『中山狼伝』注解7
(内容:中国で、忘恩の狼として有名な『中山狼伝』の文法解説。その7。)
『中山狼伝』注解7■原文
(1)遥望老子扶藜而来、(2)鬚眉皓然、(3)衣冠間雅、(4)蓋有道者也。(5)先生且喜且愕、(6)舎狼而前、(7)拝跪啼泣、(8)致辞曰、「(9)乞丈人一言而生。」丈人問故。先生曰、「(10)是狼為虞人所窘、(11)求救於我、(12)我実生之。(13)今反欲咥我。(14)力求不免、(15)我又当死之。(16)欲少延於片時、(17)誓定是於三老。(18)初逢老杏、(19)強我問之、(20)草木無知、(21)幾殺我。(22)次逢老牸、強我問之、(23)禽獣無知、(24)又幾殺我。(25)今逢丈人、(26)豈天之未喪斯文也。(27)敢乞一言而生。」(28)因頓首杖下、(29)俯伏聴命。丈人聞之、(30)欷歔再三、(31)以杖叩狼曰、「(32)汝誤矣。(33)夫人有恩而背之、(34)不祥莫大焉。(35)儒謂受人恩而不忍背者、其為子必孝。(36)又謂虎狼之父子。(37)今汝背恩如是、(38)則併父子亦無矣。」(39)乃厲声曰、「(40)狼速去。(41)不然、将杖殺汝。」(42)狼曰、「(43)丈人知其一、未知其二。(44)請愬之。(45)願丈人垂聴。(46)初、先生救我時、束縛我足、(47)閉我嚢中、(48)圧以詩書。(49)我鞠躬不敢息。(50)又蔓辞以説簡子。(51)其意蓋将死我於嚢而独窃其利也。(52)是安可不咥。」(53)丈人顧先生曰、「(54)果如是、(55)是羿亦有罪焉。」(56)先生不平、(57)具状其嚢狼憐惜之意。(58)狼亦巧弁不已、(59)以求勝。丈人曰、「(60)是皆不足以執信也。(61)試再嚢之。(62)我観其状果困苦否。」(63)狼欣然従之、(64)信足先生。(65)先生復縛置嚢中、(66)肩挙驢上。(67)而狼未之知也。(68)丈人附耳謂先生曰、「(69)有匕首否。」先生曰、「有。」(70)於是出匕。(71)丈人目先生、(72)使引匕刺狼。先生曰、「(73)不害狼乎。」(74)丈人笑曰、「(75)禽獣負恩如是、(76)而猶不忍殺。(77)子固仁者、然愚亦甚矣。(78)従井以救人、(79)解衣以活友、(80)於彼計則得、(81)其如就死地何。(82)先生其此類乎。(83)仁陥於愚、固君子之所不与也。」(84)言已大笑。(85)先生亦笑。(86)遂挙手助先生操刃、(87)共殪狼、(88)
棄道上而去。
■訓読
遥かに老子の藜(れい)を扶(つ)きて来たるを望む、鬚眉(しゆび)皓然(かうぜん)として、衣冠間雅、蓋(けだ)し道有る者ならん。先生且つ喜び且つ愕(おどろ)き、狼を舎(お)きて前(すす)み、拝み跪(ひざまづ)きて啼泣(ていきふ)し、辞を致して曰はく、「丈人(ぢやうじん)の一言を乞ひて生かしめよ。」と。丈人故を問ふ。先生曰はく、「是の狼虞人の窘(くる)しむる所と為り、救ひを我に求め、我実(まこと)に之を生かす。今反(かへ)つて我を咥(か)まんと欲す。力(つと)めて求むるも免れず、我又た当(まさ)に之に死すべし。少(しばら)く片時に延ばさんと欲し、是れを三老に定めんと誓ふ。初め老杏(らうきやう)に逢ひ、我に之に問はんことを強(し)ふるも、草木知無く、幾(ほとん)ど我を殺さんとす。次に老牸(らうし)に逢ひ、我に之に問はんことを強ふるも、禽獣(きんじう)知無く、又た幾ど我を殺さんとす。今丈人に逢ふは、豈に天の未だ斯(こ)の文を喪(ほろ)ぼさざるならんか。敢へて一言を乞ひて生かしめよ。」と。因りて杖下(ぢやうか)に頓首(とんしゆ)し、俯伏(ふふく)して命を聴く。丈人之を聞き、欷歔(ききよ)すること再三、杖を以て狼を叩きて曰はく、「汝誤(あやま)てり。夫(そ)れ人恩有りて之に背く、不祥焉(これ)より大なるは莫し。儒は人の恩を受けて背くに忍びざる者は、其の子を為すや必ず孝なりと謂ふ。又た虎狼の父子を謂ふ。今汝恩に背くこと是(か)くのごとくんば、則ち父子すらも亦(ま)た無からん。」と。乃ち声を厲(はげ)まして曰はく、「狼よ速(すみや)かに去れ。然らずんば、将(まさ)に汝を杖殺(ぢやうさつ)せんとす。」と。狼曰はく、「丈人其の一を知るも、未(いま)だ其の二を知らず。請ふ之を愬(うつた)へん。願はくは丈人垂聴(すいちやう)せよ。初め、先生我を救ふ時、我が足を束縛し、我を嚢中(なうちう)に閉ぢ、圧するに詩書を以てす。我鞠躬(きくきゆう)して敢へて息(いき)せず。又た蔓辞(まんじ)以て簡子に説く。其の意、蓋し将に我を嚢(ふくろ)に死せしめて、独り其の利を窃(ぬす)まんとするなり。是れ安(いづ)くんぞ咥まざるべけんや。」と。丈人先生を顧みて曰はく、「果たして是くのごとくんば、是れ亦た羿(げい)にも罪有り。」と。先生は平らかならず、具(つぶ)さに其の狼を嚢(ふくろ)する憐惜(れんせき)の意を状(の)ぶ。狼も亦た弁を巧みにして已(や)まず、以て勝ちを求む。丈人曰はく、「是れ皆以て信を執るに足らざるなり。試みに再び之を嚢せよ。我其の状果たして困苦なりや否やを観ん。」と。狼欣然(きんぜん)として之に従ひ、足を先生に信(の)ばす。先生復た縛りて嚢中に置き、肩もて驢上(ろじやう)に挙ぐ。而れども狼未だ之を知らざるなり。丈人耳に附(つ)けて先生に謂ひて曰はく、「匕首(ひしゆ)有りや否や。」と。先生曰はく、「有り。」と。是(ここ)に於て匕を出だす。丈人先生に目くばせし、匕を引きて狼を刺さしめんとす。先生曰はく、「狼を害せずや。」と。丈人笑ひて曰はく、「禽獣恩に負くこと是くのごとくなるに、猶ほ殺すに忍びず。子(し)は固(まこと)に仁者なるも、然れども愚なることも亦た甚だし。井に従ひて以て人を救ひ、衣を解きて以て友を活かす、彼に於て計らば則ち得んも、其れ死地に就くを如何(いかん)せん。先生は其れ此の類(たぐひ)ならんか。仁の愚に陥るは、固(もと)より君子の与(くみ)せざる所なり。」と。言ひ已(を)はりて大いに笑ふ。先生も亦た笑ふ。遂に手を挙げ先生を助けて刃(やいば)を操(と)らしめ、共に狼を殪(たふ)し、道上に棄てて去る。■訳はるか向こうに老人がアカザを杖ついてやってくるのを見ると、あごひげや眉は白くつやつやとして、衣服や冠は雅やか、道を心得た人であろう。先生は喜びかつ驚いて、狼をおいて前へ進み、拝みひざまずいて声をあげて泣き、訴えて言った、「ご老体の一言を請い求めて生きさせて下さい(=助けて下さい)。」老人はわけを聞いた。先生が言った、「狼が虞人に追いつめられて、私に助けを求め、私が確かにこれを助けてやりました。今逆に私を噛み殺そうとします。必死で命乞いしましたが許してくれず、私は殺されそうでした。少しでも時間をかせぎたいと思い、これを三人のご老人の判断で決めると誓いました。最初老いた杏に会い、(狼は)私にこれ(=老いた杏)に問いただすことを強要しましたが、草木に知見などなく、私を殺すことになりかかりました。次に老いた雌牛に会い、(狼は)私にこれ(=老いた雌牛)に問いただすことを強要しましたが、動物にも知見なく、また私を殺すことになりかかりました。今ご老体にお目にかかったのは、天がまだこの文を滅ぼさないのでしょうか(=天がまだ私を見捨ててはいないのです)。はばかりながら、一言頂戴して(私を)生きさせて下さい(=助けて下さい)。」そこで(老人の)杖のもとに頓首し、ひれ伏して老人のことばを待った。老人はこれを聞いて、何度もすすり泣き、杖で狼を叩いて言った、「お前は間違っておるぞ。そもそも人たるもの恩義がありながらそれに背くことは、それ以上大きな悪はない。儒家は、他人の恩義を受けて背くにしのびないものは、その人に子供ができると(その子は)必ず孝行息子であるという。また虎や狼の親子(の情愛)をいう。今お前はこのように恩義に背いているなら、親子の情愛すらないであろう。」そこで声を荒げて言った、「狼よ、さっさと立ち去れ。さもなければお前を杖で殴り殺すぞ。」狼は言った、「ご老体は、物事の一面は理解しておられるが、その別の面はまだご存じない。どうか訴えさせてください。ご老体が(私の言うことに)耳を傾けてくださることを願います。最初、先生が私を救う際、わが足を縛り、私を袋の中に閉じ込めました。私は身をかがめて息しようともしなかった。(先生は)数々のでまかせを簡子に説いた。その狙いは、私を袋の中で死なせて、その利益をひとり盗もうとしたのでしょう。これはどうして咬まずにいられましょうか。」老人は先生を見て言った、「もし本当にそうなら、羿にも罪がある(=先生にも罪がある)ことになるな。」先生は穏やかでなく、残りなく自分が狼を袋に入れた時の哀れみの思いを述べた。狼も言葉上手に述べ続けて、勝ちを求めた。「どちらの言うことも信じられぬ。ためしにもう一度こいつ(=狼)を袋に入れてみよ。私がその状態が(狼の言うとおり)ほんとにつらく苦しいのかどうかを見よう。」狼は喜んでそのことばに従い、足を先生の方へ伸ばした。先生はまた縛って袋の中に入れ、肩で驢馬の上にかつぎあげた。しかし狼はまだそれに気づかなかった。老人は先生に耳打ちをして言った、「短刀をもっておるか。」先生は言った、「ございます。」そこで短刀を出した。老人は先生に合図して、短刀を抜いて狼を刺し殺させようとした。先生は言った、「狼を傷つけるのではありませんか。」老人は笑いながら言った、「動物がこんなに恩義に背いても、まだ殺すに忍びないでいる。あなたはたしかに憐れみ深い人ではあるが、愚かさもなんともひどいもんだな。井戸に入っていって人を救い(自分は溺れ死んだり)、衣服を脱いで友を生かす(自分は凍え死ぬ)のは、(助けられる)相手にとってはいいだろうが、(そのために自分が)死地に陥ることをどうしようか(いや、どうしようもない)。先生はこの類であろう。仁(=他者への恩愛)が愚行に陥るのは、君子(=徳ある人物)がよしとしないことである。」(老人は)言い終わって大いに笑った。先生も笑った。こうして(老人は)手を挙げて先生を助けて短刀を握らせ、共に狼を殺し、道ばたに棄てて立ち去った。
■注(1)【遥望老子扶藜而来】 「扶藜」は、藜の茎を杖つく。「扶」は杖をつくの意の動詞。「藜(れい)」は、アカザ科の一年草。赤紫色の若葉は食用になる。1.5m~2mぐらいの大木になり、枯れた茎は固くて軽く、杖に加工して用いることができる。
「扶藜而来」は、「扶藜」という句が連詞「而」と共に連用修飾句を作り、謂語「来」を修飾する構造。この用法の「而」はいわゆる順接ではない。
この句は、主語は東郭先生と考えるべき。その主語が省略されて、謂語「遥望」+賓語「老子扶藜而来」の構造になっている。したがって、「老子扶藜而来」は名詞句で、「老人が藜を杖ついて来る」様子、姿などの意味になっている。
古今説海本は、「遥望老子杖藜而来」(遥かに老子の藜を杖つきて来たるを望む)に作る。意味は同じ。
(2)【鬚眉皓然】 「鬚」は、あごひげ。ちなみに頬のひげを「髥」といい、口ひげを「髭」という。
「皓然」は、老人の真っ白な白髪のさまをいう。もとは白く清らかなさま。
(3)【衣冠間雅】 「衣冠」は、着物と冠。清代以前の中国では男子は冠をかぶるのが礼であった。
「間雅」は、優雅であるの意。
(4)【蓋有道者也】 「蓋」は、推定の副詞(推度副詞)。不確実なことに対して推し量る気持ちを表す。「きっと・たぶん・おそらく・思うに」などと訳す。「けだし」という訓読語の由来には諸説あってはっきりしないが、奈良時代から「万葉集」などに見える語で、「けだし」以外に「けだしく」「けだしくも」ともいい、疑問や仮定を表す表現に用いられた。平安時代以降は、和文ではほとんど用いられなくなったにもかかわらず、近代の文章で漢文訓読語から取り入れられて、再びよく用いられるようになった。もともとの用法は「万葉集」がそうであったように、はっきりしないことや疑わしいこと、仮に想定されることに対して用いるもので、それが「蓋」の推量・推測の語義の訓にあてられたのであろう。ところが「蓋」には推量・推測以外に、これから議論を巻き起こす発語の辞としての働き、また連詞として「~だからである」という理由を表す意味の時もあり、そのような場合まで「けだし」の訓をあてた経緯があるようで、「けだし」と読んでも、必ずしも推量・推測を表さない事情が生まれた。たとえば、『漢書・高帝紀下』の「蓋聞王者莫高於周文、伯者莫高於斉桓、皆待賢人而成名」(そもそも王は周の文王より優れたものはなく、覇者は斉の桓公より優れたものはいない、皆賢者の補佐により名をなしたと聞く)の例のように、「蓋」が発語の辞として議論を起こす時に用いていているもの。あるいは、欧陽修の「瀧岡阡表」に見える「非敢緩也、蓋有待也」(遅らせようとしたのではなく、時機を待っていたからだ)のように、連詞として「~だからである」という意味を表すもの。いずれの場合も、推量・推測の意味であるわけではない。したがって、「蓋」を「けだし」と読んであるからといって、すぐさま「思うに」と訳すのだと思い込んではならぬ。
ここでは、前句の「鬚眉皓然、衣冠間雅」という老人の身なりから、おそらく道を心得た人であろうと東郭先生が推し量ったのである。
「也」は、判断の語気を表す語気詞。
(5)【先生且喜且愕】 「且」は連詞。「且~且~」の形で、動作や行為が同時に起こることを表す。「~したり、~したりする」「~する一方で~する」の意。この例の「喜」「愕」のように、対立する語義の語が配置されることが多い。
「愕」は、ことの意外性に驚くの意。杏や雌牛という無知な輩に不本意な判断をされ、もはやだめかと思っていたところに、いかにも道を心得ていそうな身なりの老人を見つけて驚いたのである。
古今説海本は、「先生且愕且喜」で、「喜」「愕」が逆になっている。
(6)【舎狼而前】 「舎」は、捨てる、放棄する。「捨」に通ず。
「而」は連詞。「舎狼」と「前」の間に置かれて、時間軸の連動文を構成している。
「前」は、前に進むの意の動詞。
(7)【拝跪啼泣】 「拝跪」は、拝みひざまずく。「跪」は、片足または両足を地につけ、尻を持ち上げ腰を伸ばす動作。
「啼泣」は、声をあげて泣く。
古今説海本は、「拝跪涕泣」(拝み跪きて涕泣し)に作る。これだと「拝みひざまずいて涙を流して泣き」の意になる。
(8)【致辞曰】 「致辞」は、思いを述べる。「致」が送り届けるの意から、相手に感情を伝える、述べるの意になった。「辞」はことば。「辞書」「送辞」などがこの意。
(9)【乞丈人一言而生】 「乞」は、請い求める。
「丈人」は、老人に対する敬称。『論語・微子』に「子路従而後、遇丈人以杖荷蓧」(子路が孔子の供をして遅れ、竹かごを杖でかつぐ老人に出会った)とあり、包咸の注に「丈人、老人也」(丈人とは、老人である)とある。清の考証学者である劉宝楠の『論語正義』は、『淮南子・修務訓』の「丈人」に対する注「丈人、長老之称」(丈人は、長老の呼び名)とあるのを、包咸の注と合致するものとみなし、同じ『淮南子・道応訓』に「丈人、老而杖于人者」(丈人とは、老いて人に助けられるものである)とする注を「此説不免附会」(この説はこじつけを免れない)とし、「杖」と「丈」を結びつけて説明することに慎重である。そもそも『淮南子』の古注である後漢の高誘の注には、許慎の注も混在しており、修務訓と道応訓の注が、それぞれ高誘と許慎の別人による注である可能性も高い。臆断でものを言うことは慎まなければならないが、日本の辞書に「丈人」が老人の意であるのは杖を用いるからと書かれているものがあるのは、今ひとつ信憑性を欠く。
「乞丈人一言而生」は、「ご老体の一言を請い求めて(私を)生きさせてほしい」の意。つまりさきの杏や雌牛のような無知な見識でなく、まともなお言葉をひとつお願いして、私を助けてくださいということ。「生」は生きるの意だが、「乞丈人一言而」との関係から、生きさせる、生かすという使役の意味になる。
(10)【是狼為趙人所窘】 「是」は、比較的近いものを指す(近指)指示代詞。この。
「趙人」は、趙簡子のこと。
「窘」は、苦しめる。ここでは狼が趙簡子に追いつめられて苦しんだことをいう。
「是狼為趙人所窘」は、受身の構文。この狼が趙人に追いつめられるの意。「A為B所C」の形式が受身を表すことは、4の(10)に述べたので参照のこと。
古今説海本は、「是狼為趙人窘」に作り、結構助詞「所」を欠く。これでも文意は変わらない。
(11)【求救於我】 謂語「求」+賓語「救」+介詞句「於我」からなる構造。「救」は名詞。助け。救い。
「是狼為趙人窘、幾死、求救於我」までが、主語「是狼」で、時間軸の連動文。次の「我生之」の句は主語が「我」に転じている。
古今説海本は、「幾死、求救於我」(幾(ほとん)ど死せんとして、救ひを我に求め)に作る。「死にかかって、救いを私の求め」の意。
(12)【我実生之】 「実」は、本当に、確かにの意の副詞。
「生」は、本来「生きる」の意の自動詞。それが代詞「之」を賓語にとることで「生きさせる・生かす」という使役の意の他動詞に転じている。これを使動用法という。2の(14)と同じ。なお、代詞「之」は、狼を指す。
(13)【今反欲咥我】 「反」は、逆に、反対にの意の転折を表す副詞。狼が趙簡子に殺されそうになったのを助けてやったのにということ。
「欲」は、意志の助動詞。~しようとする。「欲咥」で、噛み殺そうとするの意。
(14)【力求不免】 「力」は、必死で、全力で。程度が甚だしいことを表す副詞。
「力求不免」とは、必死で狼に命乞いをしたが、許してもらえないということ。「不免」は、「免れない」と解したが、主語を狼として「許さない」と解することもできる。つまり、「私は必死で命乞いをしたが、狼は許してくれず」ということ。その場合は、「力めて求むるも免(ゆる)さず」と読む。
古今説海本は、「我力求不免」に作り、主語「我」を伴う。この場合は、「不免」の主語もやはり「我」と解するのが自然であろう。
(15)【我又当死之】 「又」は、副詞。さらにの意味か。狼に命乞いを求めたがかなわず「さらに」の意であろうか、後の「当死之」との関係がやや不明。強意かもしれない。
「当」は、行為や状態がまもなく発生することを表す副詞。~するであろう。「当死之」は、代詞「之」が狼を指し、狼のために死ぬであろうの意。通常「当」は、「まさニ~スべシ」と再読するが、「まさニ~セントす」と読んでもよい。
古今説海本には、この句なし。
(16)【欲少延於片時】 「欲」は助動詞。~しようと思う。「欲少延」は、副詞「少」の修飾を受けた動詞「延」を賓語にとって、「しばらく伸ばそうと思う」の意。
「於片時」は介詞句。「片時」がほんのわずかの時間の意味なので、後にのばす範囲が片時先であることを表す。
(17)【誓定是於三老】 「誓」は動詞。約束するの意。
「定是於三老」は、謂語「定」+賓語「是」+介詞句「於三老」の構造。これがさらに「誓」の賓語になっているので、「これを三人のお年寄りに決めてもらうこと」という名詞句になっている。
「是」は、代詞。東郭先生と狼のどちらが正しいかという判断を指す。
古今説海本は、「誓決三老」(三老に決すと誓う)に作る。「三人のお年寄り(の判断)で決めると約束する」の意。
(18)【初逢老杏】 「初」は、副詞。最初。後の「次」に対するもの。
「逢」は、遭遇する。偶然出会う。
古今説海本は、「初逢老樹」(初め老樹に逢ふ)に作る。
(19)【強我問之】 「強」は、強いる。無理にやらせる。
「之」は代詞。「老杏」を指す。
「強我問之」は、双賓文。謂語「強」(しいる)+間接賓語「我」(私(に))+直接賓語「問之」(これに問うこと(を))の構造。
(20)【草木無知】 5の(6)参照。
(21)【幾殺我】 「幾」は、ある状況にきわめて近いことを表す副詞。「ほとんド」と読む。もと形容詞「近い」の意味からの転で、「~ニちかシ」と読むこともある。ここでも、「我を殺すに幾し」と読んでもよい。
老杏の木が、弁論の最終結論として、「是固当食汝」(これは当然おまえを食べるべきだ)と述べたことをいう。
(22)【次逢老牸】 「次」は、(18)の「初」を受ける。
(23)【禽獣無知】 「禽獣」については、6の(6)参照。
(24)【又幾殺我】 「又」については、5の(29)参照。
(25)【今逢丈人】 「今」は、(18)の「初」、(22)の「次」を受け、「初めに…、次に…、(そして)今…」という事象発生の順序を示したもの。
(26)【豈天之未喪斯文也】 「天之未喪斯文」は、『論語・子罕』の「子畏於匡。曰、文王既没、文不在茲乎。天之将喪斯文也、後死者不得与於斯文也、天之未喪斯文也、匡人其如予何」(先生が匡の土地で恐ろしい目にあった。先生がおっしゃるには、「(周の)文王はすでに亡くなったが、文(=文王に伝えられた先王の道や文化の伝統)はここ(=私)にあるではないか。天がこの文を滅ぼすつもりなら、後で死ぬ私はこの文に関与することはできないはずだ。(しかし、事実として私が文を受け継いでいる。)天がこの文を滅ぼさないのならば、匡の人は私をどうしようもないはずだ」)に基づく。孔子は魯の陽虎というかつて匡の町を侵略した人物に容貌が似ていた。匡の人は孔子一行の御者の顔剋という男がたまたまかつての陽虎の軍に従軍していたことと、容貌の酷似から、孔子を陽虎と誤認して、武器をもって孔子一行を包囲したのである。まさに生命の危機にさらされた孔子が、毅然として言った言葉がこれである。
東郭先生は、知見をもたない老杏と老牸のいずれにも有罪とされてまさに絶体絶命であったが、ここで丈人に出くわして、まだ天が自分を見捨てていないことを、孔子の故事になぞらえて表現したのである。
「豈」は、推定の語気副詞。おそらく~だろう。きっと~だろうの意。「豈」は反語と思い込んではならない。「也」は「豈」と呼応して用いられている語気詞だが、反語の語気ではなく確認の語気を表す。
「未」は、まだ~しないの意の否定副詞。
「喪」は、滅ぼすの意の動詞。
「斯」は、近称の代詞。『論語』では「此」は用いられず、「斯」が多用される。
古今説海本は、「是天未喪斯文也」(是れ天未だ斯の文を喪ぼさざるなり)に作る。「これは天がまだこの文を滅ぼさないのだ」の意。
(27)【敢乞一言而生】 「敢」は敬謙副詞。はばかりながら。恐れながら。「敢」は、本来、勇気や度量があり、しにくいことを押し切ってしようという意志を表す助動詞であるが、そこからの派生義で、副詞として、格下にあたる者が上位の者に対して、言いにくいことをあえて述べる時に用いるようになった。
「乞一言而生」は前出。(9)参照。
古今説海本は、「願賜一言而生」(願はくは一言を賜りて生かしめよ)に作る。「どうか一言を頂いて生きさせてください」の意。
(28)【因頓首杖下】 「因」は連詞。そこで。前に述べられたことと密接に関わって次の内容が起こることを表す。ここでは、老人に助けを求めたことと関連して、「頓首杖下」という行動が生まれるのである。
「頓首」は、頭を地面につけて叩く拝礼のこと。杖をつく老人の足下で、藁をもつかむ思いで拝礼するのである。
(29)【俯伏聴命】 「俯伏」は、ひれふす。「俯」は、うつむき、からだをかがめるの意。
「聴命」は、本来、命令に従うの意。ここでは、これから老人が示す判断を待つの意である。
(30)【欷歔再三】 「欷歔」は、すすり泣く。
「再三」は、何度も。
この文は、謂語「欷歔」+補語「再三」の構造。何度もすすり泣くの意。すすり泣くことが何度もあったの意ではない。
(31)【以杖叩狼曰】 「以杖」は介詞句。杖での意。
古今説海本は、「以杖叩狼脛、厲声曰」(杖を以て狼の脛を叩き、声を厲まして曰はく)に作る。「杖で狼の足を叩き、厳しい声で言った」の意。
(32)【汝誤矣】 「汝」は二人称代詞。対等もしくは目下に対して用いる。ここでは狼を指す。
「矣」は、必然的な判断を表す語気詞。
(33)【夫人有恩而背之】 「夫」は、語首助詞。6の(74)参照。
「而」は逆接の連詞。「~なのに」ぐらいの意。
「背之」は、これにそむく。「背」はそむく、もとるの意。代詞「之」は、恩義を受けた人を指す。
(34)【不祥莫大焉】 「不祥」は、縁起が悪い、不吉の意から転じて、よくないこと。
この句は主題主語「不祥」+謂語「莫大焉」からなる。さらに謂語「莫大焉」は、主語「莫」+謂語「大」+賓語「焉」と説明される。「莫」は無指の代詞で、存在しないものを指す。つまり、「存在しないものがこれより大きい」の意から、「何もこれより大きいものはない」の意を表す。また、「焉」は「於此」の兼詞(縮約語)で、「莫大焉」は「莫大於此」と等価である。ここで「此」の指示内容は「人有恩而背之」(人が恩義を受けながらその人にそむく)になる。「A莫B焉」(Aは焉よりBなるは莫し」は比較の最上級として、「AについてはこれよりBであるものはない」、すなわち「Aについてはこれが最もBである」の意で多用される。
この「不祥莫大焉」については、古くは『孟子・離婁上』の「父子之間不責善。責善則離、離則不祥莫大焉。」(父子の間では善を責めない。善を責めれば父子の心が離れてしまうし、離れてしまえばこれ以上のよくないことはない)などに例が見られる。
(35)【儒謂受人恩而不忍背者、其為子必孝】 「儒謂」が、「儒者は言う」で主述の関係。以下はその賓語に相当し、言う内容を表す。
「而」は連詞。前句「受人恩」が後句「不忍背」の原因理由になることを示す。「人の恩義を受けた」ので「背けない」ということ。
「忍」は、通常否定副詞「不」と共にあわせ用いられて、「~したくない・~するに耐えられない」という意味を表す助動詞。(76)にも出てくる。
「者」は、結構助詞。「受人恩而不忍背」は「人の恩義を受けたのでそむくにしのびない」という独立した句だが、「者」が置かれることで「人の恩義を受けたのでそむくにしのびない人」という意味の名詞句となり、後の述部「其為子必孝」に対して、主語になりやすくなっているのだ。ただし、「者」が「人」という意味であるわけではない。
「其」は代詞。直前の「受人恩而不忍背者」を指し、「その人」の意。
「為子」は、子供を作る。子供ができるの意。なお、「其為子」は「その人が子供を作ると」、つまり「その人に子供ができると」の意味で、後の「必孝」に対して複文をなしている。
以上のように、この句の構造はかなり複雑になっている。
古今説海本には、この句以降(38)までなし。
(36)【又謂虎狼之父子】 「又」については5の(29)参照。
この句、「さらに虎や狼の父子のことをいう」と解して、前句で述べられた内容、すなわち「恩義を受けた者はその人にそむくにしのびない」ということが、虎狼の親子にも言える、通用するという意味に解せないことはない。一方、南宋、車若水の『脚気集』に、「古云虎狼知父子」(古来、虎狼は父子を知るという)の一節あり。また、明末の『喩世明言』に「自古道、虎狼也有父子之情」(昔から、虎や狼にも父子の情愛がある)とあることから、民間での俗語に「虎狼知父子」、またはそれに近いことばがあったことがうかがわれる。あるいは「之」は「知」と字形が似ていることからも、誤字の可能性もないではない。
(37)【今汝背恩如是】 「今」は、仮定を表す複文の前句において、「今かりに」「もし」という意味を表す連詞。ここでは後句の「則併父子亦無矣」に対して、「今汝背恩如是」の形で前句をなし、条件節を構成している。この例のように、連詞「則」と呼応して用いられることが多い。
「汝背恩如是」は、主語「汝」+謂語「背」+賓語「恩」+補語「如是」の構造。「おまえが恩義にそむくことがこのようだ」ではなく、「おまえはこのように恩義にそむいている」の意。
(38)【則併父子亦無矣】 「則」は、前句の条件節を受けて、後句で結果を示すのを導く連詞。
「併」は介詞。「併父子」で「父子(の情愛)さえも」の意。極端な例を挙げる深層表現に用いられる。『資治通鑑・唐紀71』に「時民間無積聚、賊掠人為糧、生投於碓磑、併骨食之」(時に民間には食料の備蓄がなく、悪人どもは人を襲って食料とし、生きながら石臼に投げつけ、骨までも食べた)の例がある。訓読のしようがないので、置き字として、「父子」に「スラ」を送った。なお、「亦」はこの「併」とあわせ用いられる副詞。
「矣」は、必然的な判断を表す語気詞。
(39)【乃厲声曰】 「乃」は、前の事情を受けて「そこで」の意の副詞。
「厲」は、厳しい、厳粛であるの意の形容詞。「声」を賓語にとることで動詞に活用し、「厲声」で声を厳しくする、声を荒げるの意。
古今説海本では、(31)に示したような形で表現されている。
(40)【狼速去】 「速」は、速いの意の形容詞。謂語「去」を連用修飾することで副詞に活用して、はやく、さっさとの意で用いられている。
この句の構造は本来、主語「狼」+謂部「速去」で、狼はさっさと立ち去るの意だが、狼に対して発せられた怒声で、狼に対する呼びかけとして主語を位置づけた読み方をした。
古今説海本は、「汝速去」(汝速かに去れ)に作る。「お前はさっさと立ち去れ」の意。
(41)【不然、将杖殺汝】 「不然」は、否定副詞と代詞からなり、複文の前句におかれて、「そうでなければ」という仮定を表す連詞的な働きをする。後句にはどうなるかという推定内容が示されることが多い。ここでは「さっさと立ち去らなければ」の意。
「将杖殺汝」については、「将」を時間副詞とみるか、介詞とみるかの二つの解釈が構造上成り立つ。しかし、数多く見られる「杖殺」の用例を見る限り、杖でうち殺すの意味を表すに際して、ほぼ介詞が用いられていないことから、ここは将来的な意志を表す時間副詞とする。
(42)【狼曰】 古今説海本は、「狼艴然不悦曰」(狼艴然として悦ばずして曰はく)に作る。「狼はむっとして愉快に思わず言った」の意。
(43)【丈人知其一、未知其二】 「知其一、未知其二」は、物事の一面は知っていても、別の面には気づいていないということを表す慣用句。古くは『史記・高祖本紀』に用例が見られる。
「未」は、未実現を表す否定副詞。
(44)【請愬之】 「請」は、3の(25)に既出の敬謙副詞。訓読では、他者に行為を求める時は「請フ~(セヨ)」、自分の行為を望む時は「請フ~(セ)ン」とよむ習慣がある。ここでは自分が思いを述べたいので、「請ふ之を愬へん」と読んだ。もし、これが相手に思いを述べてほしいのなら、「請ふ之を愬へよ」となる。訓読上はこのような読み分けを行うが、古漢語としては表現上区別がない。また、「請」が敬謙副詞として用いられるのは、会話文や手紙文、またはそれに準じるものに限られる。
「愬」は、心の中の思いを述べる、告げるの意。「うったフ」と読むが、別に告発するわけではない。「愬之」の賓語「之」は、「丈人」が気づいていない「其二」(別の面)を指す。
古今説海本は、この句なし。
(45)【願丈人垂聴】 「垂聴」は、下位の者の言うことに耳を傾けるの意。
この句は謂語「願」+賓語「丈人垂聴」の構造。「願」は、他者の行為を望む場合、訓読では「願ハクハ~(セヨ)」と読み、「請」の訓読と似ているが、前項の「請」とは語法的に異なる。「願」は「願う」の意の動詞謂語である。したがって、賓語の「丈人垂聴」は「ご老体が耳を傾けてくださること」という意味の名詞句になる。なお、自分の希望を表す場合は、「願ハクハ~(セ)ン」と読み、「どうか~させてください」などと訳すが、動詞を賓語にとり、語法的には助動詞である。要するに「~したい」ということ。いずれにしても敬謙副詞ではない。
古今説海本は、この句なし。
(46)【初、先生救我時】 「初」は、最初の意の名詞であるが、副詞に転じて「最初に・その昔」の意で文頭に置かれる。ここはそれ。
「先生救我時」は、「先生救我」自体は、主語「先生」+謂語「救」+賓語「我」の構造だが、この句が名詞「時」を修飾して副詞句となり、後の謂語「束縛」を連用修飾している。
古今説海本は、「先生救我」に作る。これだと、「先生」は主語で、「救我」「束縛我足」「閉我嚢中」と、連動文を構成することになる。
(47)【閉我嚢中】 「閉」は、押し込めるの意。単に閉じるの意ではない。
「閉我嚢中」は、謂語「閉」に対して二つの賓語「我」「嚢中」が置かれた句。介詞を用いて「閉我於嚢中」とすればわかりやすい。
(48)【圧以詩書】 「圧」は、押さえつけるの意。
「詩書」は、儒者の場合「詩経」「書経」を指すが、東郭先生は墨者なのでそうは考えにくい。単に図書の意であろう。1の(24)に「乃出図書」とある「図書」である。
「圧以詩書」は、介詞句「以詩書」(詩書で)が補語の位置に置かれて謂語「圧」を後置修飾する形。意味的には「以詩書圧」と同じである。
古今説海本は、この句なし。
(49)【我鞠躬不敢息】 「鞠躬」は、身をかがめる。体を曲げる。「鞠」も「躬」も体を曲げるの意の動詞。
「不敢」は、~しようとはしないの意。「敢」が無理や危険をおしきって~しようとするという意味の助動詞なので、「不敢」は無理をおしてまでは~しようとはしないの意となる。「決して~しない」の意だと説かれることがあるが、そうではない。中国の虚詞詞典には「決して~しない」という説明は一切見られない。ここでは息をすれば袋の中に狼がいることを示してしまうことになるので、そのような危険なことをしようとはしなかったということ。その意味で解するなら「息もできなかった」とこなれた訳にしてもよかろう。
古今説海本は、「我跼蹐不敢息」(我跼(きよく)蹐(せき)して敢へて息せず)に作る。「私はびくびくして息をしようともしなかった」の意。
(50)【又蔓辞以説簡子】 「又」は、さらに。5の(29)参照。
「蔓辞」は、無駄話の意。「蔓」はつる草の枝や茎のこと。むだに広がるところから、「辞」(ことば)を修飾してむだな話の意になる。
「蔓辞以説簡子」は「以蔓辞説簡子」の語順であるべきではないかと思われるかもしれぬが、古代漢語においては、介詞「以」の賓語が介詞の前に置かれる倒装表現はよくあることなのだ。たとえば、『論語・里仁』の「吾道一以貫之」(私の道は一つのことで貫かれている)や『同・陽貨』の「君子義以為上」(君子は義を第一とする)などがその例。それぞれ「吾道以一貫之」、「君子以義為上」と同じなのだが、それではなぜ倒置するかというと、おそらく前に提示することで賓語を強調するはたらきがあるのだろう。「ほかのなにものでもない一つのことで」「なによりも義を」ぐらいの強めになるわけだが、あえて訳出する必要はない。ここでも、「以蔓辞」なら「無駄話を」だが、「蔓辞以」と倒装することで「ほかならぬむだ話を」ぐらいの狼の気持ちがこもるのだ。
ところで「説」は双賓文の構造をとる動詞だから、本来は「説簡子蔓辞」(簡子に蔓辞を説く)の語順をとる。双賓文は間接賓語(誰に)を先に、直接賓語(何を)の順で賓語をとり、これを逆にすることはできないが、この例のように介詞「以」を用いることで謂語の前に出すことはできるのだ。
古今説海本は、この句の後に「語刺刺不能休、且詆毀我」(語ること刺刺としてむこと能はず、且つ我を詆(てい)毀(き)す)を伴う。「べらべら語りつづけてやみ得ず、私をけなしもした」の意。
(51)【其意蓋将死我於嚢而独窃其利也】 「其」は人称代詞、彼。東郭先生を指す。
「意」は、目的、狙い。気持ちを指す語で、いわゆる「意味」ではない。
「蓋」は、推定の語気副詞。(4)で述べた。
「将」は将来の意志を表す時間副詞。6の(22)参照。ここでは「死」と「窃」の二つの謂語を連用修飾している。
「死我於嚢」は、私を袋の中で死なせる、殺すの意。「死」は本来死ぬの意の自動詞だが、「我」を賓語にとることで「死なせる・殺す」の意の他動詞に転じる。
「独窃其利」は、こっそり取った利益を独占するの意。「窃」はこっそり取る、盗む。「其利」とは、何が利益になるのやらよくわからぬが、あるいは死なせた狼自体がもうけになるということか。
「也」は、判断の語気を表す語気詞。
(52)【是安可不咥】 「是」は、ここまで述べた東郭先生の行状を改めて代詞で踏まえなおして(複指)、主語としたもの。
「安」は反詰の語気副詞。
「可」は肯定許可を表して「~してよい」の意の助動詞。「べし」と読むが、反語の場合、訓読では「べけんや」と読み、「べからんや」とは読まない。
「咥」は、かむ。
「安可不咥」は、結果的に「不可不咥」(かまなければならない)と同じことになる。
(53)【丈人顧先生曰】 「顧」は、よく見る、見つめるの意。必ずしも振り返るの意とは限らない。
(54)【果如是】 「果たして是くのごとくんば」と読みはしたが、「果」も「如」も仮定の連詞であろう。「果」は仮定を強める働きで「もし本当ならば」ぐらいの意、「如」と共に複合連詞として働いていると見るべきだ。つまり、「もし本当にそうなら」という意味になるが、「如是」が複文の前句に用いられて仮定を表す時でも、慣例的に「是くのごとくんば」と読まれているので、それに従った。
(55)【是羿亦有罪焉】 『孟子・離婁下』に、「逢蒙学射於羿、尽羿之道、思天下惟羿為愈己、於是殺羿。孟子曰、『是亦羿有罪焉』」(逢蒙が射術を羿に学び、羿の射術を極め尽くして、天下にただ羿だけが自分より勝ると思い、そこで羿を殺した。孟子は『羿に罪があるということになる』と言った。)に基づく。「羿」は、夏王朝の時代有窮国の人、弓術の達人。老人はこの一節を引用することで、狼だけでなく東郭先生にも落ち度があると指摘したのだ。
なお、『孟子』の本文は「是亦羿有罪焉」だが、本テキスト『東田文集』は「是羿亦有罪焉」に作る。単なる誤写かもしれぬが、『東田文集』なら「(逢蒙に罪があるが、)羿にも罪がある」という意味になるが、『孟子』の本文は語法的にはそうは解しにくい。「亦」には、行為や事情が前と同じであるか繰り返されるかを表す用法があり、『東田文集』はそれに基づいて説明できるが、『孟子』の例はそのような意味ではない。教えを受けた師を殺すような逢蒙という弟子をもった羿について色々と評価の考えられる中で、孟子の中でその最も適当な評価に基づいて「やはり」と示したものであろう。つまり、「是亦羿有罪焉。」とは、「これはやはり羿に罪があるのだ」の意。明治書院『新釈漢文大系4 孟子』は「これは羿にもやはり罪がある。」と訳しているが、「羿にも」の意味ではあるまい。 古今説海本は、『孟子』の本文に従い、「亦羿有罪焉」(是れ亦た羿に罪有り)に作る。つまり、「果如是、亦羿有罪焉」で、「もし本当にそうなら(=狼の言うことが正しければ)、この一件は(狼ではなく)やはり東郭先生に罪がある」という判断を示したことになる。
「是」は代詞として、「このこと(は)」と解することもできるが、「是」のこのような用法は、概括的な内容を示す副詞という説もある。『近代漢語虚詞詞典』(商務印書館2015)の「是」の項に、ある範囲の人や事物に例外がないことを表す副詞とする項があるが、それに類するかもしれない。
(56)【先生不平】 「平」は、心穏やかなさまを表す形容詞。凹凸がなく安定したさまからの引申義。
(57)【具状其嚢狼憐惜之意】 「具」は、すべて。一切のものを欠けることなく備えての意。
「状」は動詞で、述べる、陳述するの意。
「其」は人称代詞で、自分すなわち東郭先生自身を指す。
「嚢」は、袋の意だが、ここでは狼を賓語にとることで「袋に入れる」の意の動詞に転じている。すなわち、「其嚢狼」は「自分が狼を袋に入れる」の意の主語+謂語+賓語の構造だが、「其嚢狼憐惜之意」は、「自分が狼を袋に入れた時の哀れみの思い」という名詞句で、謂語「状」に対して賓語となっているのだ。「其嚢狼」「憐惜」が後に結構助詞「之」をとり、名詞「意」(思い)の前に置かれることで連体修飾句を構成する形。
「意」は思い、気持ち。意味の意ではない。
古今説海本は、「具道其嚢狼之意」(具に其の狼を嚢するの意を道(い)ふ)に作る。「残りなく自分が狼を袋に入れた時の気持ちを述べる」の意。
(58)【狼亦巧弁不已】 「亦」は(55)で述べた。東郭先生も残りなく気持ちを述べたが、狼もまたの意。
「巧弁」は、弁を巧みにする、すなわち言葉上手に述べるの意。
「不已」は、やまない。「已」は多義語だが、「止まる・停止する」が原義である。ここでは「言葉上手に述べ続けてやまない」の意。
古今説海本は、「巧弁」を「巧言」に作る。
(59)【以求勝】 「以」は連詞だが、介詞の働きをまだ残し、「そうすることで」(=言葉上手に述べ続けることで)の意を残していよう。
(60)【是皆不足以執信也】 「是」は代詞。東郭先生の言と狼の言の両方を指す。
「足」は、~できる、~する値打ちがあるの意の助動詞だが、この例のように「以」と共に用いられることが多く、その場合「以」の介詞としての働きはほとんど虚化され、「足以」で一つの助動詞と考えてよい。「可」を含む謂語が主語に受事主語をとるのに対して「可以」がとれないように、「足以」も通常主語は正主語であって、受事主語をとることはない。
「執信」は、信義を把持する、信じるの意。
「也」は(4)に既出。
東郭先生の言も狼の言も、どちらも信じるに値しないの意だが、もちろん丈人は、東郭先生が本当のことを言い、狼が嘘をついていることを見破った上で、次の対策を講じるために方便として述べているのである。
古今説海本は、「是皆不足信也」(是れ皆信ずるに足らざるなり)に作る。「これらはみな信じるに値しない」の意。
(61)【試再嚢之】 「試」は、ためしに用いてみるの意の動詞だが、副詞に転じて「ためしに」の意を表すようになった。古今説海本が「嘗試」に作るようにここではその意だと思われるが、「試」が動詞謂語の前に置かれて、ある行為をすることを相手に願う意を表すこともあり、その場合は「どうか~」などと訳してもよい。
「嚢之」は、これを袋に入れる。「嚢」はここでも代詞を賓語にとって動詞に転じている。「之」は狼を指す。
古今説海本は、「嘗試嚢之」(嘗試みに之を嚢せよ)に作る。「ためしにこれを袋に入れてみよ」の意。
(62)【我観其状果困苦否】 「観」は、見る。ただし「観察」という熟語があるように、単に見るのではなく、よくよく見てみる、見て考察するという意味である。
「其状果困苦否」で謂語「観」に対する賓語を構成する。
「其状」とは、狼が袋に入れられた状態、ありさまを指す。
「果」は(狼の言うとおり)本当にの意の副詞。
「否」は、選択疑問を表す文末に置かれて「(~か)、~でないか」という意味を表す語気詞。「不」にも同様の働きがあり、この例なら「其状果困苦不」となるが、「困苦不」は「困苦不困苦」の省略形ではなく、「不」も「否」に同じく単独で用いられる語気詞である。
(63)【狼欣然従之】 「欣然」は、よろこぶさま、よろこんで。嬉しく思う気持ちを表す形容詞だが、ここでは副詞に転じている。
「従之」は、丈人の言葉に従うの意。
丈人の狙いは狼を袋の中に閉じ込めてしまうことにあるが、狼はそれと知らず、自分の言い分が認められて検証作業に入るのだと喜んだわけである。
(64)【信足先生】 「信」は「伸」に通じ、伸ばすの意。
古今説海本には、この句なし。
(65)【先生復縛置嚢中】 「復」は、また、もう一度の意の副詞。物語の初めで、趙簡子から逃れるために狼の足を縛り袋に入れ、肩で驢馬の背に担い挙げた事実を踏まえた表現。
古今説海本は、「先生嚢縛如前」(先生嚢して縛ること前のごとし)に作る。「先生は袋に入れ前と同じように縛った」の意。『東田文集』の「縛置」は、狼の足を縛って袋の中に入れるの意だと思われるが、これだと、縛ったのは袋の口であって、狼の足ではないことになる。
(66)【肩挙驢上】 2の(43)参照。
(67)【而狼未之知也】 「而」は連詞。ここでは逆接で、しかしの意。
「未之知」は、否定文中において代詞「之」が動詞の前に置かれる形。「不」「未」「弗」「毋」「勿」などの否定副詞や無指の代詞「莫」が用いられる否定文であり、代詞が一人称代詞「我」「吾」など、二人称代詞「汝」「女」「爾」、あるいは指示代詞「是」「之」「此」などの時に起こる。「未之知」は古漢語の語順としては「未知之」が通常であるが、上古の時代よりこの語順の用例が見られる。注意すべきは前述の条件で必ず倒置が起こるかというとそうでもなく、通常の語順の場合もあり、その例も古くより見られる。なぜこのような倒装が起こるか、また二種の表現があるかについては、諸説あるところで、よくわからない。なお、鈴木直治氏は古代漢語の強調表現に焦点をあて、動賓文においては後置される語に発話の重きが置かれるとして、「未之知」は「知」に、「未知之」は「之」に重点があると述べている(中国語学1976『古代漢語における強調の表現について』)。
(68)【丈人附耳謂先生曰】 「附耳」とは耳朶に近づく。ひそかにささやく、耳打ちをするの意。
古今説海本は、「丈人附耳曰」に作る。
(69)【有匕首否】 「有匕首」は存在文。
「匕首」はつばのない短刀。後漢の服虔が通俗語を集めて説明したという逸書『通俗文』(玉函山房輯佚書所収)に「匕首剣属、其頭類匕、故曰匕首。短而便用。短刃可袖者。」(匕首は剣の種類で、その頭が匙に似るので、匕首という。短いので用いるのに便。短い刃は袖に入れられるものである。)とある。この話は戦国時代が舞台なので、時代に合わせれば、銅と錫の合金、つまり青銅製になる。
「否」については(62)参照。
(70)【於是出匕】 「於是」は、もともと介詞と指示代詞からなる介詞句で、行為や事象の発生する場所や時を表し、「この時・その時」「この場所で・その場所で」などの意味を表して謂語を連用修飾するものであるが、この例のように前節の内容を受けて、「そこで」ぐらいの意味で用いられる場合は、連詞とみなしてよい。
「匕」は匕首のこと。
(71)【丈人目先生】 「目」はもちろんもともと名詞であるが、「先生」を賓語にとることで動詞に活用している。ここでは目で合図を送る、目配せするの意味で用いられている。『史記・項羽本紀』の「范増数目項王。」(范増は何度も項王に目配せした。)は有名な例だ。
(72)【使引匕刺狼】 使役の兼語文。2の(11)参照。
兼語は「先生」だが、前句「丈人目先生」ですでに示しているので、重複を避けて省略したもの。「使先生引匕刺狼」が本来の形だ。すなわち、「丈人使先生」(老人が先生を使役する。)と「先生引匕刺狼」(先生が短刀を抜いて狼を刺す。)の二文が兼語「先生」を共有して一文になってもの。その兼語が省略されているわけである。
「引匕」は「引匕首」に同じ。「引」は、「弓を引き開く」が原義で、その引申義で「引っ張る」「率いる」「招く」「導く」「推薦する」「引用する」などの意味をもつが、「引匕首」のように刃物を賓語にとっても、その状況によって表す意味は変わってくる。短刀を手元に引き寄せるとも、鞘から抜くとも、短刀を振り上げるとも解せるが、ここでは「短刀を(鞘から)抜いて」と解しておく。あるいは老人が袋の中の狼に気づかれぬよう身振りで短刀を振り上げ刺す動作を示したのかも知れない。
古今説海本は、「使引匕摘狼」(匕を引き狼に摘(なげう)たしむ)に作る。「摘」は「擿」(なげうつ)に通じるか。『史記・刺客列伝』に「荊軻廃、乃引其匕首以擿秦王」(荊軻は重傷を負い動けず、そこで匕首を振り上げ秦王に投げつけた)とあり、これを踏まえた表現なのかも知れぬ。そうだとすると、「匕首を鞘から抜いて」とは解せない。「匕首を振り上げ狼に投げつけさせようとした」の意かもしれぬが、至近距離の袋に入った狼に短刀を投げるというのは不自然な行為である。事実、この後二人は短刀を投げつけてはいない。
(73)【不害狼乎】 「不A乎」の反語の形で、「Aするのではないか」という推定を表す用法。おそらくAするであろうという予測のもとに問うているのである。したがって「乎」は反語の語気詞だが、むしろ推定の語気詞というべきであろう。『荘子・人間世』の「汝不知夫蟷蜋乎」(あなたはあのかまきりをご存じないか。)なども同様の表現。知っているはずという前提で述べたものだ。
「害」は、傷つけるの意。
古今説海本には、この句なし。かわりに「先生猶予未忍」(先生はぐずぐずとむごさに耐えられない)に作る。
(74)【丈人笑曰】 古今説海本は、「丈人撫掌笑曰」(老人は手をうち笑って言った)に作る。
(75)【禽獣負恩如是】 「禽獣」は、6の(6)参照。
「負恩」は、(37)の「背恩」に同じ。
「如是」は、謂語「負」の補語。「負恩如是」で「このように恩義に背く」の意。「恩義に背くことがこのようだ」と訳す必要はない。
(76)【而猶不忍殺】 「而」は連詞。それなのにぐらいの逆接の意。
「猶」は、従前と変わらない状態が続いていることを表す様態副詞。狼に恩知らずなことをされても、なおも墨家の徒としての兼愛ゆえに狼を殺せずにいることを示す。
「忍」は、(35)に既出。主にむごいことをするに耐えうる意を表す動詞であるが、この例のように後に動詞を賓語にとって助動詞として「~するに耐えうる」という意味を表す。通常否定副詞「不」とともに「不忍A」の形で「Aすることに耐え得ない」の意、反語の語気副詞「何」などとともに「何忍A」の形で「どうしてAするに耐え得ようか」の意で用いられる。
(77)【子固仁者、然愚亦甚矣】 「子」は、二人称代詞。男子への敬称、あなた。
「固」は、単文で用いる場合は「まことに・たしかに」等の意を表す副詞だが、この例のように複文の前句で用いられて譲歩を表す連詞としても用いられる。「たしかに~ではあるが」の意で、後句に接続する。当然後句は転折した内容を表すことになる。この例でも、仁者であることは認めるが、とんでもない愚か者だと転折した内容になっている。
「仁者」は、ここでは憐れみ深い人。
「然」は、ここでは逆接の連詞。「しかし」の意。
「亦」は、形容詞謂語の前で用いられ、判断を強める働きの副詞。まことに、ほんとうにの意。
「矣」は、必然的な判断を表す語気詞だが、呆れた思いもこもっているだろう。
古今説海本は、「子則仁矣、其如愚何」(あなたこそは仁であるが、愚かさをどうしようもない)に作る。
(78)【従井以救人】 『論語・雍也』の「宰我問曰、仁者雖告之曰井有仁焉、其従之也。子曰、何為其然也。君子可逝也、不可陥也。不可欺也、不可罔也。」(宰我が「仁者はこれに『井戸に仁者(人と解する説もある)がはまっている』と告げられたとしても、それに従いますか」と問うた。先生は「どうしてそうであろうぞ。君子は行かせることはできても、陥らせることはできない。だますことはできても、思慮を失わせることはできない。」に基づく(この論語の文の解釈は諸説あるが、代表的なものを示した)。「従之」は、井戸に行かせるとも、仁に従うとも解されている。ここでは一応井戸に入って行って助けると解しておく。
「以」は連詞。「而」と同様に解してよい。
古今説海本には、この句以降(83)までなし。
(79)【解衣以活友】 『文選・巻55』所載、劉孝標「広絶交論」李善注が引用する『烈士伝』の「陽角哀左伯桃為死友、聞楚王賢、往尋之。道遇雨雪、計不倶全、乃并衣糧与角哀、入樹中死」(陽角哀と左伯桃は死んでも裏切ることのない親友であったが、楚王が賢明であると聞いて、訪問に出かけた。途中雨雪にあい、左伯桃はともには助からないと考え、そこで衣服と食料全部を角哀に与え、木の洞穴に入って死んだ)の故事に基づく。陽角哀は一般には羊角哀の文字で知られるが、李善の引用は「陽」に作る。
(80)【於彼計則得】 介詞句「於彼」が謂語「計」を連用修飾する形。介詞句を補語の位置において「計於彼」の語順でも意味は変わらないが、前置されている分、「あいてにとっては」という意味が強められる。
「則」は連詞、前句の条件のもとに起こる結果を後句で示す。~すればの意。
「得」は、ここでは「うまくいく・都合がよい」ぐらいの意。
(81)【其如就死地何】 「其」は反語の語気を表す副詞。代詞ではない。
「如~何」は動詞性の疑問を表し、どうすればよいかの意。賓語を二字の間にとる特殊句式。この「如~何」について、太田辰夫氏は双賓文の構造として、「如之何」の場合、「如」は他動詞、「之」が直接賓語、「何」が間接賓語、「之を何の如くする」つまり「これをどうするか」という意味であると述べている(『改訂古典中国語文法』汲古書院1984)。これに従えば、「如就死地何」は、「死地に陥ることを何のごとくするか」、つまり「死地に陥ってしまうことをどうすればよいか」ということになる。この形式についてはまだよくわからないが、参考までに太田氏の説を紹介しておく。
「就」は、進む、赴く、近づく。「就死地」で死地に陥る。「如~何」の語法的な説明はともかく、賓語であることは間違いないので、「死地に陥ること」という名詞句である。
(82)【先生其此類乎】 「其」は推定の語気を表す副詞。推定の語気詞「乎」と併せ用いられ「其~乎」の形で「~であろう」の意。意味からすれば「そレ~ナランか」と訓じるべきだと思うが、古来「そレ~か」と読まれることが多い。
「此」は近指の指示代詞。
「此類」は、この仲間、同じ種類。先の「従井以救人」「解衣以活友」を指す。
(83)【仁陥於愚、固君子之所不与也】 「仁」は、ここでは他者への慈愛の心。
「仁陥於愚」とは、慈愛の心が結果的に愚行に陥ることをいう。
「固」は、2の(23)参照。どんなことがあっても、当然ながらの意。
「君子」は、徳ある人。
「所」は結構助詞。2の(23)に述べた。この例のように「A之所B」の形でも用いられ、「AがBすること・もの」という意味を表す。
「与」は、「くみス」と訓じて、味方するの意から転じて、賛成する、同意するの意。「不与」は、賛成しない。
「也」は判断の語気詞。
この「仁陥於愚、固君子之所不与也」は、「仁陥於愚」が主語、「君子之所不与」が謂語になる判断文である。
古今説海本には、(78)以降ここまでなし。
(84)【言已大笑】 「已」は、終わるの意の動詞。「言已」で、言い終わるの意。
(85)【先生亦笑】 「亦」は、(54)参照。老人が笑ったが、先生も同じように笑ったのである。老人に諭され、己の過ちに気づいた気持ちを背景にする。
(86)【遂挙手助先生操刃】 「遂」は、2の(42)で述べた。前に述べた動作・行為や状況を受けて、後の動作行為や状況が発生することを表すが、ここでは「こうして」ぐらいの意。
「助先生操刃」は、「(丈人)助先生」(老人が先生を助ける)と「先生操刃」(先生が刃を握る)の二文が「先生」を介して一文になる兼語式の文。したがって、「先生を助けて刃を握らせる」の意になる。
「操」は、手に持つ、握るの意。
(87)【共殪狼】 「共」は、ともに。動作の共同を表す副詞。老人が東郭先生と一緒にの意。
「殪」は、殺すの意。
(88)【棄道上而去】 「道上」は、道ばた。「上」は、名詞の後に置いて、範囲を表す。「海上」「川上」なら、海や川のほとり。「塞上」ならとりでのあたり。必ずしも真上を表すわけではない。ここでは道のかたわらぐらいの意味。 「而」は連詞。ここでは順接を表す。
※参考文献本文・底本 『東田文集』(叢書集成初編所収 商務印書館)・『中山狼伝』(古今説海所収 集成図書公司)・『中山狼伝』(旧小説所収 双紅堂 東洋文化研究所所蔵)・『東田文集』(畿輔叢書所収)・『中山狼伝』(中国短編小説集所収 双紅堂 東洋文化研究所所蔵)参考書等〔日本〕・牛島徳次『漢語文法論(古代編)』(大修館書店)・牛島徳次『漢語文法論(中古編)』(大修館書店)・西田太一郎『漢文の語法』(角川書店)・太田辰夫『古典中国語文法 改訂版』(汲古書院)〔中国〕・漢語大詞典編輯部『漢語大詞典』(漢語大詞典出版社)・中国社会科学院语言研究所古代汉语研究室『古代汉语虚词词典』(商务印书馆)・何乐士『古代汉语虚词词典』(语文出版社)・王政白『古漢語虚詞詞典(増订本)』黄山书社・解惠全等『古书虚词通解』(中华书局)・陈霞村『古代汉语虚词类解』(山西古籍出版社)・尹君『文言虚词通释』(广西人民出版社)・韩峥嵘『古汉语虚词手册』(吉林人民出版社)・钟兆华『近代汉语虚词词典』(商务印书馆)・楚永安『文言复式虚词』(中国人民大学出版社)・杨伯峻、何乐士『古汉语语法及其发展(修订本)』(语文出版社)・李佐丰『古代汉语语法学』(商务印书馆)・廖振佑『古代汉语特殊语法』(内蒙古人民出版社)・劉景農『漢語文言語法』(中華書局)・張文國、張能甫『古漢語語法學』(巴蜀書社)・杨剑桥『古汉语语法讲义』(復旦大学出版社)・李学勤『字源』(天津古籍出版社/辽宁人民出版社)等