『中山狼伝』注解2

(内容:中国で、忘恩の狼として有名な『中山狼伝』の文法解説。その2。)

『中山狼伝』注解2

■原文

(1)時墨者東郭先生将北適中山以干仕、(2)策蹇驢、(3)嚢図書。(4)夙行失道、(5)望塵驚悸。(6)狼奄至、引首顧曰、「(7)先生豈有志於済物哉。昔、(8)毛宝放亀而得渡、(9)隋侯救蛇而獲珠。(10)亀蛇固弗霊於狼也。今日之事、(11)何不使我得早処嚢中以苟延残喘乎。(12)異時、(13)倘得脱穎而出、先生之恩、(14)生死而肉骨也。(15)敢不努力以効亀蛇之誠。」先生曰、「(16)嘻、(17)私汝狼以犯世卿忤権貴、(18)禍且不測。(19)敢望報乎。(20)然墨之道、兼愛為本。(21)吾終当有以活汝。(22)脱有禍、(23)固所不辞也。」(24)乃出図書、(25)空嚢槖、(26)徐徐焉実狼其中、(27)前虞跋胡、後恐疐尾、(28)三納之而未克、(29)徘徊容与。(30)追者益近。狼請曰、「(31)事急矣。(32)先生果将揖遜救焚溺、而鳴鸞避寇盗耶。(33)惟先生速図。」(34)乃跼蹐四足、(35)引縄於束縛之下、(36)首至尾曲脊掩胡、(37)蝟縮蠖屈、(38)蛇盤亀息、(39)以聴命先生。(40)先生如其指、(41)内狼於嚢、(42)遂括嚢口、(43)肩挙驢上、(44)引避道左、(45)以待趙人之過。

■訓読
時に墨者の東郭(とうくわく)先生将に北のかた中山に適(ゆ)きて以て仕ふるを干(もと)めんとし、蹇驢(けんろ)に策(むち)うち、図書を嚢(ふくろ)にす。夙(つと)に行きて道を失ひ、塵を望みて驚悸(きやうき)す。狼奄(たちま)ち至り、首(かうべ)を引き顧みて曰はく、「先生豈に物を救ふに志有りや。昔、毛宝亀を放ちて渡るを得、隋侯(ずいこう)蛇を救ひて珠を獲(え)たり。亀蛇(きだ)(もと)より狼より霊ならず。今日の事、何ぞ我をして早く嚢中(なうちう)に処(を)りて以て苟(かりそ)めに残喘(ざんぜん)を延ばさしめんや。異時(いじ)、倘(も)し穎(えい)を脱して出づるを得ば、先生の恩、死を生かして骨を肉とするなり。敢へて努力して以て亀蛇の誠に効(なら)はざらんや。」と。先生曰はく、「嘻(ああ)、汝狼に私(わたくし)して以て世卿(せいけい)を犯し権貴に忤(さから)はば、禍且(まさ)に測らざらんとす。敢へて報いを望まんや。然れども墨の道は、兼愛本(もと)たり。吾終(かなら)ず当に以て汝を活かす有るべし。脱(も)し禍有りとも、固より辞せざる所なり。」と。乃ち図書を出だし、嚢槖(なうたく)を空しくし、徐徐焉(じよじよえん)として狼を其の中に実たさんとするも、前に胡(こ)を跋(ふ)まんことを虞(おそ)れ、後ろに尾に疐(つまづ)かんことを恐れ、三たび之を納(い)れんとするも未だ克(よ)くせず、徘徊して容与(ようよ)たり。追ふ者益(ますます)近づく。狼請ひて曰はく、「事急なり。先生果たして将に揖遜(いふそん)して焚溺(ふんでき)を救ひて、鳴鸞(めいらん)して寇盗(こうたう)を避けんとするか。惟だ先生速(すみや)かに図れ。」と。乃ち其の四足を跼蹐(きよくせき)し、縄を束縛の下に引き、首(かうべ)尾に至り脊(せき)を曲げて胡(こ)を掩(おほ)ひ、蝟(ゐ)のごとく縮(ちぢ)み蠖(くわく)のごとく屈し、蛇のごとく盤(ばん)し亀のごとく息(いき)して、命(めい)を先生に聴(まか)す。先生其の指(し)のごとくし、狼を嚢(ふくろ)に内(い)れ、遂に嚢口(なうこう)を括(くく)り、肩もて驢上に挙げ、道左(だうさ)に引き避けて、以て趙人(てうひと)の過ぐるを待つ。

■訳
この時、墨家の徒である東郭先生が北の方中山へ行って官職を求めようとして、足の不自由な驢馬に鞭打ち、書物を袋の中に入れて(旅をして)いた。朝早くに出発して道に迷い、遠くに土ぼこりを見て驚き恐れた。狼が突然やってきて、頭をもち上げ見て言った、「先生、困ったものを助けてくださいませんか。昔、毛宝は亀を逃がして川を渡ることができ、隋侯は蛇を助けて宝玉を手に入れました。(でも、)亀や蛇はもともと狼よりすばしこくはない。今日のこと、何とか私に早く袋の中に入ってしばし生きながらえさせてくださいませんか。後日、もしあらためて(袋の中から)顔を出すことができれば、先生から受けた恩義は、死んだものを生き返らせ死んだ骨を生きた肉にするものです。(私は)努力して亀や蛇の誠にならわずにいられましょうか。」先生は言った、「ああ、(もし)お前のような狼をかばって名家を侵害し権力者や身分の高い方々に逆らえば、禍いは計り知れないだろう。報いを望んだりしようか。だが、墨者の道は、兼愛が根本である。(それならば)私はかならずお前を救う方策を考えねばならない。もし禍いがあっても、もともと拒まぬことだ。」そこで書物を取り出して、荷物の入った袋を空にし、ゆっくり狼を其の中に入れようとするが、前には(狼の)あごの下の肉を踏みそうになり、後には(狼の)しっぽにつまづきそうになり、三回狼を入れようとするが、うまくできず、(どうしたものかと)あれこれ思い巡らしぐずぐずしていた。追っ手はますます迫ってきた。狼は(あせって)懇願して言った、「事態は差し迫っています。先生はいったい手を組んで礼を尽くしながら火を逃れる人や溺れている人を救い、天子の車につける鈴を鳴らしながら強盗から逃げようとなさるおつもりか。どうか先生早く何とかしてください。」そこで(自分で)四本の足を曲げ、縄を束縛するように引いて、頭をしっぽの方へ曲げ、背骨を曲げてあごの下の肉を覆い隠し、ハリネズミのように縮こまり尺取り虫のように身をかがめ、蛇のように体を丸め亀のように体を縮めて、命を先生にまかせた。先生はその(=狼の)指示に従い、狼を袋に入れ、そのまま袋の口を縛り、肩で驢馬の背に担い挙げ、道の脇によけて、趙の国の人々が通り過ぎるのを待った。

■注
(1)【時墨者東郭先生将北適中山以干仕】
「時」は時間副詞。その時の意。

「墨者」は墨家の徒。墨子の学派。戦国時代の思想家墨翟(前468?~前376?)を祖とする。兼愛論、非攻論などを主張した。趙簡子(趙鞅)の死去が前463年であるため、墨者の出現と時代的に合わない。


「将」は将来を表す時間副詞。~しようとする・~しそうであるの意。訓読では再読文字として取り扱う。


「適」は、行く、至るの意の動詞。


「以」は連詞で句と句をつなぐ働きで、「而」と同じ。ここでは介詞(前置詞)ではない。


「干仕」は、官職を求める。「干」は二股の棒が原義で、求めるの意味は仮借で、動詞として用いられている。「仕」は官職につくこと。


(2)【策蹇驢】

「策」は、もと竹製のむちの意。動詞として用いられて、むちで打つという意味を表す。

「蹇驢」は足の悪い驢馬。「蹇」は足が萎えた状態を表す形容詞。


(3)【嚢図書】

「嚢」は、もと大きな袋の意の名詞。賓語「図書」をとることにより動詞に転じ、袋に入れるという意味を表す。

(4)【夙】

「夙」は早朝の意。名詞だが、副詞に転じて謂語を修飾して、朝早くという意味を表す。

(5)【望塵驚悸】

「望」は、遠くを見るの意。

「驚悸」は、驚いて動悸が激しくなるの意。


古今説海本はこの句なく、「夙行失道、卒然値之、惶不及避」に作る。「夙に行きて道を失ひ、卒然として之に値(あ)ひ、惶(おそ)れて避くるに及ばず」(朝早くに出発して道に迷い、急に狼に出会い、驚き慌てて避ける間がなかった)の意。


(6)【狼奄至、引首顧曰】

「奄」は、突然、急にの意の時間副詞。

「引首」は、頭を伸ばすの意。ここでは下に向けていた頭を、首を伸ばして上に持ち上げるという意味であろう。「首」はいわゆる「くび」ではなく、頭と首を含めていう。


「顧」は、よく見る、しっかり見るの意。ここでは後ろを振り返るという意味ではない。


(7)【先生豈有志於済物哉】

「豈~哉」は反語の用法と説かれがちだが、推定(ひょっとすると~か・ことによると~か)の語気を表すことも多い。さらに転じて希望(~してくれないか・~してほしい)の語気を表すこともあり、ここはその用法。あるいは推定で「困ったものを助けて下さるお気持ちがおありでしょうか」と解することもできる。『荘子・外物』の「君豈有斗升之水而活我哉」(君はわずかばかりの水で私を生かしてくださるでしょうか。または、わずかばかりの水で私を生かしてくださらないでしょうか)も同様の用法。

「志」は、考え、気持ちの意。「大志を抱く」のような、望み、希望を表すとは限らない。


「済」は、救う、援助するの意。


なお、古今説海本は、この箇所「先生豈相厄哉」に作る。「先生豈に相厄(くる)しまんや」(先生、二人とも苦しむ必要はないじゃありませんか)の意。


(8)【毛宝放亀而得渡】

『捜神後記・巻十』にもとづく。晋の咸康年間(335年 - 342年)、邾城を守っていた毛宝の部下が、売られていた白い小亀を買い取り、七日で大きく育ったのを憐れんで、川に逃がしてやった。後に石季龍が邾城を陥落させた時、毛宝たちは逃亡し、部下も川に入ってことごとく溺死した。部下も川に身を投じたが、あの白亀に助けられて対岸まで渡ることができたという故事。本文は狼が毛宝の故事として引用しているが、実際に亀を助けたのは毛宝ではなく、その部下である。

なお、古今説海本にはこの一句なし。


(9)【隋侯救蛇而獲珠】

『淮南子・覧明訓』の「譬如隋侯之珠、和氏之璧、得之者富、失之者貧」(たとえば隋侯の珠、和氏の璧のようなもので、手に入れたものは富み、失ったものは貧しくなる)につけられた高誘の注に「隋侯見大蛇傷断、以薬傅之。後蛇於江中啣大珠以報之。因曰隋侯之珠」(隋侯が大けがをした大蛇を見て、薬を塗ってやった。後に蛇は川の中から大きな宝玉を口にふくんで現れこの恩義に報いた。そこで隋侯の珠という)とあるのにもとづく。

(10)【亀蛇固弗霊於狼也】

「霊」は霊敏、霊活、すなわちすばしこいの意。霊妙と考えられないこともないが、亀や蛇との比較から考えると妥当性を欠くか。

「於」介詞句「於狼」はここでは形容詞謂語「霊」に対して比較の対象を示す。


古今説海本では「蛇固弗霊於狼也」に作り、「亀」の字を欠く。前項(8)の句がないためだ。


(11)【何不使我得早処嚢中以苟延残喘乎】

「何不~乎」で、「どうして~しないのか」の疑問の意から、「~するべきだ」と反語の意を表したり、「~してはどうか」という勧めの意を表す。ここでは「~してくれないか」の意。

「使我得早処嚢中以苟延残喘」は使役の兼語文で、「使我」(私を使役する)と「我得早処嚢中以苟延残喘」(私が早く袋の中に入ってしばし生きながらえることができる)の二文が、兼語「我」を介して一文になる形式。


「苟」は、しばし、しばらくの間という一時的な猶予を表す時間副詞。「かりそめニ」または「いやしクモ」と読む。仮定を表す連詞ではない。古今説海本は「苟」の字なし。


「残喘」は、残り少ない余命のこと。「喘」は息の意。


(12)【異時】

後日。「異時」は別の時を表し、現時点より前の場合、後の場合のいずれにも用いられる。

なお、これ以降「異時、倘得脱穎而出、先生之恩、生死而肉骨也」の句は、古今説海本では「異時、脱穎而出、先生之恩大矣」に作る。「異時、穎を脱して出でば、先生の恩大なり」(後日、顔を出すことができれば、先生から受けた恩義は大きい)の意。


(13)【倘得脱穎而出】

「倘」は仮定を表す連詞、「もシ」と読む。

「脱穎而出」は、『史記・平原君列伝』の毛遂のことば、「臣乃今日請処嚢中耳。使遂蚤得処嚢中、乃穎脱而出、非特其末見而已」(私は今袋の中に入れて下さいとお願いしているのです。もし私を早く袋の中に入れて下されば、錐ごと袋を突き出て、その先端が現れ出るでけではありません)を踏まえる表現。毛遂は自分の才能が場を与えられることでたちまち現れ出ることを喩えたが、ここでは狼が東郭先生の袋の中にかくまわれることを求めているので、それから出ることをこの故事になぞらえて言ったもの。なお、『資治通鑑』では、該当箇所が「乃脱穎而出」となっており、中山狼伝の表現と合致する。


(14)【生死而肉骨也】

「生」「肉」はそれぞれ「死」「骨」を賓語にとることにより、「生き返らせる」「肉にさせる」という使役の意味を表す他動詞に転じている。これを使動用法という。なお、「肉」は本来名詞だが、賓語をとることにより動詞に活用してもいるのである。

(15)【敢不努力以効亀蛇之誠】

「敢不~」は、「~せずにいられようか」という反語の意味を表す。助動詞「敢」は単独で「豈敢」(どうして~しようか)という意味をもつことがあり、この例のように否定副詞「不」と併用されることがある。

「以」はここでは連詞「而」に同じ。


「効」は、のっとる、まねるの意。「効亀蛇之誠」は、命を助けられた亀や蛇が助けた人に恩を返した誠実にのっとり、東郭先生に助けられる狼が同様に恩返しをすることをいう。


古今説海本は、この句を「敢不努力以効隋侯之蛇」に作る。「敢へて努力して以て隋侯の蛇に効はざらんや」(努力して隋侯の蛇にならわずにいられるだろうか)の意。


(16)【嘻】

ああ。嘆詞(感嘆詞)。賛美・歓喜・憂慮・詰責・不審など、さまざまな感情を表す。ここでは、助けてくれれば恩返しをするという狼に対して、権力者に逆らい、災い覚悟の上に狼を助けるのに、恩返しを望むものかと、詰責する気持ちがこもる。

(17)【私汝狼以犯世卿忤権貴】

「私」は、公平を欠き特定のものをひいきするの意の動詞。ここではかばうの意。

「以」は(1)に同じく連詞であるが、ここでは、それによってという意味を残す。


「世卿」は、代々世襲される名家。卿や大夫(諸侯の家臣のうち、領地を与えられるものが大夫、その中で大臣になるものを卿という)などの家柄。「犯世卿」は、それらの名家を侵害する、すなわち逆らうことをいう。


「忤権貴」は、お偉方にそむく。「忤」はそむく、逆らう。「権貴」は、権勢のある高貴な人のこと。


古今説海本は、「私汝狼以犯趙孟」に作る。「汝狼に私して以て趙孟を犯さば」(お前のような狼をかばって趙孟(春秋時代、晋で権力を握った政治家の名、ここでは趙簡子のこと)に逆らえば)の意。


(18)【禍且不測】

「且」は将来を表す時間副詞。「将」と同じく再読文字として「まさニ~(セ)ントす」と読む。再読するからといって前後二度に分けて訳す必要は全くなく、「~しようとする・~しようと思う・~しそうである・~するだろう」などと適宜訳せばよいのだ。ここでは権力者にさからうことによって将来起こる災いが計り知れないだろうというのである。

(19)【敢望報乎】

「敢」は既出の助動詞。「豈敢」の意を含み、「敢~乎」の形で、後の語気詞「乎」とともに「~しようとするだろうか。いや~しようとはしない」という意味を表す。

(20)【然墨之道、兼愛為本】

「然」は連詞、「しかし」の意。

「墨之道」は、墨者の道義、墨者として踏み行うべき道のこと。古今説海本は「墨者之道」に作る。


「兼愛」は、おのれを愛するのと同じく他者を差別なく愛するべきだとする、墨家の根本思想。儒家が君臣父子の別を説いたのとは対照的で、墨家は儒家の愛を差別愛として批判した。


「兼愛為本」は、主語「兼愛」+謂語「為」+賓語「本」の構造をとる判断文。「為」は繋辞で、いわばbe動詞にあたる働きをする動詞。「A為B」(AはBたり)で「AはBである」という意味を表す。訓読では「兼愛を本と為す」と訓じることもある。


この句は、全体の主語が「墨之道」で、後が述部に相当するので、いわゆる主謂謂語(主述述語)の形式をとっている。


(21)【吾終当有以活汝】

「吾」は、わたしの意。「我」と同義だが、「吾」は動詞の後に置かれて賓語となることはできないという違いがある。

「終」は、かならず、きっとの意。「つひニ」と読んで、最後まで、とうとうの意を表す時間副詞だが、その意味では文意に合わない。『近代漢語虚詞詞典』(商務印書館)に「表示肯定語気。定;必」とあるのに従った。後の「当」とともに、きっと~する・必ず~するという意味を表す。


「有以」は、動詞と介詞からなるが、助動詞的に用いられて、「~する理由・原因がある、~する方法・手段がある、~する道理がある」などの意味を表す。ここでは狼を救う方法があるの意。あるいは、前句を踏まえて、兼愛の思想にのっとって~することがあるの意にも解せる。


古今説海本は、「吾固当有以活汝也」に作る。


(22)【脱】

「脱」は仮定を表す連詞。「もシ」と読む。魏晋南北朝以降よく用いられるようになった。ここでは譲歩の仮定条件を表すので、「もシ~トモ」と読む。

(23)【固所不辞也】

「固」は、語気副詞。どんなことがあっても、当然のことながらの意。

「所」は結構助詞(構造助詞)で、後の他動詞を名詞化して「~するもの・こと」などの意の名詞句を作る。ここでは「不辞」(拒まない)を、「拒まないこと」という意の名詞句にしている。ちなみに、自動詞を伴う場合は、「~する場所」という意の名詞句を作ることが多い。


なお、古今説海本は「脱有禍、固所不辞也」の一文を欠く。


(24)【乃出図書】

「乃」は、さまざまな意味を表す副詞だが、ここでは、前後の事情が密接に関連している場合にあたり、「そこで」と訳す。古今説海本は、「遂」に作る。

「図書」は、書籍。


(25)【空嚢槖】

「空」は、からにするという意味の動詞。「からニス」と読んでもよい。

「嚢槖」は、大きい袋と小さい袋を指す語だが、ここでは単に袋の意。


(26)【徐徐焉実狼其中】

「徐徐焉」は、ゆっくりとの意。「焉」は形容詞や副詞の後に置いて状態を表す語綴助詞。東郭先生の動作が緩慢であるために、狼は焦るのだ。あるいは「ぐずぐずと」と訳してもよい。古今説海本は単に「徐」に作る。

「実狼其中」は、「実狼於其中」の意。介詞句「於其中」の介詞が省略されたと考えてもよいが、用いられないことも実際にはよくあり、「狼」「其中」という二つの賓語が置かれた文とみなしてよい。


(27)【前虞跋胡、後恐疐尾】

前句と後句が対になる形。「虞」も「恐」も心配するの意だが、前後句でわざと異なる字を用いるのが修辞の工夫。なお、古今説海本はいずれも「虞」に作る。

「跋胡」、「疐尾」は、『詩経・豳風・狼跋』の「狼跋其胡、載疐其尾。公孫碩膚、赤舄幾幾。狼疐其尾、載跋其胡。公孫碩膚、徳音不瑕」(狼は進もうとすれば自分のあごの下の肉を踏み、退こうとすれば自分の尾につまづいて進退窮まる。公(周公)は美徳を譲って赤い靴をはいてゆったりとしておられる。狼は退こうとすれば自分の尾につまづき、進もうとすれば自分のあごの下の肉を踏んで進退窮まる。公は美徳を譲って、その徳は欠けるところがない)に基づく表現。「胡」は、動物のあごの下の垂れた肉。「跋」は踏むの意。「疐」はつまづくの意。「跋胡疐尾」は、『詩経』では狼(=周公)の進もうにも退こうにもどうにもならぬ状態を本来指すが、ここでは東郭先生の動作のもたもたした様子を表現しているのだ。


(28)【三納之而未克】

「三」は、三度の意だが、「何度も」とも解せる。

「納」は、入れるの意。「之」は狼を指す。狼を袋の中に入れるのである。古今説海本は「内」に作る。


「而」はここでは前句「三納之」と「未克」を逆接の関係で接続する連詞。


「未克」は、まだできない。「克」は、なしとげる、こなすの意の動詞。


(29)【徘徊容与】

『文選・西都賦』に、「大路鳴鑾、容与徘徊」(天子の馬車は金鈴を鳴らして、ゆったりと巡り行く)とある。内容的には本文と関係ないが、表現として流用したものか。「容与」は、ゆったりとしたさま。東郭先生が、うまく狼を袋に入れられず、あれこれ迷う様子を表現したものと考えられる。

古今説海本は「容与」を「籌処」に作る。対応を検討するの意か。


(30)【追者益近】

「益」は程度副詞。ますます。行為動作や状況が程度を増すことを表す。

(31)【事急矣】

「事」は事態。

「急」は形容詞、さしせまったさま、緊急の様子を表す。


「矣」は語気詞。文末に置かれた場合、完了・将来・感嘆などさまざまな語気を表すが、ここでは判断を表し、事態が差し迫った状態であることの判断を示す。


(32)【先生果将揖遜救焚溺、而鳴鸞避寇盗耶】

「果」は、反問の語気を表す語気詞「乎」などと呼応した「果…乎(耶)」の形で、事実の真相を反問する形で問いかける副詞。いったい…か。結局…か、ぐらいの意。したがって、ここでは以下に述べられる「遜救焚溺、而鳴鸞避寇盗」という行為があってはよいはずがないという判断を表す。

「将」は将来を表す時間副詞。~しようとする・~するつもりであるの意。


「揖遜」は両手を組んで礼を尽くしながらへりくだるの意。


「焚溺」は火で焼かれたり溺れたりするする、ここではそういう人のこと。


「鳴鸞」は、天子が乗る馬車の鈴を鳴らすの意。


「寇盗」は、盗賊。徒党を組んで危害を加える賊のこと。


「焚溺」も「寇盗」も、さしせまったものであり、狼の今置かれた状況を喩える。「遜救焚溺、而鳴鸞避寇盗」は、その緊急事態に対して悠長に対応することを喩えたものである。


なお、古今説海本はこの一文を欠く。


(33)【惟先生速図】

「惟」は通常範囲副詞として用いられるが、ここでは相手への希望を表す用法。どうか~してくださいの意。この用法の場合、「惟」はこの例のように主述文の文頭に置かれるのが普通で、「先生惟速図」という語順はとらない。

「図」は、方策を講じるの意。


(34)【乃跼蹐四足】

「乃」は、そこでの意の副詞。多義語だが、ここでは、前に述べた事情と密接な関係の上で次の行為がなされることを表している。狼の訴えを受けて、「そこで」の意だ。

「跼蹐」は、拘束して無理に曲げるの意。「跼」は身をかがめる、「蹐」は小刻みに歩くの意で、そこから拘束の意に転じたもの。


古今説海本は、「乃跼蹐其四足」に作る。


(35)【引縄於束縛之下】

次の「首至尾曲脊掩胡」とともに、誤字が疑われる。旧小説本は「引縄而束縛之下首至尾曲脊掩胡」に作り、これなら「縄を引きて之を束縛し、首を下ろし尾に至らしめ脊を曲げて胡を掩ひ」と句読を改めて解することができる。また、古今説海本は「索縄於先生束縛之下首至尾曲脊掩胡」に作り、この場合も「縄を先生に索(もと)めて之を束縛し、首を下ろし尾に至らしめ脊を曲げて胡を掩ひ」と解することができる。しかし本文は「引縄於束縛之下首至尾曲脊掩胡」であり、介詞「於」の賓語が「束縛之」とは考えにくく、語法的には「於束縛之下」を介詞句とみなすのが自然で、実際『東田文集(叢書集成初編)商務印書館1936』もそのように句点を施すが、文意が通じにくい。やはり「下」は次の句に含めるのが自然であろうか。

(36)【首至尾曲脊掩胡】

前項参照。「首至尾」は、この句読では主語「首」が狼の尾に至るの意、つまり頭部を尾のところまで折り曲げるの意。「下首至尾」であれば、首を尾のところまでおろす、すなわち折り曲げることになる。この場合、「下」は方位名詞が動詞に活用していると考える。

「曲脊」は、背骨を曲げる。「脊」は背骨。


「掩胡」は、あごの下の肉を覆い隠す。「掩」は覆う。「胡」は動物のあごの下の肉の意。


この句は、後句とともに、袋の中に入れやすいように狼自身が窮屈な姿勢をとったことをいう。


(37)【蝟縮蠖屈】

「蝟縮」は、ハリネズミのように縮こまるの意。「蝟」はハリネズミ科の哺乳類で、危険を察知すると丸く縮こまり、外敵には針の塊のように見える姿勢をとる。

「蠖屈」は、尺取り虫のように身をかがめるの意。「蠖」は「尺蠖」ともいい、シャクガの幼虫。体の前後にしか足がないため、まず前部の足で物をつかみ、からだ全体を曲げて後部の足をたぐり寄せ、その足で支えた状態で、前部の足を伸ばし、その繰り返しで前進する。そのからだを曲げた状態を「蠖屈」という。


(38)【蛇盤亀息】

「蛇盤」は、蛇のようにとぐろを巻く。ここでは体を丸めるの意。「盤」はとぐろを巻くの意の動詞。

「亀息」は、亀が休む時に四肢を甲羅の中に納めて縮むように、体を縮めるの意。別に道教で「亀息」が亀のように息を整えるという意味で用いられる用語であることから、「息をひそめる」と解する説もある。しかし、「跼蹐四足」以降はことごとく袋に入るために身を縮める内容であり、この「亀息」のみが異なる意味で用いられているとは考えにくい。また、袋の中に入るこの段階ではまだ息をひそめる必要はないことからも、この説はとらない。


なお、ここまで「蝟縮」「蠖屈」「蛇盤」「亀息」はすべて「名詞+動詞」の構造をとっており、前の名詞が活用して「~のように」という意味の連用修飾語に転じている。1の(7)参照。


(39)【以聴命先生】

「以」は連詞だが、その状態でという意味合いを残す。

「聴命」は、命令を待つの意。「聴」は、しっかり聞く、聞き定めるの意から引申して「治める・さだめる・判決を下す」の意を表し、さらに引申義として「(判断や命令を)待つ」の意味を表すようになった。


(40)【先生如其指】

「如」は、従うの意の動詞。サ変動詞「ごとクス」と訓じる。なお、「如」は「従う」が原義で、よく用いられる「~のようである」と意訳する「似る」の意の動詞の用法はその意味からの引申義であり、「ごとクス」とよむこの用例を「~のようにする」と訳す必要はない。

「其指」は、狼の指示。


(41)【内狼於嚢】

「内」は、入れるの意の動詞。内側に入れるという意味で、これも引申義である。古今説海本は「入」に作る。

介詞句「於嚢」は、袋にの意。介詞「於」は動作行為の関与する対象(~に)を表す。袋の中にということであるから、場所と考えてもよい。


(42)【遂括嚢口】

「遂」は、ここでは「そのまま」の意を表す副詞。前に述べた動作・行為や状況を受けて、後の動作行為や状況が発生することを表す。前に引き続いて後になれば「そのまま」、前を受けて結果的にどうなったかを示す時は「結局」、前に述べたことに対して予想外の事態になれば「意外にも」などの意味を表すことになる。ここでは、狼の指示に従って袋の中に狼を入れた内容を受けて、そのまま袋の口を紐でくくったのだ。

(43)【肩挙驢上】

「肩挙」は「名詞+動詞」の形をとり、名詞「肩」が活用して「肩で」という意味の連用修飾語に転じている。いわば「以肩」「用肩」に相当する内容。このように名詞が動作行為を表す連用修飾語に転じる用法には、たとえば、『列子・湯問』の「叩石墾壌、箕畚運於渤海之尾」(石を砕き土地を開墾し、みのやもっこで渤海の端まで運んだ)などの多くの例が見られる。

(44)【引避道左】

「引避」は、道を譲るの意。

「道左」は、道の脇。中国の古代の習慣として右を尊貴なものとして重んじたことから、左は卑下を表し、ここでも道の真ん中ではなく、脇を表したもの。


(45)【以待趙人之過】

この箇所の「以」も(39)に同じく、「その状態で」という意味を表す連詞。

「趙人之過」は「待」の賓語に置かれた名詞句。「趙人過」(趙人が通り過ぎる)という文の主語「趙人」と謂語「過」の間に結構助詞「之」を置くことで文の独立性を取り消し、名詞句を作る用法。これにより名詞または名詞句でなければならない賓語になりやすくなっているのだ。「之」は「の」と読んでも「~が」という意味を表しているわけでは決してない。