『中山狼伝』注解1

(内容:中国で、忘恩の狼として有名な『中山狼伝』の文法解説。その1。)

『中山狼伝』注解1

■原文
(1)趙簡子大猟於中山。(2)虞人導前、(3)鷹犬罹後。(4)駭禽鷙獣、(5)応弦而倒者、(6)不可勝数。(7)有狼当道、人立而啼。(8)簡子唾手登車、(9)援烏号之弓、(10)挟粛慎氏之矢、(11)一発飲羽。(12)狼失声而逋。簡子怒、駆車逐之。(13)驚塵蔽天、(14)足音鳴雷、(15)十里之外不弁人馬。

■書き下し文
趙簡子(てうかんし)大いに中山(ちうざん)に猟す。虞人(ぐじん)前に導き、鷹犬(ようけん)後ろに罹(り)す。駭禽(がいきん)鷙獣(しじう)、弦に応じて倒るる者、勝(あ)げて数ふべからず。狼有り道に当たり、人のごとく立ちて啼(な)く。簡子手に唾(つば)して車に乗り、烏号(をがう)の弓を援(と)り、粛慎氏(しゆくしんし)の矢を挟(はさ)み、一たび発して羽(はね)を飲む。狼声を失して逋(に)ぐ。簡子怒り、車を駆りて之を逐(お)ふ。驚塵(きやうぢん)天を蔽(おほ)ひ、足音鳴ること雷(いかづち)のごとく、十里の外人馬を弁ぜず。

■口語訳
趙簡子が中山で大々的に狩りを行った。虞人が先導し、鷹や犬が後ろに連なった。がやがや騒ぐ鳥や猛獣で、弓で射るままに倒れるものは、数え切れなかった。狼が現れて道をさえぎり、人のように立って吠えた。簡子は手に唾を吐きかけ車に乗り、烏号の弓を手に取り、粛慎氏の矢をはさんで持ち、一発で矢は羽までめり込んだ。狼は思わず叫んで逃げ出した。簡子は怒り、車を駆ってこれを追いかけた。舞い上がった土ぼこりが天を覆い尽くし、足音は雷のように鳴り、十里離れると人や馬を見分けられないほどであった。

■注
(1)【趙簡子大猟於中山】
「趙簡子」(?~前463)は、春秋時代晋国の卿、名は鞅。簡子は諡。後に晋の六卿中最大の勢力を誇った智氏を滅ぼし晋を韓・魏・趙に事実上三分した趙襄子の父。趙氏の勢力的地盤の形成を行った。

「中山」は、現在の河北省、太行山の中部、東麓一带を指す。

『孟子・滕文公下』に「昔者、趙簡子使王良与嬖奚乗。終日而不獲一禽」(昔、趙簡子が(御者の)王良に命じて自分を寵臣の奚と相乗りさせた。一日がかりで一匹の獲物も得られなかった)とある。この記事に基づく設定か。

(2)【虞人】
山林や沼沢を管理する役人。虞官。

(3)【鷹犬罹後】
「鷹」「犬」は狩猟用の禽獣。「罹」という字に「連なる」という意味はなく、本文「罹後」の義は不明。しかし、「羅後」に作るものもあり(『旧小説』所収『中山狼伝』 以下、旧小説本)、誤写が疑われる。

『古今説海』巻49所収『中山狼伝』 (以下、古今説海本)では「鷹犬罹後」が、「嬖奚驂右」(寵臣の嬖が右にとも乗りした)となっている。これは(1)項注に引用した『孟子・滕文公下』の記述に基づくものであるが、『孟子』では一日がかりで獲物皆無であったのに対し、ここでは数え切れない獲物があがっているので、典拠を踏まえただけの表現であろう。

(4)【駭禽鷙獣】
「駭」は、馬が何かに驚くの意。ここでは「駭禽」で驚いて騒ぐ鳥。古今説海本は「捷禽」に作る。それだとすばしこい鳥の意となる。「鷙」はもと他の鳥を捕まえる鷹などの猛禽の意だが、ここでは荒々しいの意、「鷙獣」で猛獣。

(5)【応弦而倒者】
「応」は呼応するの意。「応弦」は弓の弦の音がするとすぐにの意。「而」は連詞(接続詞)で「応弦」という句の後に置かれて、「応弦而」で「倒」を連用修飾する働き。いわゆる順接の用法ではない。

「応弦而倒」は、『史記・李将軍列伝』の「発即応弦而倒」(矢を発すれば弦の音と同時に敵は倒れた)に基づく表現。射術が巧みであることをいう。

(6)【不可勝数】
「勝」は総括的な範囲を表す範囲副詞。全て、全部の意。否定副詞「不」や「弗」と、可能の助動詞「可」「能」などからなる「不能」「不可」などの語とともに用いられて、すべて~しきることはできないという意味を表す。訓読では動詞「たフ」と読んで、「~ニたフべカラず」と読むこともあるが、語法的には副詞である。

(7)【有狼当道、人立而啼】
「当」は、さえぎる、阻むの意。だから趙簡子の怒りを買うのだ。

「人」は本来名詞であるが、人のようにの意で連用修飾語(状語)として用いられている。あるいは副詞になっているといってもよい。このように本来の品詞が別の品詞に転じることを活用というが、名詞が他の品詞、たとえば動詞や、この例のように副詞に活用するのが、古代漢語の大きな特徴である。

「啼」は、人に対しても用いて、その場合は、声をあげて泣くの意だが、鳥や動物の場合は、鳴く、吠えるの意。

「人立而啼」は、『春秋左氏伝・荘公八年』に「射之、豕人立而啼」(これを射ようとすると、豚は人のように立ち上がって鳴いた)とあり、これに基づく表現。

「有狼当道、人立而啼」は、日本語としての自然さを考え、「狼が現れて道をさえぎり、人のように立って吠えた」と訳したが、本来は「道をさえぎり人のように立って吠える狼がいた」の意。いわゆる存在の兼語文である。つまり、「有狼」(狼がいる)と「狼当道、人立而啼」(狼が道をさえぎり、人のように立って吠える)の二文が兼語「狼」を介して一文となったもの。前の存在文の賓語(目的語)「狼」は、後の文では主語になり、賓語と主語を兼ねるので兼語という。

(8)【簡子唾手登車】
古今説海本は「簡子怒、唾手奮髯」(簡子は怒り、手に唾をはきかけ頬のひげを揺すり)に作る。

「唾手」は旧小説本は「垂手」に作るが、車に乗るに手を垂れていたのでは場面にふさわしくない。あるいは「唾」「垂」相通じるのであろうか。

(9)【援烏号之弓】

「援」は、手に取る、もつの意。

「烏号之弓」は良弓。『淮南子・原道訓』に、「射者扞烏號之弓、彎棋衞之箭」(鳥を射る者が烏号の弓を張り、棋衞の矢を引き)とあり、その高誘の注に、「烏号、柘桑其材堅勁。烏跱其上、及其将飛、枝必撓下、勁能復起。巣鳥随之、烏不敢飛、号呼其上。伐其枝以為弓、因曰烏号之弓也。一説、黄帝鋳鼎於荊山鼎湖、得道而仙、乗龍而上。其臣援弓射龍、欲下黄帝、不能也。烏於也。号呼也。於是抱弓而号、因名其弓為烏号之弓也」(烏号は、桑の木でその材質が堅くて強い。からすがその上にとまり、飛ぼうとする時、枝が必ず下にたわんで、強さによりまた起き上がる。巣にいる鳥はそれに従うが、からすは飛ぶ勇気がなくその上で鳴く。その枝を切って弓を作るので、烏号の弓という。一説に、黄帝は鼎を荊山の鼎湖で鋳造し、道を得て仙人となり、龍にのって天にのぼった。その家臣が弓をとって龍に射かけ、黄帝を下ろそうとしたが、できなかった。「烏」は「於」(ああ)に通じ、「号」は「呼」(叫ぶ・泣く)である。そこで弓を抱いて号泣し、それによってその弓を烏号の弓と名付けた)とある。

(10)【粛慎氏之矢】
周の武王の時、粛慎氏から貢がれた矢。良矢のこと。『国語・魯語下』に孔子のことばとして、「此肅慎氏之矢也。昔武王克商、通道于九夷百蛮、使各以其方賄来貢、使無忘職業。於是粛慎氏貢楛矢石砮、其長尺有咫。先王欲昭其令徳之致遠也、以示後人、使永監焉、故銘其栝曰『粛愼氏之貢矢』」(これは肅慎氏の矢である。昔、周の武王が殷に勝ち、九夷百蛮の地まで道を通じ、それぞれにその土地の産物を納めさせ、職務を忘れないようにさせた。そこで粛慎氏は楛の木の矢と石のやじりを朝貢し、その長さは一尺八寸であった。先王はその美徳が遠方にまで及んだことを明らかにして後世の人に示し、長く手本にさせようとして、その矢筈に『粛慎氏の貢矢』と刻銘した)と、粛慎氏の矢の由来を載せている。

(11)【一発飲羽】
「羽」は矢羽根。「飲」は、めりこむの意。『呂氏春秋・季秋紀・精通』に、「養由基射兕、中石、矢乃飲羽」((射の達人の)養由基が兕(サイの一種)を射て、石にあたり、矢はなんと矢羽根までめりこんだ)とある。これを踏まえた表現。

(12)【失声而逋】
「失声」は、思わず叫ぶの意。ここでは、声が出ないという意味ではない。

「逋」は、逃げるの意。

(13)【驚塵蔽天】
「驚塵」は、「塵を驚かす」と読んで、土ぼこりを立てるという意味で用いられることもあるが、ここでは、舞い上がった土ぼこりの意。「驚」はもと、馬が驚いて騒ぐの意。そこから転じて人や動物に対して驚かせる、事物に対してわき起こるという意味を表すようになった。

「蔽」は覆いさえぎるの意。一帯の土ぼこりで空が見えなくなるということ。趙簡子が狼を追いかけ、その一行の車の疾駆でもうもうと土ぼこりが上がるのだ。

(14)【足音鳴雷】
古今説海本には、この句なし。「鳴雷」は謂語(述語)「鳴」の後に置かれた「雷」が補語として謂語を後置修飾する形。「雷のように鳴る」の意。

(15)【十里之外不弁人馬】
古今説海本は「十歩之外」に作る。1里は300歩で、約400m。10里は約4kmであり、4km離れれば土ぼこりがなくとも人馬を見分けることなどできるはずもなく、古今説海本の「十里」(200m余)の方が話の筋としては自然であろう。

「弁」は見分ける、識別するの意。