」先生はしかたがなく、老いた雌牛に会釈し、ふたたびいきさつを述べて問いかけた。牛は眉をしかめ目を見張り、鼻をなめ口を広げ、先生に向かって言った、「老杏の言葉は間違ってないわ。婆さん牛(の私)がつのが生えたばかりで若かった頃、筋力はとても健やかだった。老農夫は刃物一本を売って私に換え(=私を買い)、牛たちを助け南の畝で仕事をさせた。壮年になってからは、牛たちは日に日に老いぼれて、すべての仕事は私が一手に引き受けた。彼が速く走りたいと思う時は、私は狩猟用の車をつけ、よい道を選んで急ぎ走った。彼が自分で耕そうとすれば、私は車をはずし郊野に走って荒れ地を開墾した。老農夫は私をまるで左右の手のように見ていた。衣食は私のおかげで満ち足りて、婚姻は私のおかげで滞りなく終わり、納税は私のおかげで納め、食糧倉庫は私のおかげで満ちた。私も馬や犬のようにとばりやむしろで雨風をしのげる場所を得られると信じていたのよ。昔家の蓄えは一石ほどのわずかな量もなかったのに、今麦の収穫は十斛以上あるわ。昔は家に閉じこもって誰も気にかけてくれる人もいなかったのに、今は大手を振って村へ出かけていくのよ。昔は酒杯や酒瓶に塵がつもり、(酒が飲めないので)口が渇くありさまで、酒を器に注ぐなんて、それまでの人生で経験したこともなかったのに、今はもちきびやうるちきびを醸して、酒器を手に持ち、妻妾に偉そうにしているわ。昔は丈の短い麻布の衣服を着て、木や石をつれあいにし、手は会釈することも知らず、心は学問を知らなかったのに、今は兎園冊を手にして、笠をかぶり、なめし革の帯を腰につけ、ゆるやかな衣服を着てるのよ。一本の糸もひとつの粟も、みんな私の力だわ。それなのに(今)、私が老い衰えたことを馬鹿にして、私を郊野に放逐した。冷たい風が瞳を射抜き、真冬の太陽は(寂しく私を照らし出して)わが身の孤独をあわれみ、痩せた骨ばかりの体は連なる山のようだし、老いて流す涙はまるで雨のよう。涎は垂れて収めようもなく、足はひきつって上げることもできない。皮も毛もどちらもなくなって、傷跡はまだ癒えない。老農夫の妻は嫉妬深くて、また荒々しく、朝夕進言して、『牛の一身には棄てる部分はないわ。その肉は干し肉にできるし、皮は毛を除いた皮にできるし、骨や角は磨いて器具にできる。』なんて言う。長男に指図して、『お前は料理人の門で何年も学んだのよ。包丁を砥石で研いで用意したらどう。』と言う。このことからつらつら考えると、どうにも私にとって巡り合わせが悪そうだし、私はどんな死に方をするんだかわからないわ。そもそも私に手柄があってすら、彼の思いやりのないことはなんともこんなありさまで、いずれ禍いに遭うでしょう。(ましてそれにくらべて)あんたはいったい狼にどんな恩恵があって逃れることを望むわけ。」(雌牛が)言い終わるや、狼はまた口先を突き出し爪を立てて先生に向かった。先生は言った、「早まろうとしてはいけない。」■注(1)【狼愈急】「愈」は、いよいよ、ますますの意の副詞。程度がさらに強まる意を表す。「急」は、差し迫ったさまを表す形容詞。飢えの度合いが強まったのである。古今説海本は、「狼愈饞甚」(狼愈饞(むさぼ)ること甚だしく)に作る。「狼はますますひどく食欲が増し」の意。(2)【望見老牸曝日敗垣中】「望見」は、はるか遠くに見るの意。「老牸」は、老いた雌牛。「牸」は雌の牛のこと。「曝」は、日にあたるの意。「敗垣」は、壊れた垣の意。「敗」は、壊れ、くずれた様を表す形容詞。「老牸曝日敗垣中」は謂語「曝」の後に賓語「日」「敗垣中」が置かれた構造。介詞を用いて「老牸曝日於敗垣中」とすれば、わかりやすい。(3)【可問是老】4の(5)に既出。(4)【曏者草木無知】「曏者」は、過去を表す時間副詞。さきほど。「さきニ」と読む。遠い過去も、比較的近い過去も表す。ここでは後者。「曩者」「向者」も同じ。「者」は、「今」や「昔」などの時間副詞の後に置かれ、「今者」「昔者」などとなる語綴助詞、すなわち接尾語。強意や停頓の語気を表す。古今説海本は、「向者草木無知」(向者(さき)に草木知無くして)に作る。意味は同じ。(5)【謬言害事】「謬」は、誤る、間違えるの意。「誤謬」という言葉がある。「謬言」とはでたらめを言うの意。「害」は、傷つける。「害事」とは、大事をぶち壊しにするの意。(6)【今牛禽獣耳】「禽獣」は、鳥や獣の意だが、ここでは獣の意。「禽」一字が動物を指すこともある。「耳」は限定の語気詞。「而已」二字分の兼詞(縮約語)。ここでは、~に過ぎないと訳す。古今説海本は、「今牛又禽獣耳」(今牛又た禽獣のみ)に作る。前回は知見のない草木であったが、今回はまたしても人知のない禽獣だというのである。(7)【更何問焉】「更」は、また、ふたたびの意の副詞。「焉」は代詞。老牸を指す。(8)【第問之】5の(9)に既出。(9)【不問、将咥汝】複文。前句が条件を表し、後句が結果を表す。「咥」は、かむの意。「将咥汝」は、「将」が将来を表す時間副詞なので、「お前をかむぞ」でも「お前をかむだろう」でもよいが、「ちょうどお前をかもうとする」だの「今にもお前をかみそうだ」など、妙な訳をしないこと。古今説海本は「不問、将咥汝矣」に作り、「将」と呼応して将来を表す語気詞「矣」を添える。訳は同じでよい。(10)【再述始末以問】「再」は、ふたたびの意の副詞。繰り返すことを表す。「述始末」は、5の(13)に既出。「以」はここでは「而」に同じく連詞。承接を表す。古今説海本は、「再述其始末以問曰、狼当食我邪」(再び其の始末を述べて以て問ひて曰はく、狼当に我を食らふべきか)に作る。「ふたたびことの顛末を述べて問いかけて言った、狼は私を食べるべきでしょうか」の意。(11)【牛皺眉瞪眼】「皺眉」は、眉をひそめる。「皺」は、しわよせるの意の動詞。「瞪眼」は、目をみはる、直視する。「瞪」は「瞠」に同じ。古今説海本は、「牛皺眉瞠目」(牛眉に皺よせ眼を瞠(みは)り)に作る。(12)【舐鼻張口】「舐」は、舌でなめる。「張」は、ここでは口を広げるの意。(13)【向先生曰】「向」は、~に対しての意の介詞。「向先生曰」は、先生に言うの意。ただし、もともと面と向かうという意味の動詞なので、東郭先生の方を向いて言ったのである。古今説海本は、「向先生作人言曰」(先生に向かひて人の言を作(な)して曰はく)に作る。「先生に対して人のことばを話して言う」の意。また、その後に、「是当食汝」(是れ当に汝を食らふべし)の文あり。「これはお前を食べるべきだ」の意。(14)【老杏之言不謬矣】「之」は結構助詞。5の(27)参照。連体修飾の関係で「老杏」が「言」(ことば)を修飾することを示す。「矣」は、判断を表す語気詞。古今説海本には、この句なし。(15)【老牸繭栗少年時】「繭栗」は、子牛の角が生えたばかりの様子。『漢書・礼楽志』の「牲繭栗、粢盛香」(子牛、器にもった穀物)につけた顔師古の注に「言角之小、如繭及栗之形也」(角が小さいことが、繭や栗の形に似ることをいう)とある。古今説海本は、「我頭角繭栗時」(我が頭角繭栗の時)に作る。「私の頭の角が繭栗の(ような)時」の意。(16)【筋力頗健】「頗」は、たいへん、とてもの意の程度副詞。「健」は、すこやかである、たくましい、壮健であるの意の形容詞。古今説海本は、「觔力頗健」に作る。「觔」は「筋」に同じ。(17)【老農売一刀以易我】「以」は連詞。「而」以上に介詞としての「そうすることで」というニュアンスを残しているかもしれぬが、訳さなくてもよい。「易」は、交換するの意の動詞。日本での音は「エキ」。やさしいの場合は「イ」である。杏の老木の話で「費一核耳」とあったことから、ここの「売一刀」というのも、「たかだか刃物一本を売って」ぐらいの、安価な交換であることをいう。古今説海本は、「売一刀以易我」の句なく、「老農鍾愛我」(老農我を鍾愛し)に作る。「老農は私をことのほか可愛がり」の意。(18)【使我貳群牛事南畝】「貳」は、補佐するの意の動詞として用いられているか。「貳」は本来「副」を意味し、そこからの引申義であろうかと思う。あるいは、『玉篇』に「並也」とあることから、「他の牛と並んで」と解することもできそうだ。牛たちを補助するというのは、語法的には矛盾なく説明できるが、イメージがわきにくい。後者の方がよいのかもしれぬ。「事」は、従事するの意の動詞。「ことトス」と読む。「南畝」は、南の畑地。南向きなので、農作物の生育に適するのだ。つまり老農は一番大事な耕作地で働かせたことになる。この文は使役の兼語文で、「(老農)使我」(老農が私を使役する)と「我貳群牛事南畝」(私は牛たちを助けて(または、牛たちと並んで)南の田地で仕事する)の二文が兼語「我」を介して一文になったもの。古今説海本は、「使貳群牛従事於南畝」(群牛を貳け南畝に従事せしむ)に作り、兼語「我」を欠き、「於南畝」と介詞句にする。(19)【既壮】「既」は、動作行為や状況が出現し終えていること完結していることを表す時間副詞。「壮」は、成長する、大人になるの意の動詞。したがって、「既壮」は、大人になってからはの意。(20)【群牛日以老憊】「日以」は、日に日にの意。「以」は連詞で、副詞的修飾語と謂語を結ぶ働きをする。ここでは、「日以」が連用修飾句として謂語「老憊」を修飾する。なくとも意味は通じ、「日老憊」でも「日に老憊し」と読んで、意味は同じ。「老憊」は老い衰えたさまを表す形容詞で、ここでは動詞に活用している。「老衰」に同じ。(21)【凡事我都之】「凡事」は、すべてのこと。「凡」は、すべての意。通常は副詞として用いられるが、ここでは連体修飾語として用いられている。「都」は、統べる、統率するの意。「みやこ」の意からの引申義である。ここでは群牛を統率したというより、老い衰えた群牛の仕事を一手に引き受けたの意。「之」は代詞、直前の「凡事」を指す。古今説海本は、「我都其事」(我其の事を都ぶ)に作る。「私が彼ら(=老い衰えた群牛)の仕事を一手に引き受けた」の意。(22)【彼将馳駆】「彼」は代詞。老農を指す。「将」は、将来を表す時間副詞だが、「近い将来~しようと思う」という心づもりや意思を表す、助動詞的な意味ももつ。「馳駆」は、早く走るの意。(23)【我伏田車】「伏」は、「服」に通じ、(車を)つける、つなぐの意。「田車」は、狩猟用の車。(24)【択便途以急奔趨】「便途」は、都合のよい道。老農が狩猟をするのであれば、それにふさわしい道筋。近道などをいう。「便」は、都合がよい、適切だの意の形容詞。「途」は、道、または道筋の意。「以」は「而」に同じで、連詞。「奔趨」は、走るの意の動詞。古今説海本は、(23)(24)を「老農出、我駕車先駆」(老農出づるに、我車を駕して先に駆け)に作る。「老農が出かけるときには、私は車をつないで先導し」の意。(25)【彼将躬耕】「彼」「将」は(22)参照。「躬」は、自分で、自分自身での意の副詞。(26)【我脱輹衡走郊坰以闢榛荊】「脱輹衡」は、車を体からはずすの意。「輹」は、車の車軸と車軸受けを固定する綱。「衡」は、車の前部の牛や馬にかける横木。要するに、「輹衡」で車を指し、牛が自分につながれた車をはずすのである。「郊坰」は、郊外、郊野の意。「以」は連詞。「闢」は、開く、開墾するの意。「榛荊」は、荒れ果てた野。「榛」は、はしばみ、「荊」はいばらの意だが、ここでは「榛荊」と熟して、叢木、やぶを指す。古今説海本は、(25)(26)を「老農耕、我引犁効力」(老農耕すに、我犁(すき)を引きて力を効(いた)す)に作る。「老農が耕すときには、私はすきを引いて力を尽くした」の意。(27)【老農視我猶左右手】「視」は、見る。「猶」は、似るの意の動詞だが、後述するように、「猶左右手」(左右の手に似る→左右の手のように)の句が補語成分になっている。訓読では「なホ~ごとシ」と再読するが、「ちょうど~のようだ」などと必ず二度にわけて訳さなければならないものではない。「猶左右手」は、『孫子・九地』に、「夫呉人与越人相悪也、当其同舟而済而遇風、其相救也、如左右手」(そもそも呉の人と越の人は互いに憎みあっているが、同じ舟に乗って風にあえば、彼らが助け合うのは、左右の手のようである)とあるのに基づく。左手と右手は人が最も自由にできるものであることから、それを動かすのと同じく自然に助け合うの意。そこから転じて、なくてはならない助けを指すようになった。ここでは、「老農は私をなくてはならぬ大切な助けと見ていた」ということ。この文は、主語「老農」+謂語「視」+賓語「我」+補語「猶左右手」の構造。「猶左右手」が、謂語「視」を後置修飾する形。したがって、「老農は私を左右の手のように見た」という意味。古今説海本は、「老農視我如左右手」(老農我を視ること左右の手のごとし)に作る。「如」も「猶」と同じ。(28)【衣食仰我而給】「仰」は、頼るの意。「仰我」は、私のおかげでぐらいの意。「給」は、満ち足りるの意。「衣食」が主題主語として句頭に置かれているために、このように解したが、本来は「給衣食」(衣食を満ちたらせる)の意であると考えれば、わかりやすい。この句、「仰我」が連詞「而」と共に連用修飾句を構成し、謂語「給」を修飾する構造。古今説海本は、「一歳中衣食仰我而給」(一歳の中(うち)衣食我を仰ぎて給し)に作る。「一年のうち衣食は私のおかげで満ち足り」の意。(29)【婚姻仰我而畢】「畢」は、終わるの意。無事に終わる、完結するということ。ここも「畢婚姻」(婚姻を無事終わらせる)であるが、その賓語「婚姻」が主題主語として句頭に置かれているため、自動詞で訳した。(30)【賦税仰我而輸】「賦税」は、租税、年貢。「輸」は、(税を)納めるの意。ここも「輸賦税」(租税を納める)が本来の意味。(31)【倉庾仰我而実】「倉庾」は、穀物を保管する倉庫。露天のものを「庾」という。屋根のない倉庫という説もある。ここでは「倉庾」で、要するに倉庫である。「実」は、満ちるの意。この場合は「実倉庾」とするよりは、「倉庾実」の方がよい。(28)~(31)は、牛が直接輸送や労役などで関わった部分もあるだろうが、総じて牛のおかげで老農の家が経済的に潤ったことをいうのである。この(31)以降、(52)までは、古今説海本に該当する表現がない。(32)【我亦自諒可得帷席之敝如馬狗也】「亦」は、前項と同様であることを表す副詞。~もまたの意。老農が自分のおかげで経済的に潤ったと感謝しているはずであるのと同様に、自分もまたということである。「諒」は、信じるの意の動詞。以下の「可得帷席之敝如馬狗」がその賓語、すなわち信じる内容になる。「可」は可能の助動詞。「可得」で、得ることができるの意。「帷席」は、部屋を覆う帳とむしろ、転じて寝起きできる場所を指す。「敝」は「蔽」に通じ、遮蔽物をいう。「帷席之敝」とは、要するに雨風のしのげる環境のこと。「馬狗」は、馬と犬。「如馬狗」は補語で、謂語「可得」を後置修飾し、「馬や犬のように得ることができる」の意味で用いられている。「也」は、断定の語気を表す語気詞。(33)【往年家儲無担石】「往年」は、既出。5の(18)参照。「家儲」は、家の蓄え。「担石」は、一担一石程度のわずかな量。「担」はもと容器の名で、転じて百斤、または一石の量を表すようになった。『東観漢記・呉祐伝』に「(呉祐)年二十喪父独居、家無担石、而不受贍遺」((呉祐は)二十歳で父を亡くし一人で生活し、家にはわずかな蓄えもなかったが、他者の施しを受けなかった)とある。ここから「家無担石」という言葉が生まれた。「家儲無担石」は存在文で、構造上の賓語である「担石」が意味上の主語となり、構造上の主語「家儲」がその存在しない範囲を表している。(34)【今麦秋多十斛矣】「麦秋」は、麦の実り。「秋」は、収穫、実りの意。「多」は、勝るの意の動詞。~よりも多いということ。「斛」は、容量の単位。一升の100倍。(35)【往年窮居無顧藉】「窮居」は、本来隠居して出仕しないことをいうが、ここでは家に閉じこもるの意。「顧藉」は、気にかける、気遣うの意。ここでは老農を気にかけてくれる人の意。(36)【今掉臂行村社矣】「掉」は、振る。「臂」は腕。「掉臂」は、腕を振る、つまり大手を振っての意。「村社」は、村のこと。「矣」は、判断を表す語気詞。(37)【往年塵巵罌】「塵」は、ちりの意の名詞が動詞に活用して、塵で汚すの意。「巵」は、「卮」と同じ。持ち手のついた、いわゆるジョッキの形状の酒器。「罌」は、酒をいれるかめ。酒瓶。「塵巵罌」とは、要するに酒がないために、酒を入れるかめも酒器も塵がつもっているというのである。(38)【涸唇吻】「涸」は、(水を)からす。本来は水が乾いた状態を表す形容詞だが、動詞に活用している。「唇」も「吻」もくちびるの意。「涸唇吻」とは、酒が飲めないので、口が渇くのである。(39)【盛酒瓦盆】「盛」は、(器に)盛り入れる、ここでは酒を注ぐの意。「瓦盆」は、素焼きのかめ。酒を入れるためのもの。「盛酒瓦盆」は、後の「半生未接」に対して主題主語となる名詞句。つまり「酒を素焼きのかめに入れること」の意。(40)【半生未接】「半生」は、人生の半分、つまりこれまでの人生の意。「未接」は、まだ接しない、経験しないの意。「未」は、未実現を表す否定副詞。「接」は、近づく、触れるの意。ここでは、主題主語「盛酒瓦盆」についての説明で、酒を素焼きのかめに注ぐなどということは、これまで経験したことがないことをいう。(41)【今醞黍稷】「醞」は、(酒を)かもす、醸造するの意。「黍稷」は、モチキビとウルチキビ。キビはイネ科の一年草。実を酒の原料とする。中国南方が米を原料とするのに対し、北方ではキビを原料とする酒が作られ、実が黄色であるため黄色の酒である。この話の舞台中山は、現在の河北省、太行山の中部であるので、キビを醸して酒が作られていた。(42)【拠樽罍】「拠」は、持つの意か。『玉篇』に「持也」とある。杖を頼りにして持つの意が「拠(據)」の原義であるとすればそう解釈することもできる。「拠」には占める、占拠するの意もあり、それだと酒器に酒を満たすの意にも解せる。いずれかよくわからないが、今は前者として訳した。「樽罍」は、酒を入れる器。(43)【驕妻妾矣】「驕」は、偉そうにする。おごりたかぶるの意。「妻妾」は、正妻と正妻以外の妻。「矣」は、判断を表す語気詞。(44)【往年衣短褐】「衣」は、着る。本来名詞だが、賓語「短褐」をとることで、動詞に活用している。「短褐」は、短い麻製の着物。身分の低い者が着る。(45)【侶木石】「侶」は、友とする。仲間になる。これも本来連れ、友、仲間の意の名詞だが、「木石」を賓語にとることで動詞に活用しているのだ。「侶木石」とは、生活していくので精一杯で、だれも社会的に交際するひとがいないということ。(46)【手不知揖】「揖」は既出。5の(12)参照。「手不知揖」とは、まともな社会的礼儀も身につけていないということ。これも前項と同じく、生活苦により、それを学ぶ余裕も環境もないのだ。(47)【心不知学】「心」は「手」が外面、からだに関する主題主語であったのに対して、内面、精神を主題とした主語。貧しさゆえに学問などできるはずもない。(48)【今持兎園冊】「兎園冊」は、唐の太宗の子の李惲が配下の杜嗣先に命じて編纂させた書物の名。正式名は「兎園冊府」、または「兎園策府」。当初は十巻、後に訓注の混入により三十巻となる。唐代から五代にかけて民間の私塾で啓蒙のために用いられた。なお、「兎園策府」については、葛継勇「『兎園策府』の成立、性格及びその日本伝来」(二松学舎大学,日本漢文学研究10,2015)に詳しい。「心不知学」に対するもので、生活が豊かになったおかげで学問をする余裕が生まれたのである。(49)【戴笠子】「戴」は、かぶる。頭にのせる。「笠子」は、かさ。竹などで作った頭にのせるかさ。(50)【腰韋帯】「腰」は、腰に帯びる。名詞「腰」が動詞に活用したもの。「韋帯」は、なめし皮で作られた帯。(51)【衣寛博矣】「衣」は前出。(44)参照。「寛博」は、ゆったりした衣服。「寛」も「博」も広くゆとりのある様をいうことから。「矣」は、判断を表す語気詞。(49)~(51)は、「衣短褐」に対応する表現で、生活の余裕を示したもの。(52)【一糸一粟、皆我力也】「一糸一粟」は、一本の糸、一粒の穀物の意。「皆」は、すべての意の範囲副詞。「也」は、断定を表す語気詞。(31)以降、この(52)までは、古今説海本に該当する表現がない。(53)【顧欺我老弱】「顧」は、謂語が述べる内容と相反することを表す転折副詞。かえって、逆に。上文の内容から老農やその家族が自分に感謝して然るべきなのに、それとは逆に侮ると言いたいのである。「欺」は、侮る、馬鹿にする。ここでは騙すという意味ではない。古今説海本は、「今欺我老弱」(今我が老弱を欺(あなど)り)に作る。(54)【逐我郊野】「逐」は、追い払う。「郊野」は、郊外の野。最初にメインの耕作地「南畝」で働かせたことに対応して、今度は打って変わっての冷遇を表すわけだ。「逐我郊野」は「逐我於郊野」と同じで、「於郊野」と介詞句にするとわかりやすい。古今説海本は、「逐我於野」(我を野に逐ふ)に作る。(55)【酸風射眸】「酸風」は、人を刺すような冷たい風。「眸」は、ひとみ、眼球。「酸風射眸」については、唐、李賀の詩『金銅仙人辞漢歌』に「魏官牽車指千里、東関酸風射眸子。」(魏の役人は長安の漢宮から千里彼方の洛陽の魏宮を指して車を引いて行こうとするが、長安城の東門の冷風はひとみを射る)とあるに基づく。ここでは郊野に追い払われた牛が、寒風にさらされるのである。(56)【寒日弔影】「寒日」は、真冬の太陽。「弔影」は、自分の影に孤独を憐れむの意。「弔」は、「いたム」と読んでもよい。真冬の寒々とした太陽に照らされてできるおのが影に、我が身の孤独を思うのである。古今説海本は、「寒日吊影」(寒日影を吊(とむら)ひ)に作る。「吊」は「弔」の異体字。(57)【痩骨如山、老涙如雨】「如」は、「ごとシ」と読むが、「似る」の意味に近い動詞。 「痩骨如山」とは、痩せて骨ばかりになった体躯が、連なる山のようにゴツゴツしていることをいう。「老涙如雨」とは、老いて流す涙が雨のように流れるのである。(58)【涎垂而不可収】「涎垂」は、主語+謂語の構造で、よだれが垂れる。「垂涎」がよく見られる熟語だが、これは謂語+賓語の構造で本文と異なり、よだれを垂れるの意。「而」は連詞。ここでは逆接を表す。「不可収」は、おさめることができない。後句の「足孿而不可挙」から見るに、よだれを元に戻すことができないの意であろう。「不可」は5の(42)参照。牛がよだれを垂れるのは、固い繊維に覆われた草を食べるにあたり、湿らせて喉の通りをよくするための生物的な特徴であり、何も老牛に限ったことではない。また若い牛だからといって、よだれをおさめるわけでもない。後句の「足孿而不可挙」が老牛に必然的に訪れた不幸であるからには、この句もそれに類似したものでなければならないが、牛にごく普通に見られる現象だけに疑問が残るが、よだれの垂れっぱなしという状況があるいはそれを思わせるように描かれたものか。(59)【足孿而不可挙】「足孿」は、足が曲がって伸びない。「攣」は別に、痙攣するの意もある。あるいは足が痙攣するの意か。老化による筋力の衰えによるもの。「而」は前項に同じく連詞。逆接とも順接ともとれる。「不可挙」は、足を持ち上げることができない。古今説海本は、「歩艱而不可挙」「歩くこと艱(かた)くして挙ぐべからず)に作る。「歩行が困難で足を上げることができない」の意。(60)【皮毛倶亡】「倶」は、範囲副詞で、みなの意。皮も毛もどちらもみなの意だ。一緒にの意味ではない。「亡」は、なくなる、消え失せるの意の動詞。いくら老いたからといって、皮も毛もまさかすべてなくなるわけはないが、老いさらばえて、皮は痩せ衰え、豊かな体毛も減ったということである。(61)【瘡痍未瘥】「瘡痍」は、傷。「未」は、未実現を表す時間副詞。まだ~ないの意。「瘥」は、けがや病気が治るの意。 長年の労役によりあちこちに傷があるが、悪環境に置かれて、それもまだ癒えないのである。古今説海本は、「瘡痍未差」(瘡痍未だ差(い)えず)に作る。「差」も癒えるの意。(62)【老農之妻妒且悍】「之」は、結構助詞。5の(27)参照。「妒」は、嫉妬深い。ここで老農の妻が嫉妬深いことが老牛とどのような関係があるのか釈然としない部分があるが、老農がこれまでこの牛ばかりをかわいがってきたことに対する嫉妬心であろうか。「且」は、並列を表す連詞。「悍」は、荒々しい。この箇所、古今説海本は、「邇聞老農将不利於我。其妻復妬」(邇(ちか)く聞く老農将に我に利あらざらんとすと。其の妻復た妬(と)にして)に作る。「最近、老農は私に味方してくれなくなりそうだと聞く。その妻はさらに嫉妬深く」の意。「邇聞」の賓語は、妻の言動を含めてもよい。(63)【朝夕進説曰】「朝夕」は、いつも。常々。朝から晩までいつもの意。朝と夕方という意味ではない。「進説」は、進言に同じ。積極的に老農に説くのである。古今説海本は、「又朝夕進説其夫曰」(又た朝夕説を其の夫に進めて曰はく)に作る。「またいつもその夫に進言していう」の意。(64)【牛之一身無廃物也】「之」は前出。5の(27)参照。「一身」は、からだ全体。全身。もとは体ひとつの意だが、近世からこの意味で用いられるようになり、『三国志演義』や『紅楼夢』などに用例が見られる。「廃物」は、役に立たないもの。捨て去るものの意。「也」は語気詞。肯定の語気を表す。この句は存在文の構造。5の(2)参照。役に立たないもの(廃物)が存在しない範囲が牛の全身(牛之一身)なのである。古今説海本は、「牛之一身無棄物也」(牛の一身に棄物無きなり)に作る。意味は同じ。(65)【肉可脯】「脯」は、干し肉。「ほじし」と訓じる。『漢書・東方朔伝』に「生肉為膾、乾肉為脯」(生肉を膾とし、干し肉を脯とする)とある。助動詞「可」の賓語であるため、「脯」は動詞に活用して「干し肉にする」の意になっている。古今説海本は、「其肉可脯」(其の肉は脯とすべく)に作る。(66)【皮可[$File2]】「[$File2]」は、「鞟」に同じ。毛を除いた動物の皮。古今説海本は、「皮可革」(皮は革とすべく)に作る。(67)【骨角可切磋為器】「骨角」は、牛の骨とつの。「切磋」は、切って磨く。『詩経・衛風・淇奧』に「有匪君子、如切如磋、如琢如磨、瑟兮間兮、赫兮咺兮」(うるわしい君子は切磋琢磨の修養に励み、どっしりとして寛大である)を出典とする成語。南宋朱熹の『詩経集伝』によれば、「治骨角者旣切以刀斧而復磋以鑢鐋」(骨やつのを加工するには、刀や斧で切り整えてからさらにやすりやかんなで磨く)とあり、要するに骨角を工芸品として加工することをいう。「器」は、用具。器具。お椀や皿のような入れ物とは限らない。(68)【指大児曰】「指」は、指図する。「大児」は、長男。(69)【汝受業庖丁之門有年矣】「受業」は、師について学ぶ。「業」は学問。ここでは料理の技術を学ぶこと。「庖丁之門」は、料理人の門。「庖丁」は、『荘子・養生主』に見える料理人。あるいは名とも。転じて、一般に料理人の意で用いられる。「ハウテイ」と訓じる。料理に用いる刃物を「ほうちょう」というが、これは日本の用語。「汝受業庖丁之門」は、謂語が二つ連続する構造だが、介詞を用いて「汝受業于庖丁之門」とでも改めるとわかりやすい。「有年」は、「年有り」と訓じたが、「多年」の意。「汝受業庖丁之門」の句に対して、補語の位置にあり、「お前は料理人の門で長年学んだ」という意味。「矣」は語気詞。判断を示す。(70)【胡不礪刃硎以待】「胡不」は、「何不」に同じで、「どうして~しないのか」と反問の形式を用いて、多くの場合、すべきである、してはどうかという勧令の意味を表す。ここでも農夫の妻は長男に、長年料理人の門で学んだのだから、そろそろ牛をさばいてみてはどうかと勧めているのである。「礪刃」は、料理包丁を研ぐ。「礪」は、砥石で研ぐの意。「硎」は、砥石。「礪刃硎」は、前項に同じく、介詞を用いて「礪刃於硎」とでも改めるとわかりやすい。古今説海本は、実際そうなっている。「以」は、ここでは連詞。承接を表す。「待」は、備える。いつでも料理できるように備えるのである。古今説海本は、「胡不礪刃於硎以待乎」(胡ぞ刃を硎に礪ぎて以て待たざるや)に作り、疑問の語気詞を伴う。意味は同じ。(71)【跡是観之】「跡」は動詞。きた道を振り返りたどって検証する。「観」は、よく見て考える。「跡是観之」で、「ここまでのことをあとをたどって考えてみると」の意。同様の表現に、「由是観之」(是に由りて之を観るに)、「由此観之」(此に由りて之を観るに)、「以此観之」(此を以て之を観るに)、「以是観之」(是を以て之を観るに)、「従此観之」(此より之を観るに)、「自此観之」(此より之を観るに)などがある。いずれも「前に述べられた事象をもとに検討してみると」ぐらいの意味。「このことから考えると」と訳す。必ずというわけではないが、最終的な結論を示す時に用いることが多い。(72)【是将不利於我】「是将」は、推断の語気を表す。『近代漢語虚詞詞典』(商務印書館2015)は、「是」を副詞として推度または推断の語気を表すとして、この句を引用する。「将」にも同様の語気を表す働きがあることから、「是将」で「きっと~だろう・~に違いない」という意味を表すことになる。もともと「是」が判断を表す動詞であることからの用法であろう。代詞ではあるまい。読みようがないので、「是れ将た」と訓じた。「利」は形容詞で、都合がよい、巡り合わせがよいの意。したがって「不利於我」は、介詞句「於我」を補語にとって、「私にとって都合が悪い、巡り合わせがよろしくない」の意になる。自身が老いさらばえたこと、そのために劣悪な環境に放逐されていること、農夫の妻が屠殺を勧めていること、どう考えても自身に不利な状況なのである。古今説海本には、この句なし。(62)に示したように、近い内容が前に用いられている。(73)【我不知死所矣】「不知」は、わからない。知識として知らないというよりは、理解できない、わからないの意味でよく用いられる。「死所」は、死ぬ場所。転じて死に方。「不知死所」をとっても、「どこで死ぬかわからない」という意味の場合もあれば、「どこで死んだかわからない」という意味の場合もある。ここは前者で、「どんな死に方をするかわからない」の意。場所を表す語は「処」を用いることが多いのだが、「死処」よりも「死所」の方がよく用いられる。「矣」は必然的な判断を表す語気詞。(74)【夫我有功】「夫」は、語首助詞。文頭や句頭に置かれて、すぐ後の主語に対して判断や叙述、議論を起こすことを示す。「そレ」と訓じ、「そもそも」などと訳す。「我有功」は存在文。5の(31)参照。(75)【彼無情乃若是】「彼」は代詞。老農を指す。前句の「我」に対応して用いられている。「情」は、愛情、思いやりの気持ち。「彼無情」も存在文だが、ここでは主語になるので「彼に思いやりの気持ちがないこと」という意味の名詞句である。「乃」は、副詞で、ここでは「意外にも」ぐらいの意味。事態が予想外であることに対する気持ちを表す。「若是」は、このようである。「若」は「似る」に近い義の動詞。「若是」で「これに似る」ぐらいの意味なので、「かクノごとシ」と和訳しているのだ。「ごとシ」と読むからといって、助動詞ではない。この文の構造は、主語「彼無情」+謂語「若」+賓語「是」で、副詞の「乃」が謂語を連用修飾している。古今説海本は、「老農如是」(老農是(かく)のごとし)に作る。「老農はこんなありさまだ」の意。(76)【行将蒙禍】「行将」は、行為や事態がまもなく発生することを表す時間副詞。「~しそうである」の意。「行」も「将」も同義だから「行将」で一語として和訳すればよいのだが、「行」は「ゆくゆく」と訓読する習慣があるので、「ゆくゆくまさニ~(セ)ントす」と読んだ。「蒙禍」は、災いを受ける。ほどなく災いを被りそうだというのは、近い将来、屠殺されそうだということ。(74)~(76)「夫我有功、彼無情乃若是、行将蒙禍」は、見かけ上気付きにくいが、深層表現で、いわゆる抑揚の形式。それは、古今説海本が、この箇所を「其大且久、尚将蒙禍」(其の大にして且つ久しきすら、尚(な)ほ将に禍ひを蒙らんとす)に作っていることからもわかる。「その功績が大きくかつ長いのに、それでも災いを被りそうなのだ」の意。(77)【汝何徳於狼、覬幸免乎】5の(43)「汝何徳於狼乃覬免乎」とほぼ同じ表現。そちらを参照のこと。「覬幸」は、望む、願う。「覬」も「幸」も同じ意味の動詞。古今説海本は、「汝何徳於狼乃覬倖免乎」(汝何ぞ狼に徳ありて乃ち免るるを覬倖せんや)に作る。5の(43)に既出。(78)【言下】5の(45)参照。(79)【狼又鼓吻奮爪以向先生】4の(21)参照。「又」は、さらに。重複を表す副詞。前回、前々回の動作を受けて、さらにまた同じ動作をしたのである。(80)【毋欲速】「毋」は、否定副詞。「無」「莫」「勿」「不」などと同じく、動作の差し止めを表す。「~するな」(禁止)、「~してはいけない」(教戒)、「~しないでくれ」(否定の命令願望)などの意味を表すが、通常の否定で用いられることもあるので注意を要する。ここでは性急に自分を食べようとする狼に対して、「早まろうとしてはいけない」と教戒したのである。「欲速」は、急ごうとする、早まろうとする。「速」は本来「すみやかである・速い」の意の形容詞だが、意志を表す助動詞「欲」の賓語になることで動詞に活用しているのである。