『中山狼伝』注解5

(内容:中国で、忘恩の狼として有名な『中山狼伝』の文法解説。その5。)

『中山狼伝』注解5

■原文
(1)踰時、(2)道無人行。(3)狼饞甚、(4)望老木僵立路側、謂先生曰、「(5)可問是老。」先生曰、「(6)草木無知。(7)叩焉、(8)何益。」狼曰、「(9)第問之。(10)彼当有言矣。」(11)先生不得已、(12)揖老木、(13)具述始末、問曰、「(14)若然、(15)狼当食我邪。」(16)木中轟轟有声謂先生曰、「(17)我杏也。(18)往年、(19)老圃種我時、(20)費一核耳。(21)踰年華、(22)再踰年実、(23)三年拱把、(24)十年合抱、(25)至於今二十年矣。(26)老圃食我、(27)老圃之妻子食我、(28)外至賓客下至奴僕、皆食我。(29)又復鬻実於市、(30)以規利於我。(31)其有功於老圃甚巨。(32)今老矣。(33)不能斂華就実、(34)賈老圃怒。(35)伐我條枚、(36)芟我枝葉、(37)且将售我工師之肆取直焉。(38)噫、(39)樗朽之材、(40)桑楡之景、(41)求免於斧鉞之誅、(42)而不可得。(43)汝何徳於狼乃覬免乎。(44)是固当食汝。」(45)言下、(46)狼復鼓吻奮爪以向先生。先生曰、「(47)狼爽盟矣。(48)矢詢三老、(49)今値一杏。(50)何遽見迫邪。」(51)復与偕行。

■訓読
時を踰(こ)ゆるも、道に人の行く無し。狼饞(むさぼ)ること甚だしく、老木の路の側(かたは)らに僵立(きやうりつ)するを望み、先生に謂ひて曰はく、「是の老に問ふべし。」と。先生曰はく、「草木には知無し。焉(これ)に叩(と)ふも、何ぞ益あらん。」と。狼曰はく、「第(た)だ之に問へ。彼当(まさ)に言有るべし。」と。先生已(や)むを得ず、老樹に揖(いふ)し、具(つぶさ)に始末を述べ、問ひて曰はく、「若(も)し然らば、狼当に我を食らふべきか。」と。木中轟轟(がうがう)として声有り、先生に謂ひて曰はく、「我は杏(あんず)なり。往年、老圃(らうほ)我を種(う)うる時、一核を費やすのみ。年を踰えて華(はな)さき、再び年を踰えて実り、三年にして拱把(きようは)、十年にして合抱(がふほう)、今に至るまで二十年なり。老圃我を食らひ、老圃の妻子我を食らひ、外は賓客に至り下(しも)は奴僕(どぼく)に至るまで、皆我を食らふ。又復(ま)た実を市に鬻(ひさ)ぎて、以て利を我より規(はか)る。其の老圃に功有ること甚だ巨(おほい)なり。今老いたり。華(はな)を斂(をさ)めて実を就(つ)くること能はず、老圃の怒りを賈(か)ふ。我が條枚(でうばい)を伐(き)り、我が枝葉を芟(か)り、且つ将に我を工師の肆(し)に售(う)りて直(あたひ)を焉(これ)に取らんとす。噫(ああ)、樗朽(ちよきう)の材(さい)、桑楡(さうゆ)の景(けい)、斧鉞(ふゑつ)の誅(ちゆう)を免るるを求むるも得べからず。汝何ぞ狼に徳ありて乃ち免るるを覬(のぞ)まんや。是れ固(もと)より当に汝を食らふべし。」と。言下にして、狼復た吻(ふん)を鼓(こ)し爪を奮(ふる)ひて以て先生に向かふ。先生曰はく、「狼盟に爽(たが)ふ。三老に詢(と)ふと矢(ちか)ふに、今一杏(いちきやう)に値(あ)ふのみ。何遽(なん)ぞ見(われ)に迫るや。」と。復た与偕(とも)に行く。

■訳
しばらく経ったが、道には誰も行く人がいない。狼はひどく食欲が増し、老木が道のかたわらに直立しているのをはるかに見て、先生に言った、「このお年寄りに問え。」先生は言った、「草木には知見がありません。これに問いかけても、どうして益がありましょうや。」と。狼は言った、「かまわずこれに問え。彼は何か話があるだろう。」先生はしかたなく、老樹に拱手して、残りなくことの顛末を述べ、問いかけて言った、「もしそうだとしたら、狼は私を食べるべきでしょうか。」木の中でごうごうと声が鳴り響き先生に言った、「わしは杏じゃ。昔、老農夫がわしを植えた時、わずか一つの種子をまいただけだ。年を越えて花が咲き、また年を越えて実り、三年で両の手のひらでつつめるほどの太さになり、十年で両手で抱えるほどの大木になり、今に至るまで二十年じゃ。老農夫がわしを食べ、老農夫の妻子もわしを食べ、外は客人に至り下は奴僕に至るまで、みなわしを食べた。さらに実を市場で売って、私から利益をはかった。わしは老農夫にたっぷり恩恵を施した。今は老いぼれてしまった。花を咲かせて実をつけることができず、老農夫の怒りをかった。(老農夫は)わしの枝や幹を伐り、わしの枝葉を刈り取り、さらにわしを大工の店に売ってわしから儲けを得ようとしている。ああ、朽ちて役に立たない身で、夕暮れのごとき最晩年に、おのやまさかりの伐採を逃れようと求めてもどうしようもない。(それにくらべて)お前はいったい狼にどんな恩恵があって逃れることを望むのか。これは当然お前を食べるべきだ。」(杏の木が)言い終わるや、狼は口先を突き出し爪を立てて先生に向かった。先生は言った、「狼よ約束違反だ。三人のお年寄りに問いただすという約束なのに、今その一人に会ったばかりだ。どうして私に迫るのか。」さらに共に行った。

■注
(1)【踰時】
 「踰」は、越えるの意から、時を経過するの意。「踰月」「踰年」などの表現がある。

(2)【道無人行】
 存在文。存在主語「道」+謂語「無」+賓語「人行」からなる。人の行き来のない範囲を存在主語「道」が表す構文である。なお、「無」は「なシ」と形容詞で訓読するが、「有」の対義語で、非存在、非所有を表す動詞である。

(3)【狼饞甚】
 「饞」は、食べたいという欲望をもつの意の動詞、またはそのさまを表す形容詞。「むさぼル」と読んだが、「うウ」と読んでもよい。

 この文は、主語「狼」+謂語「饞」+補語「甚」の構造。「狼は食べたいと思うことが甚だしい」と訳すより、「狼はひどく食べたいと思う→狼はひどく食欲が増す」と訳す方が構造に忠実である。

(4)【望老木僵立路側】

 「望」は、遠くを見るの意。遠方から老木が立っているのを見つけたのである。

 「僵立」は、直立するの意。「僵」は本来「人が仰向けに倒れるさま」を表し、死体が硬直する、またはそのさまに転じた。老木の「僵立」は、老いて硬直した木のイメージで、ここでは直立するの意を表すのだ。

 古今説海本は、「望見老樹僵立路側」(老樹の路の側らに僵立するを望見し)に作る。意味は同じ。


(5)【可問是老】

 「可」は、周囲の状況から判断して「~べきだ」とする当然、または「~するのがよい」と他者に勧める意を表す助動詞。「可」は、可能か許可だと思い込んではいけない。

 「是老」は、この老木の意。「是」は指示代詞だが、この「可問是老」を「是を老に問ふべし」という意味でない。「問」は双賓構造をとる謂語動詞で、二つ置かれる賓語は常に「誰に」を表す賓語(間接賓語)、「何を」を表す賓語(直接賓語)の順に置かれるからだ。

(6)【草木無知】

 草木が知見をもたないの意なので所有文。存在文としてもよい。構造は同じ。(2)参照。

(7)【叩焉】
 「叩」は、問う、質問するの意。『論語・子罕』に、「有鄙夫問於我、空空如也、我叩其兩端而竭焉」(下賤の者が私に質問してきまじめであれば、私は彼の問いの本末を問いただして知る限りのことを教えてやろう)とある。「叩」は叩くの意であるが、何晏は「発」とし、朱熹は「発動」と説く。叩いて開くの意から問うの意に転じたものであろうか。

 「焉」は代詞。「これ」の意。ここでは是老、すなわち老木を指す。

 狼は「可問是老」と言っているのに、東郭先生が「問之」と言わずに「叩焉」と表現しているのは、あるいは、問うの意をもつ「叩」の字に本来の「たたく」の意を重ねて、「無知な木を叩いて聞いてみても」という気持ちをこめたのかも知れぬ。


(8)【何益】

 「益」は、利益がある、利益をもたらす、役に立つの意の動詞。ここでは名詞ではない。名詞であれば「有何益」の倒置形、「何益之有」(何の益か之れ有らん)となる。

(9)【第問之】

 「第」は前出。4の(41)参照。草木であるとか無知だとか、ごちゃごちゃ言わずに、さっさと問えの意。

 「之」は代詞。老木を指す。

(10)【彼当有言矣】

 「彼」は代詞。老木を指す。

 「当」は推定の副詞(推度副詞)で3の(33)に既出。「(きっと)~だろう」の意。訓読では「まさニ~べシ」と再読して読む。

 「矣」はさまざまな語気を表す語気詞だが、ここでは物事がそのようになるであろうという語気を表す。


 この句は「彼は何かことばがあるだろう」の意だが、古今説海本は「彼当為汝言矣」(彼当に汝の為に言はん)に作る。これだと「彼はお前に何か言ってくれるだろう」の意になる。


(11)【先生不得已】

 「已」は、終える、やめるの意の動詞。「不得已」の形で慣用的に用いられ、「どうしようもなく、しかたがなく」の意。客観的な状況が許さないために物事をその時点で終結できないことを表す。

(12)【揖老木】

 「揖」は、拱手の礼。『説文解字』には「一曰、手箸匈曰揖」(一説に、手が胸に付くのを揖という)とあり、また宋末の戴侗による字書『六書故』には「共而上下左右之以相礼也」(拱手し上下左右して相手に礼をする)とある。老木に長老に対する礼を尽くすのである。

 古今説海本は、「揖老樹」(老樹に揖し)に作る。意味同じ。

(13)【具述始末】

 「具」は、残るところなくすべての意の副詞。「始末」は、初めから終わりまで。狼を袋の中に隠して趙簡子から救い、その後裏切られ食われそうになった顛末をありのままにすべて述べたわけである。

 古今説海本は、「具述其始末」(具に其の始末を述べ)に作り、指示代詞「其」を伴う。

(14)【若然】

 もしそうだとすると。「若」は仮定の連詞。「然」は代詞。自分が述べた狼とのいきさつが事実であるとするとの意。

 古今説海本には、この句なし。

(15)【狼当食我邪】

 「当」は「~すべきだ」の意の助動詞。既出。4の(43)参照。再読するが、わざわざ「当然~すべきだ」と二度に分けて訳す必要はない。

 「邪」は疑問の語気詞。

(16)【木中轟轟有声謂先生曰】

 存在の兼語文。「木中轟轟有声」(木の中でごうごうと声がする)と「声謂先生曰」(声が先生に言う)の二文が兼語「声」を介して一文となったもの。存在の兼語文については、1の(7)参照。

 「轟轟」は擬声語。大音量で鳴り響くさま。副詞の位置に置かれて謂語「有」を連用修飾している。

 なお、古今説海本は、この箇所を「樹中轟轟有声如人謂先生曰」(樹中轟轟として声有ること人のごとくして先生に謂ひて曰はく)に作る。「木の中でごうごうと人のように声がして先生に言う」の意。

(17)【我杏也】

 判断文。「也」は断定の語気を表す語気詞。

 「杏」は、バラ科サクラ属の落葉小高木。中国では北部と西部で産する。三月末から四月にかけて淡紅色の花を咲かせ、初夏に甘酸っぱい実をつける。

 古今説海本は、この句の前に「是当食汝。且」(是れ当に汝を食らふべし。且つ)の五字あり。「これはお前を食べるべきだ。そもそも~」の意。この「是」は狼を指すとも、東郭先生が老木に判断を委ねた案件ともとれる。また、「且」は、「かツ」と読むが、発語の辞で、話を始める語気を表し、実質的な意味はない。「そもそも」と訳しておいた。


(18)【往年】

 昔。「往」は過去、昔を表す形容詞。

(19)【老圃種我時】
 「老圃」は、年老いた農夫。

 「種」は、動詞で「植物を植える」の意。いわゆる「たね」ではない。

 古今説海本は「時」の一字なく、「老圃種我」(老圃我を種うるに)に作る。


(20)【費一核耳】

 「核」は、果実の中にあって、種子を包んでいる固い部分をいう。

 「耳」は限定の語気詞で、「而已」二音に相当する兼詞(縮約語)。

 「費一核耳」とは、後の豊かな実りに対して、農夫が最初に要したものはわずかに杏の種一個であったと言いたいのである。

 ちなみに、杏は果肉をつけたまま播種すると発芽しないそうで、表現通り果肉を取り除いた「核」をまくわけである。杏を食べる動物が消化できない核を排泄して、それが発芽するしくみになっているわけだ。また、現在では杏を実生で栽培することはなく、主に接ぎ木による栽培が行われている。実生ではよい実がつかないらしい。さらに、自家結実性ではあるが、一品種では受粉しにくいので、別品種の杏や梅、桃などと混植させる必要があるとか。中国では数千年前から杏栽培が行われているが、核一個でも容易に成長する品種があったのか、あるいは説話ということで、いい加減なところがあるのかもしれない。


 古今説海本は、「不過費一核耳」(一核を費やすに過ぎざるのみ)に作る。「わずか一つの種子をまいたに過ぎない」の意。


(21)【踰年華】

 「踰年」は、歳を越える。年を越して翌年になるの意。後の「再踰年実、三年拱把」が二年、三年を指していることから、一年以上の年月を越えるのではないことがわかる。

 「華」は動詞で、「はなサク」と訓読する。

 杏が実生からわずか一年で開花するのは現実的ではなく、少なくとも二、三年は要するのが普通。このあたりも説話の流れで、「一年で~、二年で~、三年で~」と、テンポよく表現したに過ぎない。

(22)【再踰年実】

 「再踰年」とは、さらにもう一年経つということ。つまり二年である。

 栽培環境にもよるが、杏の結実には四、五年以上は要する。これも前項と同じ。

(23)【三年拱把】

 「拱把」とは、両の手のひらで包めるほどの太さをいう。『孟子・告子上』に「拱把之桐梓」( 「拱把」の桐や梓の木)とあり、趙岐の注は「拱、合両手也。把、以一手把之也」(拱とは、両手を合わせるのである。把とは、手ひとつでつかむのである)とある。

(24)【十年合抱】
 「合抱」とは、両手でかかえる太さをいう。『老子・64』に「合抱之木生於毫末」(「合抱」の木はほんの小さなものから成長する)とある。

(25)【至於今二十年矣】
 「至於今」は介詞句、謂語「二十年」を連用修飾する。介詞「於」は時の帰着点を表す。

 「矣」は語気詞。ここでは陳述の語気とも完了の語気ともとれる。

 古今説海本は、「於今三十年矣」(今に於て三十年なり)に作る。「今で三十年だ」の意。


(26)【老圃食我】

 古今説海本は「老圃、我食之」(老圃は、我之を食らはしめ)に作る。「老いた農夫は、私が彼に食べさせ」の意。この場合、「老圃」は主題主語。「我食之」が主謂謂語となる。代詞「之」が食べるものではなく「老圃」を指すため、「食」は使役を表すことになる。これを使動用法という。つまり、他動詞が本来とるべき表物賓語(事物目的語、直接目的語)ではなく表人賓語(人物目的語、間接目的語)をとる時、使役の意味を表す用法である。

(27)【老圃之妻子食我】
 「之」は結構助詞。連体修飾語と中心語の間に置かれて、中心語を修飾することを示す。中心語は多くの場合名詞または名詞句である。「之」はなくてもよいが、置かれることで前後の関係が修飾語と被修飾語の関係であることが明確になる。ここでは「老圃」が「妻子」を修飾することを示す。その結果、「老圃之妻子」が名詞句として謂語「食」の施事主語となる。

 古今説海本は、「老圃之妻子、我食之」(老圃の妻子は、我之を食らはしむ)に作る。「老いた農夫の妻子は、私が彼らに食べさせた」の意。これも前項に同じく使動用法である。

(28)【外至賓客下至奴僕】

 「外」「下」が主題主語として、それぞれ動賓結構「至賓客」「至奴僕」をとり、「外は賓客に至り、下は奴僕に至る」の意味だが、直後に範囲副詞「皆」をとることで、文全体の主語となる。つまり、「外は農夫を訪れる客人、下は農夫の下僕に至る人たち」という名詞句になっているのである。

 古今説海本は、「外至賓客下至奴僕、我食之」(外は賓客に至り下は奴僕に至るまで、我之に食らはしむ)に作る。「外は農夫を訪れる客人、下は農夫の下僕に至る人たちは、私が彼らに食べさせた」の意。これも(26)で説明した通り。

(29)【又復鬻実於市】

 「鬻」は、売るの意。

 「於市」は、市場で。介詞句で補語の位置に置かれ、謂語「鬻」を後置修飾する。介詞「於」は、ここでは場所を表す。

 「又」「復」の基本語義については、「又」は「さらに」と付け加えていう語、「復」は「ふたたび」と重複を表す語で、「又」の場合、同じことを付け加えれば「ふたたび」になるし、「復」が同じことの継続をいえば「さらに」の意になる。本来異なるが、語義の重なる部分はあり、「又復」の形で複合の副詞で用いられることがあるのだ。


 なお、古今説海本では「又時復鬻我実於市」(又た時に復た我が実を市に鬻ぎ)に作り、副詞「又」と「復」を異なる意味で用いている。「又」は「さらに」の意だが、「復」の方は「時復」の形で、時に重複して、つまり、「折にふれて何度も」の意で用いられている。つまり、「さらに折にふれて何度も私の実を市場で売って」の意となる。


(30)【以規利於我】

 「以」は連詞として用いられているが、もともと介詞で、「そうすることで(=実を市場で売ることで)」という意味を微妙に残している。

 「規」は、求める、はかる。「規利」で、利を得ることを求めはかるの意。

 「於我」は介詞句。介詞「於」はここでは、起点を表し、「私から」の意。


 古今説海本は「以規利」(以て利を規り)に作り、介詞句「於我」を欠く。


(31)【其有功於老圃甚巨】

 「其」は代詞。杏の老木自身を指すとも、それまで老木が述べた、農夫や家族、客人下僕に実を食べさせたこと、実を市場で売って利益を得させたこと全般を指すとも解せる。

 「其有功」は存在主語「其」、謂語「有」、賓語「功」の構造からなる存在文。構造上の賓語「功」が意味上の主語となり、その存在する範囲を主語「其」が示す。

 「於老圃」は介詞句。介詞「於」は対象を表し、「老いた農夫に対して」の意。謂語「有」の補語の位置に置かれ後置修飾しているのだ。


 「巨」は、大きさや量が桁外れであることを表す形容詞で、「おほイナリ」と訓読する。


 「其有功於老圃甚巨」は、「甚巨」が介詞句「於老圃」と共に補語の位置に置かれ後置修飾しているので、文意は「私は老農に対して途方もない大きな功績があるのだ」となる。


 古今説海本は、「其有徳於老圃甚腆」(其の老圃に徳有ること甚だ腆(あつ)し)(私は老農に対してとても豊かに恩恵を施した)に作る。「腆」は、豊かで手厚いの意の形容詞。


(32)【今老矣】

 「矣」は完了の語気詞。

 杏は、100年を越える寿命の実例もあり、わずか20年で老木というのはいかがなものであろうかと思う。(古今説海本は30年とする。)話の流れとして、老農の若かりし頃播種され、農夫が老いるまで家族に恩恵を施し、農夫の生涯のうちに杏も老いるというお話にするための寿命で、多少無理のある設定になっているのであろう。

(33)【不能斂華就実】

 「斂華就実」は、花をおさめて実をつける、つまり花が咲き終わった後実をつけるという意味であろう。『漢書・礼楽志』に「敷華就実、既阜既昌、登成甫田、百鬼迪嘗」(花を敷き実をならせ、はなはだ大いにはなはだ盛んに、大きな畑に実って、もろもろの神が祭祀の礼をうける)とあり、このあたりが類似表現の古い典拠になる。「敷華」とは花を咲かせるの意。後世「去華就実」という句が用いられ、『四庫全書』には18書19例が見える。しかし、これは植物に対する表現というよりは、「華を去り実に就く」、つまり、表面的な美を去って内実をとるという学問人生における態度を示す比喩表現として用いられ、後に本邦において明治天皇の「戊申詔書」にも用いられた表現である。「斂華就実」はこれとほぼ同じ意味を表す表現とみられ、「斂華」は花をおさめる、しまい片付けるの意から花を咲き終わらせる。「就実」は実になる、実をつける。したがってやはり「表面的な美を去り、内実を志向する」の意になり、『四庫全書』には34書39例が見られる。本書の「不能斂華就実」は比喩表現の大本に立ち返って、杏という植物が老いてもう「花を咲かせ実をつけることができない」という意味で、「斂華就実」という成句を用いたわけである。人のとるべき態度の意味からは「華を斂めて実に就く」と読むが、ここでは植物の杏のことをいうので、「華を斂めて実を就く」と訓じた。

 なお、「斂華就実」は「不能」の「能」の賓語動詞句に相当するので、「斂華就実」自体が不可能であることを表し、「花は咲かせるが実をつけることができない」という意味ではない。


(34)【賈老圃怒】

 「賈」は動詞。「買う、買い求める」から、ここでは「招く」という意味。

 「老圃怒」は「老いた農夫の怒り」の意の名詞句で、「賈」の賓語になっている。

 古今説海本は「賈」の字を欠き、「老圃怒」(老圃怒り)に作る。これだと「老いた農夫は怒り」の意になり、文を改めることになる。


(35)【伐我條枚】

 施事主語は「老圃」、前文に「賈老圃怒」とあるので、省略されたもの。古今説海本では「老圃怒」に続く句なので、「老圃」がそのまま主語となり連動文を構成している。

 「伐」は、伐採する。「條枚」は木の枝や幹のこと。『詩経・周南・汝墳』に「遵彼汝墳、伐其條枚」(あの汝水の堤防沿いに、その枝や幹を伐る)とあり、『詩集伝』の朱熹注に「枝曰條、榦曰枚」(枝を條といい、幹を枚という)とある。夫が出征中の妻が、木の枝や幹を伐って薪として、生活の資とするのである。これを踏まえた表現なので、老農夫は杏の木を伐って生活の資にしようというわけだ。

(36)【芟我枝葉】

 「芟」は除草するの意。それからの引申義で、刈り除く意を表す。

(37)【且将售我工師之肆取直焉】
 「且」は、ここでは累加を表す連詞で「その上、さらに」の意。枝幹を伐採し枝葉を刈り取り、その上さらにという意味だ。

 「将」は将来を表す時間副詞で、「~しようとする」の意。再読文字として読むが、「今にも・ちょうど」などの訳は不要。

 「售」は動詞。「売る」の意。


 「售我工師之肆」は、「售我於工師之肆」と同じ。介詞「於」や「于」などが伴っていないので介詞句とはいえず、「我」「工師之肆」という二つの賓語が置かれた文になるが、授与や教授を表す謂語などがとるいわゆる双賓文ではない。


 「工師」は、職人、ここでは大工のこと。「肆」は、店、店舗の意。


 「直」は「値」に同じで、杏の材木を売る対価、儲けの意。


 「焉」は「於此」の縮約語で、「取直焉」は「取直於此」(これから儲けを得る)に同じ。「私(=杏)から儲けを得る」の意であろう。


(38)【噫】

 嘆詞。感嘆・悲痛・賛美・憤慨・嘆息の声を表す。

(39)【樗朽之材】
 「樗」は、中国原産のニガキ科ニワウルシ属の落葉高木。シンジュと呼ばれるが、葉がウルシに似ているので、日本ではニワウルシとも呼ばれる。胸高直径は100cm、樹高は25mにも達するが、役に立たない材木とされる。そこから無能で役立たずを「樗」といい、自分を謙遜する時にも用いる。日本では「オウチ」と読むが、これはセンダン科の別の植物である。

 「樗朽之材」とは、杏の老木がもはや実をつけない自分を卑下していうのである。

 古今説海本は「以樗朽之材」(樗朽の材を以て)に作り、介詞句とする。「朽ちて役に立たない身で」の意で、「以」は状態を表すことになる。


(40)【桑楡之景】

 「桑」はクワ科クワ属の落葉高木で、葉を蚕の餌とするが、樹高は15mほどに達する。「楡」は、ニレ科ニレ属の広葉樹の総称で、背の高いものは数10mに達する。

 「桑楡」はこのクワとニレのことだが、転じて夕暮れを指す。それは、夕陽が落ちる時、クワやニレの梢を照らすからだが、さらに転じて人生の最晩年を指すようになった。

 「景」は、ここでは時、時期の意。したがって、「桑楡之景」とは、人生の最晩年の時の意。


 古今説海本は「当桑楡之景」(桑楡の景に当たり)に作り、介詞句とする。「人生の最晩年の時に」の意で、「当」は「~する時に」の意の時機を表す。

 古今説海本の表現は「以樗朽之材、当桑楡之景」で、「朽ちて役に立たない身で、人生の最晩年の時に」と、本稿の底本である『東田文集』の本文より文意が明確に示されている。

(41)【求免於斧鉞之誅】

 「斧鉞」は、おのとまさかり。木を切るための道具である。

 「誅」は、罪をとがめて殺すこと。老農夫が、実をつけぬことをとがめて杏を伐採することをいう。

 「於斧鉞之誅」は介詞句。補語の位置に置かれて、謂語「免」を後置修飾する。介詞「於」はいわば起点を表し、「おのやまさかりの伐採から」逃れるの意を表す。


 さらに、「免於斧鉞之誅」は謂語「求」の賓語にもなって、「おのやまさかりの伐採から逃れること」という名詞句になっている。


 古今説海本は「求免於主人斧鉞之誅」(主人の斧鉞の誅より免かるるを求むるも)に作り、これも「斧鉞之誅」が主人すなわち老農夫のしうちであることを明確にしている。


(42)【而不可得】

 「而」は連詞。ここでは逆接を表す。

 「不可」は、~できないの意。不可能を表す。助動詞「可」が動詞「得」を賓語にとる形。

 「不可得」とは、杏がもはや実をつけられない以上、老農夫の伐採から逃れようとしても不可能であることをいう。したがって、「どうしようもない」と意訳した。


(43)【汝何徳於狼乃覬免乎】

 「何徳」は、疑問代詞「何」が名詞「徳」を連体修飾する形で、「どんな恩恵」の意。これが介詞句「於狼」(狼に対して)をとることで「どんな恩恵を施す」の意の謂語動詞に活用している。したがって、「汝狼に何の徳ありて」と読みたいところだが、そのような訓読はないので、しかたなく「何ぞ狼に徳ありて」と読んだ。介詞「於」は対象を表す。

 「乃」は、前の事情を受けることを表す副詞。ここでは、前句「何徳於狼」(狼に対してどんな恩恵を施して)で述べた条件を踏まえて、次の句「覬免」(逃れることを望む)が起こることを表す。あえて訳せば、「~してはじめて・やっと」などとなるが、無理に訳す必要はない。つまり、ここでは狼に恩恵を施して、はじめてその代償として逃れることも可能になるということ。

 「覬」は、望む、願うの意。

 「乎」は反詰の語気詞。


 「汝何徳於狼乃覬免乎」は、「お前は狼にどんな恩恵を施して逃れることを望むのか」と、その資格などないことを暗に示しつつ、反詰しているのである。


 古今説海本は、「汝何徳於狼乃覬倖免乎」(汝何ぞ狼に徳ありて乃ち免るるを覬倖せんや)に作る。「覬倖」も、望む、願うの意。


(44)【是固当食汝】

 古今説海本では杏の言葉の最初に「是当食汝。」の形で置かれた句。『東田文集』では、杏の最終的な結論を示す形でこの位置に置かれている。

 「固」は、当然、必ずの意の副詞。

 この句については、(16)参照。


(45)【言下】

 言うやいなやの意。一言の下。杏の言葉が終わるとすぐにという意味。

(46)【狼復鼓吻奮爪以向先生】

 4の(21)参照。「復」は、またもや。重複を表す副詞。先の「鼓吻奮爪以向先生」(口先を突き出し爪を立てて先生に向かった)という行動を、また繰り返したのである。

 古今説海本は、「狼鼓吻奮爪以向先生」と、「復」の字を欠く。

(47)【狼爽盟矣】

 「爽」は、違う、違反するの意の動詞。「爽」のなりたちについては諸説あり、よくわからぬが、「大」を人型として左右に相対するものの配置から、分かれる義をもつとも、左右に交差するものは窓の格子として、その引申義で違うの意を生じたとも。明亮を本義とする「爽」がなにゆえ違背の意をもつのか興味深い。

 「盟」は、誓い、誓約。

 「矣」は判断を表す語気詞。

(48)【矢詢三老】

 「矢」は、誓うの意。

 「詢三老」については、4の(40)参照。

 古今説海本は、「詢三老」(三老に詢ふに)で、「矢」の字を欠く。これだと「三人のお年寄りに問いただすのに」の意になる。前句の末尾が「矣」の字で、「ム」と「矢」からなることから、あるいは「矢」の字の混入か脱落が疑われるが、整理されたのかもしれぬ。


(49)【今値一杏】

 「値」は、会う、出くわすの意。

 古今説海本は、「今始値其一」(今始めて其の一に値ふ)に作る。「今やっとその一人に会ったばかりだ」の意。「始」は、「やっと~したばかり」という意味を表す副詞。

(50)【何遽見迫邪】

 「何遽」は、反語の語気副詞。「遽」も同じ語気副詞だが、単独ではあまり用いられず、「何」「豈」「奚」などと共に「何遽」「豈遽」「奚遽」などと熟して用いられるのが普通。

 「見」は、ここでは受身の助動詞ではなく、話者である一人称の省略を示す表現と解した。漢代以降に見られる特殊表現で、「見」が一人称話者の省略を示し、主語が受事主語ではなく施事主語になることがあるのだ。たとえば、李密の『陳情表』に「生孩六月、慈父見背」とあるが、慈父(愛情深い父)に死なれたのは自分であって、もちろん慈父ではない。つまり、慈父は施事主語であって受事主語ではない。この文は意味的に「慈父背我」(愛情深い父は私をおいて亡くなる)の意である。普通「見」が受身の助動詞であれば、「我見背於慈父」にならなければならないので、二文を比べれば、「見」が受身の助動詞ではないことは明らかだ。

 さてここで、「何遽見迫邪」が「我何遽見迫邪」であれば、迷うことなく「我」は受事主語で、「見」は受身の助動詞ということになり、より丁寧に書き改めれば、「我何遽見迫於狼邪」となる。しかし、もし主語が「狼」ということになれば、話は別だ。つまり、「狼何遽見迫邪」であれば、「狼何遽迫我邪」と意味的に同じになり、「狼がどうして私に迫るのか」という意味になる。


 断定はしにくいが、三老に問うという約束で、まだ一人に会ったばかり、それなのに「なにゆえ私に迫るのか」と言うのが自然な言い方で、迫られるのかがもって回った言い方だとすれば、「見」は受身の助動詞ではなく、一人称話者の省略を示すものとした方がよい。この「見」の特殊用法には異説が多く、研究が待たれるところである。


 「邪」は、反詰の語気詞。


 古今説海本は「何遽見食邪」(何遽ぞ見(われ)を食らふや)に作る。「どうして私を食べるのか」の意。


(51)【復与偕行】

 「復」は、ふたたび、さらにの意の副詞。

 「与偕行」は、4の(45)に既出。