『中山狼伝』注解4

(内容:中国で、忘恩の狼として有名な『中山狼伝』の文法解説。その4。)

『中山狼伝』注解4

■原文
(1)良久、(2)羽旄之影漸没、車馬之音不聞、(3)狼度簡子之去已遠、(4)而作声嚢中曰、「(5)先生可留意矣。(6)出我嚢、解我縛、抜矢我臂。(7)我□□矣。」(8)先生挙手出狼。(9)狼咆哮謂先生曰、「(10)適為虞人逐、(11)其来甚遠。(12)幸先生生我、(13)我餒甚。(14)餒不得食、亦終必亡而已。(15)与其饑死道□為群獣食、(16)毋甯斃於虞人、(17)以俎豆於貴家。(18)先生既墨者、(19)摩頂放踵、思一利天下。(20)又何吝一躯啖我、而全微命乎。」(21)遂鼓吻奮爪以向先生。(22)先生倉卒以手搏之。(23)且搏且卻、(24)引蔽驢後、(25)便旋而走。(26)狼終不得有加於先生、(27)先生亦極力拒、(28)彼此倶倦、(29)隔驢喘息。先生曰、「(30)狼負我、狼負我。」狼曰、「(31)吾非固欲負汝。(32)天生汝輩、固需吾輩食也。」(33)相持既久、(34)日晷漸移。(35)先生窃念、「(36)天色向晩。(37)狼復群至、(38)吾死矣夫。」(39)因紿狼曰、「(40)民俗、事疑、必詢三老。(41)第行矣。(42)求三老而問之、(43)苟謂我当食、即食。(44)不可、即已。」(45)狼大喜、即与偕行。

■訓読
(やや)久しうして、羽旄(うぼう)の影漸(やうや)く没し、車馬の音聞こえず、狼簡子の去ること已に遠きを度(はか)りて、声を嚢中(なうちう)に作(な)して曰はく、「先生意を留むべし。我を嚢(ふくろ)より出だし、我が縛(いまし)めを解き、矢を我が臂(ひ)より抜け。我□□。」と。先生手を挙げて狼を出だす。狼咆哮(はうかう)して先生に謂ひて曰はく、「適(まさ)に虞人の逐(お)ふところと為り、其の来たるや甚だ遠し。幸(さいは)ひに先生我を生かすも、吾餒(う)うること甚だし。餒(う)ゑて食らふを得ずんば、亦た終(つひ)に必ず亡(し)せんのみ。其の道□に饑死(きし)して群獣の食と為らんよりは、甯(むし)ろ虞人に斃(たふ)れて以て貴家に俎豆(そとう)たること毋(な)からんや。先生は既に墨者にして、頂(いただき)を摩(ま)して踵(くびす)に放(いた)るも、一(いつ)に天下に利せんと思はん。又た何ぞ一躯(いつく)我に啖(くら)はして、微命(びめい)を全うするを吝(を)しまんや。」と。遂に吻(ふん)を鼓(こ)し爪を奮(ふる)ひて以て先生に向かふ。先生倉卒(さうさつ)として手を以て之を搏(う)つ。且つ搏ち且つ卻(しりぞ)き、驢の後ろに引き蔽(かく)れ、便旋(べんせん)として走る。狼終(つひ)に先生に加ふる有るを得ず、先生も亦た力を極めて拒み、彼此(ひし)倶に倦(つか)れ、驢を隔てて喘息(ぜんそく)す。先生曰はく、「狼我に負(そむ)く、狼我に負く。」と。狼曰はく、「吾固より汝に負かんと欲するに非ず。天汝が輩(やから)を生(しやう)ずるは、固より吾が輩の食を需(もと)むればなり。」と。相持(ぢ)すること既に久しく、日晷(につき)(やうや)く移る。先生窃(ひそ)かに念(おも)ふに、「天色(てんしよく)晩に向かふ。狼復た群れなして至らば、吾死せんかな。」と。因(よ)りて狼を紿(あざむ)きて曰はく、「民俗、事(こと)疑はしくは、必ず三老に詢(と)ふ。第(た)だ行かん。三老を求めて之に問ひ、苟(いやし)くも我当に食らはるべしと謂へば、即ち食らへ。不可なれば即ち已(や)めよ。」と。狼大いに喜び、即ち与偕(とも)に行く。

■訳
 ずいぶん経って、羽旄の旗の影もしだいに見えなくなり、車馬の音も聞こえなくなり、狼は簡子がすでに遠く去ったことを見計らって、袋の中で声を出して言った、「先生ご留意ください。私を袋から出し、私の縛めを解き、矢を私の腕から抜いて下さい。(そうしたら)私は□□。」先生は手を上げて狼を(袋から)出した。狼はほえて先生に言った、「今さっき虞人に追われ、彼らは(私を追いかけ)ずいぶん遠くからやって来ました。さいわい先生が私を生かしてくださいましたが、私はとてもお腹がすいています。飢えて(何か)食べなければ、やはり最後には必ず死んでしまうばかりです。道□で餓死して動物たちに食べられるよりは、虞人の手にかかって死にお偉いさんの家で供え物になるほうがよい。先生は墨者であるからには、頭から足のかかとまで身をすり減らしても、ひとえに天下に利を与えようとお考えのはずです。どうして一身を私に食べさせてかすかな命を全うさせることを惜しまれるでしょうか。」(狼は)そのまま口先を突き出し爪を立てて先生に向かった。先生は急いで手でこれ(=狼)を殴りつけた。(先生は)殴りつけたり退いたりしながら、驢馬の後ろに身を引き防ぎ、ぐるぐると逃げ回った。狼は最後まで先生に対して優勢に立つことがかなわず、先生も力を極めて狼を拒み、向こうもこちらもともに疲れ切ってしまい、驢馬を間においてハアハア喘いだ。先生は言った、「狼が私に背いた、狼が私に背いた。」狼は言った、「私はもともとお前に背こうとするわけじゃない、天がお前たちを(この世に)生み出したのは、もともと我らの食糧を必要としたからなんだよ。」ずいぶん長い間互いに譲らず、日の影はしだいに移っていった(=夕刻が迫った)。先生はひそかに考えた、「まもなく夕暮れになりそうだ。狼がさらに群れをなして来れば、私は死ぬであろうなあ。」そこで(先生は)狼をだまして言った、「民間の風習では、物事が判断しがたければ、必ず三人のお年寄りに教えを請います。ただただ行くばかりです。三人のお年寄りを探して問いただし、もし私が食われるべきだとおっしゃったら、食べなさい。だめだとおっしゃったら、(私を食べるのを)やめてください。」狼はおおいに喜んで、すぐに共に(三人のお年寄りを探しに)行った。

■注
(1)【良久】
「良」は程度副詞。非常に、とてもの意。「やや」と読み慣わすが、少しの意ではなく、「良久」はとても長い時間の経過を表す。

(2)【羽旄之影漸没、車馬之音不聞】
「羽旄」は、キジの羽と旄牛(カラウシ)の尾で作った旗で王の車に飾るもの。ここでは旗の代称として用いられている。

「之」は二つとも連体修飾を表す構造助詞。

「影」は、地平に遠ざかる簡子の隊列が日に照らされて影のように見えているのである。

「漸」は、しだいにの意の時間副詞。状態が少しずつ変化することを表す。

「没」は、消えるの意の動詞。

「聞」は、ここでは、聞こえるの意。

時間の経過と共に、簡子の隊列が地平に遠ざかって見えなくなり、隊列が立てる音も当然聞こえなくなったのである。

(3)【狼度簡子之去已遠】
「度」は、測る。ここでは推し量るの意の動詞。

「簡子之去已遠」は、本来「簡子去已遠」(主語「簡子」+謂語「去」+補語「已遠」)という独立した文が、主語と謂語の間に結構助詞「之」が置かれることにより、文の独立性が取り消され名詞句になったもの。それにより「度」の賓語になりやすくなったのである。「之」は主格を表すわけでも、「~が」という意味を表すわけでもない。「已遠」は謂語「去」に後置される修飾成分で補語という。「簡子が去ることが遠くなった」ではなく、「簡子が遠くに去った」の意。

(4)【而作声嚢中曰】
「而」は順接を表す連詞。古今説海本は「乃」に作る。

「作声嚢中」は「作声於嚢中」と同義。介詞が用いられていないので、謂語に対して二つの賓語「声」「嚢中」が置かれている文と考えてよい。「作声」で声を出すの意。

(5)【先生可留意矣】
「可」は、当然の意の助動詞。道理に照らして当然~しなければならないの意。

「留意」は、配慮するの意。「意」は気持ちの意、意味ではない。

「矣」は請願や命令の語気を表す語気詞。

すでに簡子が遠ざかったのだから、袋の中で窮屈な思いをしている自分(狼)に気づいて当然だということ。

(6)【出我嚢、解我縛、抜矢我臂】
「出我於囊、解我縛、抜矢於我臂」と同義。

「臂」は、腕。肩から手首までの部分をいう。

古今説海本は、この句の前に「願先生」の三字あり。また、「矢」を「流矢」に作る。

(7)【我□□矣】
原典二字欠。古今説海本は「我将逝矣」に作る。これだと、「我将に逝かんとす」(私は行くつもりです)の意になる。

(8)【先生挙手出狼】
「挙手」は、手を上げる。狼は袋の中に入って驢馬の上に載せられているので、先生は手を上げて出すことになる。「挙」を「以」と同義の介詞として「手で」と解せないことはないが、そうではあるまい。

(9)【狼咆哮謂先生曰】
「咆哮」は、動物がほえるの意の動詞。

「謂~曰」で、~に言うの意。「謂」は人に対して告げるが原義。3の(9)で述べたように、「曰」が音声を発するが原義であることから、組み合わせて用いられるのだ。

古今説海本は、「狼出咆哮謂先生曰」に作る。

(10)【適為虞人逐】
「適」は時間副詞。ちょうど今、たった今の意。動作行為が発生したばかりであることを表す。

「為虞人逐」は、受身の構文。虞人に追われるの意。「A為BC」(ABのCと為る)で「AがBにCされる」という意味を表すのがもともとの古い用法で、『韓非子・五蠹』の「身為宋国笑」(その身は宋国の笑いものになる→その身は宋国の人に笑われる)が有名。本来、「BC」は「BのCするもの、BのCする対象」という名詞句で「為」の賓語であったものが、意味的に受身で解されたと考えるのが妥当。この形は「A為B所C」(ABのCする所と為る)の形に発展して、「B所C」が名詞句であることがより明確となり、意味的に安定した受身の意味を表すようになった。したがって、「為虞人逐」は「為虞人所逐」(虞人の逐ふ所と為る)と書き換えることが可能である。しかし、中国では概ねこの用法の「為」を動詞ではなく受身の対象を表す介詞として、介詞句「為虞人」(虞人に)が謂語「逐」を連用修飾する形と考えられている。戦国時代の『韓非子』の例はこの形の原型を示すものとして「為」を動詞と説明できるにしても、本文の場合は明代の表現であり、必ずしも動詞「為」ではなく、受身の介詞として「為」が用いられている可能性も否定できない。

「逐」は、あとを追うの意の動詞。

古今説海本は「虞人」を「趙人」に作る。

(11)【其来甚遠】
「其」は指示代詞。直前の「虞人」を指す。

「其来甚遠」は、主語「其」+謂語「来」+補語「甚遠」という構造。語法的には「彼らはとても遠くからやって来た」の意で、補語「甚遠」は謂語を後置修飾している。なお、旧小説本は「其来甚速」(其の来たること甚だ速し)に作る。この方が意味は通る。

(12)【幸先生生我】
「幸」は、運よく、都合よくの意の情態副詞。文頭に置かれるため、主語の名詞の前に置かれることもある。古今説海本は「幸」を「雖」に作る。これだと「先生我を生かすと雖も」(先生は私を生かしてくださったが)となり、譲歩の意味が明確になる。

「生我」は、私を生かすの意。自動詞「生」(生きる)が賓語「我」をとることにより、生かすの意の使役の意の他動詞になっている。このような用法を自動詞の使動用法というのだ。

(13)【我餒甚】
「餒」は、腹をすかせる、腹が減るの意の動詞。

この句は、主語「我」+謂語「餒」+補語「甚」の構造。「私は腹が減ることが甚だしい」のではなく、「私はとても腹が減る」の意。
遠くからずっと簡子に追われ続けて、食を得る間もなく、腹がすいているのである。

古今説海本は、「然饑餒特甚」に作る。これだと「然れども饑餒すること特(こと)に甚だし」(しかしとても飢えています)の意。

(14)【餒不得食、亦終必亡而已】
仮定の連詞は用いられていないが、文意から仮定を表す複文。

「不得食」は、「得」を動詞として「食べ物を得られなければ」とも、可能の助動詞として「食べられなければ」とも解せる。

「亦」は、重複副詞として、前を受けて「(先生に生かしてもらえなければ死んでいたが、食べ物が得られなければ)やはりまた(死ぬ)」の意を表す。別に限定の語気詞「而已」などと呼応して、限定の意味を表す範囲副詞としての用法もあり、この箇所も形式的にはあてはまるが、重複副詞として解した方がよいか。

「終」は、途中を見すえつつ最終的な結末を表す時間副詞。ここでは、結局、最終的にはの意。食べ物が得られて飢えを解消できればよいが、そうでなければ最終的には必ず死ぬことになると言いたいわけだ。

「亡」は、死ぬの意の動詞。「逃げる」が原義の語だが、引申して「失う」、さらに「滅ぶ」の意になり、「死ぬ」はそれからの引申義である。

「而已」は限定の語気詞。限定だからといって「だけだ」と訳すとは限らない。限って定めるのが限定で、「~するばかりだ・~に過ぎない・~に他ならない」と訳すことも多い。

古今説海本は、この句を「使不食、亦終必亡而已矣」に作る。「使(も)し食らはずんば、亦た終に必ず亡せんのみ」(もし食べなければ、最終的には必ず死んでしまいます)の意。

(15)【与其饑死道□為群獣食】
後の「毋甯斃於虞人、以俎豆於貴家」と共に複文の前句をなす。いわゆる選択の形で、「与其~、寧―」(~するより、―するほうがよい)の形をとるのが代表的な構文。

「与其」は複合連詞で、二つの選択項目のうち捨てる内容を後に伴う。「~よりは」の意。「其」は「そノ」と訓読するが指示代詞ではないので、「その」とは訳さない。「其」単独でも、二つのものを比較選択する用法があり、韓愈『雑説』の「嗚呼、其真無馬邪、其真不知馬也」(ああ、本当に馬がいないのか、それとも本当に馬を知らないのか)が有名。

「饑死道□」は、原本一字を欠く。古今説海本は「餓死道路」、旧小説本は「飢死道路」に作る。闕字は「路」であろう。ちなみに「饑死」は、「飢えて死ぬ=飢えた結果死ぬ」の意で、このような「死」を動詞謂語の後に置かれる結果補語という。

「為群獣食」は「獣たちに食われる」という受身を表す。(10)参照。

古今説海本はこの句を「与其餓死道路為烏鳶食」に作る。

(16)【毋甯斃於虞人】
後の「以俎豆於貴家」と併せて、選択複文の後句をなす。こちらが選択する内容になる。

「毋甯」は、「無寧」「亡寧」などと同じ。「甯」は「寧」と同じ。否定副詞「無」や「毋」「亡」などの後に連詞「寧」を伴い、「~する方がよくなかろうか(~する方がよい)」という反語を形成するが、意味的に「寧~」(~する方がよい)と同じことを表すことになる。訓読では「寧ろ~すること無からんや」とも、二字あわせて「無寧(むし)ろ~せん(か)」とも読まれる。なお、「寧」は本来「安らかである」の意の形容詞。そこから「~する方がよい」という意味の連詞として用いられるようになったのだ。「むしろ」という日本語の語感から「いっそ~しろ・いっそ~しよう」というやや投げやりな意味に誤解されるが、そのような語気はこもらない。

「斃於虞人」は、「斃」が死ぬの意の動詞、介詞句「於虞人」が受身の対象を表す補語として後置修飾する形。虞人に殺されるの意。

古今説海本は「毋寧斃於虞人之手」に作る。

(17)【以俎豆於貴家】
「以」は連詞。「而」に同じ。

「俎豆」は、本来、供え物を載せる祭礼用の器具の意。「俎」は生け贄を載せる台。「豆」は高坏(たかつき)。この字はもともとが「高坏」の象形文字で、いわゆる「マメ」は後の仮借義。この名詞「俎豆」が介詞句「於貴家」をとることにより動詞に活用して「供え物になる」という意味を表すのだ。

介詞句「於貴家」は「貴人の家で」の意。介詞「於」は場所を表す。

さて、この選択複文は簡単にいえば「餓死して獣に食われるより、虞人に殺される方がよい」ということになるが、狼の本心はどちらを選ぶ気もさらさらなく、その虞人に殺される危機を脱した以上は、生き延びて空腹を満たす道を選ぶ(=先生を食べる)のが当然というのが本心である。

古今説海本は、「以俎豆趙孟之堂也」に作る。

(18)【先生既墨者】
「既」は、複文の前句で用いられて推論の根拠を示す連詞。~である以上、~であるからにはの意。もと完了の副詞であることから、すでに一つの事実が確定している以上、当然の帰結として次のようになると推定する意味を表すのだ。ここでは「先生が墨者である以上、墨者であるからには」の意。

「墨者」は既出。2の(1)参照。

(19)【摩頂放踵、思一利天下】
『孟子・尽心上』に「墨子兼愛、摩頂放踵、利天下、為之」(墨子は兼愛を旨として、頭のてっぺんから足のかかとまですり減らしても(=身をすり減らして苦労しても)、天下のためになるなら、それをする)に基づく表現。

「摩」は、する、こするの意の動詞。

「頂」は、頭のてっぺん。

「放」は、至るの意の動詞。

「踵」は、足のかかと。

「思一利天下」は、先に引用した『孟子』では「利天下」とあり、また古今説海本では「利天下、為之」に作る。このことから、「思」の賓語「一利天下」は名詞句だが、また、「一利」は賓語「天下」をとる動詞謂語だとわかる。「一」は、数詞が活用して、ひとえに、ひたすらの意の副詞となって謂語「思」を連用修飾している。あるいは「一利」を一点の利に解して、わずかばかりの利益でも与えようと解することもできる。

(20)【又何吝一躯啖我、而全微命乎】
「又」は既出。3の(14)参照。

「何」は反語の語気副詞。文末の語気詞「乎」と呼応し、「何~乎」の形で、どうして~しようかの意。

「吝」は、惜しむ、けちけちするの意の動詞。

「一躯啖我」は、底本の『叢書集成初編』所収の『東田文集』では「一駆啖我」に作るが、意味が通らず、『畿輔叢書』巻三に収める『東田文集』が「躯」に作るのをもとに字を改めた。

「一躯啖我」は謂語「吝」の賓語であるが、主題主語「一躯」+謂語「啖」+賓語「我」の構造をとるものと思われる。兼語句のようにも、また介詞「以」を省略した句のようにも解せるが、そのままでも意味は通る。「啖」は食うの意の自動詞であるが、賓語に「我」をとることにより、他動詞に転じている。(12)に既出の使動用法だ。

「而」は連詞。ここでは順接を表す。

「全」は、完全な状態に保つの意の動詞。

「微命」は、かすかな命。

古今説海本は、この句を「何吝一躯不以啖我而活此微命乎」に作る。「何ぞ一躯を吝しんで我に啖らはするを以て此の微命を活かさざらんや」(どうして一身を惜しんで私に食べさせることでこのかすかな命を活かしてくださらないでしょうか)の意。

(21)【遂鼓吻奮爪以向先生】
「遂」は、2の(42)に既出。「(そう言って)そのまま」の意。

「鼓吻」は、口を突き出す。「鼓」は、突き出す、伸ばすの意。「吻」は、口先。

「奮爪」は、爪を立てる、爪を張るの意。「奮」は、勢いよく広げるの意から、このように解した。

「以」は連詞だが、「鼓吻奮爪」を受けて、「その状態で」の意を表し、介詞の働きをまだ残している。

(22)【先生倉卒以手搏之】
「倉卒」は、あわただしいさまを表す情態副詞。双声(頭の子音が同じ)の語で、漢字そのものに意味があるわけではなく、音によって状態を表現するのが特徴。ここでは急ぐさまを表しているが、当然訳しにくい。ふさわしいことばがないので「急いで」と訳したが、「倉卒」と大きく意味が異なってしまうが、響きとしては「さっさと」とでも訳した方が元の双声を生かした訳にはなる。

「以手搏之」は、介詞句「以手」+謂語「搏」+賓語「之」の構造。介詞「以」は手段を表し、~での意。「搏」は、なぐる、たたくの意の動詞。指示代詞「之」の指示内容は狼。

(23)【且搏且卻】
「且」は連詞。「且A且B」の形で重ねて用い、二つの動作行為が同時に現れたり、連続したりすることを表す。AとBは、反対の内容になることも多く、ここでも「搏=なぐって攻撃する」と「卻=退いて逃げようとする」は、積極消極の真逆の行為になっている。

(24)【引蔽驢後】
「引蔽」は、退いて隠れるの意の動詞。「引」は待避する、「蔽」は隠れるの意。古今説海本は「擁蔽」に作る。

(25)【便旋而走】
「便旋」は、畳韻語で、韻母(頭の子音を除いた残りの部分)が同じ漢字で構成されている。ぐるぐるとぐらいの意。連詞「而」と共に「便旋而」で謂語「走」を連用修飾している。

「走」は、逃げるの意の動詞。「敗走」「逃走」などがその意味の熟語。

古今説海本はこの句の前に「狼逐之」あり。
また、この句の後に「自朝至於日中昃」の句あり。「朝より日の中し昃(かたむ)くまでに至る」(朝から日が高くのぼり傾くまでに至った)という意味。前句「便旋而走」を受けて、逃げ回る時間が長かったことを表すことになる。

(26)【狼終不得有加於先生】
「終」は既出。(14)参照。ここでは「最後まで」の意。「結局」と訳してもよいが、最後まで状況が変わらず先生を捕まえ食べることができなかったということ。

「不得」は、否定副詞「不」と可能の助動詞「得」。この「得」は行為や状況の客観的な可能性を表す。つまり先生の抵抗が激しい上に、ぐるぐる逃げ回られて、「狼が先生に対して優位に立つということが」状況的にあり得ないの意だ。ちなみに古今説海本は「不能」に作る。これだと能力的に狼が捕まえ食べることができなかったことになる。

「加」は、優位に立つ、優勢になるの意の動詞。上にものを加えるの意からの引申義。

「於先生」は介詞句。「於」は対象を表し、~に対しての意。

「不得有加於先生」は、謂語「不得有」+賓語「加於先生」の構造。この賓語は動詞句なので、それなら「不得加於先生」でも同じではないかということになりそうだが、「有」は「先生に対して優位に立つ」という事実の存在を示しているのだ。つまりあえて訳し分ければ、「不得加於先生」は「先生に対して優位に立てない」だが、「不得有加於先生」は「先生に対して優位に立つという状況があり得ない」となる。同じことのようだが、狼が優位に立てないという主体の動作行為に重点が置かれているのではなく、優位に立つという状況の存在があり得ないことを紹介することに重点が置かれているのだ。古典中国語ではこのように「有」の賓語に動詞句が置かれることがよくあるが、その場合の動詞句は賓語としての性質上名詞句とみなさなければならず、それに述べられる事実の存在に力点が置かれた表現として、「有」のない文との違いを理解しなければならない。

(27)【先生亦極力拒】
「亦」は既出。3の(37)参照。狼が優位に立てないものの先生を捕まえようと力を尽くしたのと同じく、先生もまた力を尽くして拒んだということ。

「極力拒」は、力を極めて拒むの意。「極力」という句が謂語の中心語「拒」を連用修飾する形。

古今説海本は「先生亦極力為之拒」(先生も亦た力を極め之が為に拒み)に作る。

(28)【彼此倶倦】
「彼此」は、「彼」は遠指、「此」は近指の代詞。それぞれ狼と先生を指す。

「倶」は、すべて、みなの意の範囲副詞。

「倦」は、疲れるの意の動詞。「うム」と読んでもよいが、飽きるの意ではない。

古今説海本は「遂至倶倦」(遂に倶に倦るるに至る)に作る。

(29)【隔驢喘息】
「隔驢」は、驢馬を間に置いての意。狼と先生の間に驢馬がいるわけだ。

「喘息」は、あえぐ、息切れするの意の動詞。病名の「喘息」は日本での用語。先生も狼も疲れ切って息切れしているのだ。

(30)【狼負我】
「負」は、そむく。「背」に通じ「背にものを載せる」が原義。その引申義で、背を向けるから人に背くの意を生じた。先に、助けてくれれば先生からうけた恩義は忘れないと言った狼の約束を踏まえる。

(31)【吾非固欲負汝】
「吾」は既出。2の(21)参照。

「非」は否定副詞。ここでは「固欲負」(もともと背こうとする、背くつもりである)を修飾否定して「もともと背こうとはしない、もともと背くつもりはない」という意味を表す。通常名詞や名詞句の前に置かれて謂語となり、主語と謂語の関係を打ち消す(AはBでない)判断文を構成するが、この例のように動詞述語の前に置かれることもあり、その場合、働きは「不」と変わらない。

「固」は、ここでは、本来、もともとの意の情態副詞。

「欲」は、意志や希望を表す助動詞。~しようとする・思う、~したいと思うの意。

「汝」は二人称代詞。あなた、おまえの意。「女」も同じ。傾向として「汝・女」は一人称代詞「吾」と組み合わされ、「爾」は「我」と組み合わされる例がよく見られる。

「吾非固欲負汝」は、否定副詞「非」によって否定される内容が副詞「固」によって修飾限定されているために、「もともと~しようとするわけではない」というニュアンスをもつ。東郭先生に「狼が私に背いた」と非難され、もとから背くつもりだったわけではないと自己弁護したわけだ。

(32)【天生汝輩、固需吾輩食也】
「汝輩」は、おまえたちの意。「輩」は多数を表す代詞。人称代詞の後に置かれ、複数を表す。後の「吾輩」(われら)も同じ用法。「汝輩」は先生を含めて人間一般、「吾輩」は狼一般を指す。

「固」は前項に同じく、本来、もともとの意。

「需」は、必要とする、求めるの意の動詞。

「吾輩食」は、われらの食糧。この「食」は名詞。

「也」は、断定の語気を表す語気詞。

この文は前句が主語、後句全体が謂語の判断文で、後句が前句の理由を説明する構造になっている。
前文で「吾非固欲負汝」と述べて、非は自分にあるのではなく天の意志なのだと、自己を弁護しているわけだ。

なお、狼のことば「吾非固欲負汝。天生汝輩、固需吾輩食也」の二文は古今説海本にはなく、「吾不獲食汝不止」に作る。これだと、「吾汝を食らふを獲(え)ずんば止(や)まず」(私はあなたを食べないでは済まない)という意味になる。

(33)【相持既久】
「相持」は、相互に譲らないの意。「相」は、互いにの意の範囲副詞。相互の動作行為が相手に及ぶ意を表す。「持」は、対峙する、互いに譲らないの意の動詞。

「既久」は、長い時間の経過を表す。「既」は完了を表す時間副詞で、ここでは「久」を修飾して久しい時間がすでに経過したことを示す。

この句の構造は、謂語「相持」+補語「既久」で、ずいぶん長い時間互いに譲らなかったの意。

(34)【日晷漸移】
「日晷」は、太陽(日)によってできる影(晷)。

「漸」は、少しずつ、しだいにの意の時間副詞。少しずつ状態が現れ出ることを表す。

先生と狼が、長い時間互いに譲らず対峙し続けることによって、日が傾いて夕刻が近づいたことを示しているのだ。古今説海本は「荐」に作る。さらに重ねての意か。

(35)【先生窃念】
「窃」は、こっそりの意の情態副詞。「窃」は盗み出すが原義で、そこからの引申義。

「念」は、思う、考えるの意の動詞。

古今説海本はこの句を「先生心口私語曰」に作る。「先生心口に私(ひそ)かに語りて曰はく」(先生は心の中でひそかに思い言った)の意。

(36)【天色向晩】
「天色」は、空の様子の意。「色」は、自然の様子を表す。「春色」「秋色」「暮色」などがこの意味の熟語。

「向」は、近づくの意の動詞。

「晩」は、日暮れ。太陽が沈む頃を指す。

古今説海本は「天色苟暮」に作る。「天色苟(いささ)か暮れんとするに」(空はまもなく暮れそうであるのに)の意。

(37)【狼復群至】
「復」は、程度副詞。さらにの意。状況が深まることを表す。もう一度という意味ではない。

「群至」は群れてやってくるの意。「群」も「至」もどちらも動詞だが、謂語の中心語は「至」で、「群」はそれを連用修飾する形で用いられているのだ。

今、先生が対峙している狼は一匹に過ぎぬが、もともと群れをなして行動する動物であるのは周知のことで、また本来夜行性でもあるので、夜の到来と共に、群れて襲来することを恐れたのだ。

古今説海本は「狼若群至」に作る。これだと「狼若(も)し群れて至らば」(狼がもし群れをなして来れば)の意味になる。

(38)【吾死矣夫】
「矣夫」は、詠嘆の語気を表す語気詞。

(39)【因紿狼曰】
 「因」は、それで、そこでの意の連詞。前文を受けて、それが原因で、それをもとになど、前文の内容をもとに、次のことが起こることを表す。古今説海本は「因」の字を欠く。

 「紿」は、だます、欺くの意の動詞。「詒」(欺くが本義)に通じる。

(40)【民俗、事疑、必詢三老】
 「民俗」は、民間の習俗、習慣の意。

 「事疑」は、「物事が疑わしい」の意か。この語順からは主語「事」+謂語「疑」になり、「疑」は「確定しがたい」の意の形容詞であろうと思われる。動詞ではあるまい。「何かどうすればよいか判断のつかない場合は」ということ。古今説海本は「為疑」(疑ひを為さば)に作る。

 「詢」は、はかる、教えを請うの意の動詞。

 「三老」は、三人の老人。漢代に地方の教化に携わったその土地の賢老をいうが、ここでは単に三人の教養ある老人のこと。

(41)【第行矣】
 「第」は範囲副詞ではあるが、範囲の限定以外に、主に会話文で用いられて、条件や制限を顧慮する必要がないことを表すことがある。ただひたすら、ただただ、かまわずに、思いっきりなどの意を表す。「但」「弟」などにも見られる用法。

 「矣」は、ここでは限定の語気を表す語気詞。「第」と呼応して、ひたすら~するばかりだという意味を表すのだ。

(42)【求三老而問之】
 「求」は、探す、探し求めるの意の動詞。

 「而」は、順接の連詞。

 「問之」は、彼らに問うの意。「之」は人称代詞で、三老を指す。「問」は本来双賓文をつくる動詞で、「問+誰に+何を」の構造をとるので、「問之」の場合も、代詞が人称代詞のことが多い。「これを問う」ではあるまい。古今説海本は「質之」(之を質(ただ)し)に作る。

(43)【苟謂我当食、即食】
 「苟」は、仮定の連詞、もしもの意。「苟」の本義については、草の名とも、犬が跪く姿とも、羊の群れに声をかけて追い立てる様子であるとも、諸説あり、よくわからない。形容詞として「いいかげんなさま」、副詞として「いいかげんに、間に合わせに」「しばらくの間」などの意味を表すが仮借義であろうか。一時的でかりそめな意味を表す一方で、「まことに、ひたすら」という限定的な意味を表すのは、そこからの引申義であろうと思う。仮定の連詞として、複文の前句で用いられて「もし」という意味を表すが、「ほんの少しでも仮に」「今しばらく仮に」という引申義であろうか。不明な部分があるが、「もし、もしも」と訳せばよく、ことさらに「かりにも」と訳さなければならないわけではない。訓読では「いやしクモ」「いやシクモ」と読むが、「もシ」と読まれることもある。

 「謂」は既出。(9)参照。自分に対して「我当食」と言えばの意。

 「我当食」は、私はたべられるべきだの意。「当」は助動詞、~すべきであるの意。この句は、「我」が受事主語であるために「食べられるべきだ」という受身を表す。古典中国語においても、受身は助動詞「見」「被」や、介詞「於」「于」や「被」、あるいは「―為…所~」などの、当然受身になるべき語や構造によって受身を表すのが普通だが、この例のようにそのようなものなく、主語が受事主語であるために受身を表すこともあるのだ。

 「即」は副詞。前に述べた条件で必然的に次の事態になることを表す。とりもなおさず・必ずなどの意。無理に訳さずともよい。ここでは、三老に判断を委ねているのだから、東郭先生は狼に食べられるべきだと彼らが判断すれば、必然的に食べられるべきだ」との意。

 古今説海本は、「即食」の部分を「我死且無憾」(我死すとも且つ憾み無し)に作り、後の「不可、即已」を欠く。

(44)【不可、即已】
 「苟謂不可食、即已」(もし(三老が)食べてはいけないと言えば、(食べるのは)やめよ)の省略形。

 「不可」は、否定副詞「不」と助動詞「可」。「可」は、~してよいの意なので、「不可」は、~してはいけないという不許可の意味になる。

 「已」は、やめる、停止するの意の動詞。

 前項とともに「食らへ」「已めよ」と命令形で読んだが、自然な日本語になるように訳しただけで、文自体が命令の意味を表しているわけではなく、二つの条件で場合分けをしているに過ぎない。

 古今説海本にはこの句なし。

(45)【狼大喜、即与偕行】
 「即」は、ここでは即時を表す時間副詞。すぐに、ただちにの意。

 「与偕」は、「彼(=東郭先生)と共に」の意。「与」は動作を共にする対象を示す介詞。「偕」は「ともに、一緒に」の意の範囲副詞。「与先生偕行」(先生と共に行く)の省略形だが、古典中国語ではよく介詞「与」の賓語が省略されて、「与偕」「与倶」などの形をとることがあるのだ。場合によっては謂語まで省略されることもある。本文も、もし出かけるということが文意から明らかであれば、「狼大喜、即与偕」と表記することも可能である。その場合は「与偕」や「与倶」をサ変動詞に訓じて、「ともニス」または「ともニともニス」などと読むのだ。いわば訓読の工夫である。