『論語』注解5

(内容:『論語』で、教科書によく採用される「知之為知之、不知為不知」の文章の文法解説。)

『論語』注解5

■原文
子曰、「(1)由、(2)誨女知之乎。(3)知之為知之、(4)不知為不知。(5)是知也。」(為政)

■訓読
子曰はく、「由(いう)、女(なんぢ)に之を知るを誨(をし)へんか。之を知るは之を知ると為し、知らざるは知らずと為す。是れ知るなり。」と。

■訳
先生がおっしゃった、「由よ、お前に知るということを教えようか。知っていることは知っているとし、知らないことは知らないとする。それが知るということだ。」

■注
(1)【由】
「由」は、この文において独立成分。
独立語、また挿入語とも呼ばれる。
ここでは呼びかけを表し、文中の他の成分といかなる統語論的関係をもたないものである。

「由」は、弟子の子路の名。仲由。姓が「仲」、字は「子路」。
孔子の9歳年下で、弟子の中では最年長であった。

(2)【誨女知之乎】
双賓文。
謂語「誨」+間接賓語「女」+直接賓語「知之」の構造。
「告」「教」「示」「問」「語」など、教示を表す動詞が謂語の場合、「何を」という他動性の賓語と、「誰に」という依拠性の賓語の2種をとり得るが、その場合、依拠性の賓語が先行するという語順的な決まりがある。
つまり、これを入れ替えて「誨知之女」という文はあり得ない。

ただし、介詞を用いて語順を入れ替えることはできる。
わかりやすくするために、為政篇の「孟孫問孝於我」(孟孫が孝を私に問う)という文で説明すると、これは双賓文に改めれば依拠性の賓語「我」が先にくるから「孟孫問我孝」となり、それでも同じ意味を表すことになる。
「孟孫問孝於我」の場合、「孟孫問孝」(孟孫が孝を問う)で文としては成立する。
それに誰に依拠するのかを示し補うために「於」を用いたわけだ。
つまり、「孟孫孝を問うこと我に於てす」だ。
それで、同じ意味を表すというのなら双賓文「孟孫問我孝」とどう違うかというと、漢文は後の語に発話の重点が置かれるから、「孟孫問我孝」は「孝を(=孝についてを)」に重点がある。
それに対して、「孟孫問孝於我」は「私に」に重きが置かれているのだ。
したがって、本文「誨女知之」の場合、「女」すなわち子路ではなく、「知之」(知るということ)に重点がある。
あえて訳せば「おまえに、他ならぬ知るということを教えようか」ということになる。


「女」は二人称代詞。
「女」は、しなやかな女性を表す象形文字だが、その義の音「nǜ」から離れ「乳」の音「rǔ」で発音されて「汝」の意味を表すようになったという(左民安『細説漢字』九州出版社2005)。
「汝」自体は、もと河の名、音を借りたもので、後いわゆる「女」との区別のためにこの字を用いるようになったものであろう。
牛島徳次『漢語文法論(古代編)』(岩波書店1967)によれば、『史記』において「汝(女)」が用いられるのは、君主→臣、父母→子、兄姉→弟妹、師→弟子、夫→妻妾などに限られるという。
これは『論語』でも同様の傾向があろう。
孔子は師であるから子路に対して「女」と言ったのであり、「あなた」よりは「おまえ」ぐらいの意味になろう。


「乎」は、疑問の語気を表す語気詞。
ここでは相手、すなわち子路の意向を聞く形で用いられている。


(3)【知之為知之】

主語「知之」+謂語「為」+賓語「知之」の構造。
句頭の「知之」は、判断の対象として文頭に置かれて提示されるもので、これを主題主語とするか否かについて議論が分かれることについては2の(3)で述べた。
「以A為B」(Aを以てBと為す)という形があるものだから、ここも「以知之為知之」の「以」の省略形とみなす考え方もあり、「之を知るを之を知ると為し」と読むのもその流れの中にあろうが、おそらくそうではあるまい。
この句、「『之を知る』ことについては」と文頭に提示されたもので、少なくとも構造的には「之を知るは」と読むのが適切だと思う。


「之」については、1の(3)で述べた。
通常は前もしくは後に示された語を指して自己を実質化する働きの語である。
だから、「知之為知之」は「知此為知此」や「知是為知是」とは違う。
近称の代詞「此」「是」はそれ自体実質的な意味をもっているから、具体的な何かを指すことになる。
「このことを知っているのはこのことを知っているとする」というくどい文になり、このことは何かを具体的に示し得る。
「之」は「此」「是」とは全く違う働きをすることを知らなければならない。

ところが、「之」が前後に自己を実質化するための語をもたないことがあり、この「知之為知之」がそれである。
この場合、「之」は「知」の客体であるが、何でもよい。
何かと特定することはできない、何かである。
「之」自体が形式的な語だから、このような動詞の賓語として穴埋めに用いることができるのだ。
この文の「之」を「道」を指すなどと説明することがあるが(簡野道明『論語解義』明治書院1931)、よくない。
「道」は前後のどこにも示されていない。
このような「之」を、指すもののない「之」だから読まなくてもよいとする人もあるようだが、特定の指すものがないというのは正しくても、指すものが全くないわけではない。
「之」は知っている対象ソレであり、特定されないが、自己の知識の中にある知っている何かをあてはめれば、ソレは具体的なそれになる。

(4)【不知為不知】
主語「不知」+謂語「為」+賓語「不知」の構造。
句頭の「不知」の扱いについては前項と同じ。


前項「知之」は、「之」が形式的な語であるから、「知」の後に賓語として置いて、「知」が知識ではなく、「知る」の意の動詞であることをも示している。
しかし、「不知」は「知」が否定副詞「不」の修飾を受けているから、「知」が動詞であることは自明である。
だから「之」を賓語の穴埋めに置く必要がないわけだが、では、「不知」なら「之」を用いないかというとそうではない。
「不知之」や「不之知」という例はいくらでもある。
その場合、「之」は前もしくは後の語に寄生して自己を実質化しているのだが、ここはその必要がない。
また、「知之為知之」と「不知為不知」は対になった表現でもあるから、字数や響きの面から合わせたのである。


(5)【是知也】

「是」は中称の指示代詞。
「○○○○、是―」(○○○○は、それは―である」のように、複雑な主語「○○○○」を、代詞「是」で受けて指示する形で用いられる。
特に複雑でない主語に対しても用いられる用法がすでに『史記』などに見られ、やがて繋辞としての働きをもつようになったと考えられる。
繋辞としての用法は魏晋の時代以降頻繁になり、現代中国語でも受け継がれているが、『論語』の時代の「是」は指示代詞と考えてよい。
つまり、前文の「知之為知之、不知為不知」を指す。


「也」は、指定説明する語気詞。文末に置かれて終止する時は、前に叙述された内容を受けて「そうなのだ」と説明する語気である。
「是知」(それが知るということ)という叙述を再示して「そういうことなのである」という語気を表すのである。
その意味で「矣」が確認の語気を表して、そこに尽きるという急な語気を表すのに対して、「也」は緩やかな語気になる。


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※参考文献

・何晏/邢昺『論語注疏』[十三経注疏](北京大学出版社)
・朱熹『四書章句集注』[新編諸子集成 第一輯](中華書局)
・安井息軒『論語集説』[漢文大系](冨山房)
・何晏『論語集解(正平本)』(早稲田大学図書館)
・何晏/皇侃『論語集解義疏』(早稲田大学図書館)
・劉宝楠『論語正義』[十三経清人注疏](中華書局)
・郝敬『論語詳解』[九部経解](筑波大学附属図書館)
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・伊藤仁斎『論語古義』(日本名家四書註釈全書)
・荻生徂徠『論語徴』(日本名家四書註釈全書)
・東条一堂『論語知言』(日本名家四書註釈全書)
・簡野道明『論語解義(増訂版)』(明治書院)
・吉田賢抗『新釈漢文大系1 論語』(明治書院)
・諸橋轍次『論語の講義』(大修館書店)
・平岡武夫『全釈漢文大系1 論語』(集英社)
・吉川幸次郎『論語』[中国古典選](朝日新聞社)
・加地伸行,宇佐美一博,湯浅邦弘,小川環樹,本田済『鑑賞 中国の古典2 論語』(角川書店)
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・江連隆『論語と孔子の事典』(大修館書店)
・松尾善弘『「立」「而立」「民無信不立」考』(九州中國學會報32)

・荻生徂徠『訓訳示蒙』[漢語文典叢書](汲古書院)
・河北景楨『助辞鵠』[漢語文典叢書](汲古書院)

・松下大三郎『標準漢文法』(紀元社)
・牛島徳次『漢語文法論(古代編)』(大修館書店)
・西田太一郎『新訂 漢文法要説』(朋友書店)
・西田太一郎『漢文の語法』(角川書店)
・太田辰夫『古典中国語文法 改訂版』(汲古書院)
・鳥井克之『中国語教学(教育・学習)文法辞典』(東方書店)
・加藤常賢『漢字の起源』(角川書店)
・藤堂明保『漢字語源辞典』(學燈社)
・白川静『字統』(平凡社)
・李学勤『字源』(天津古籍出版社)
・谷衍奎『汉字源流字典』(華夏出版社)
・左民安『細説漢字―1000個漢字的起源与演変』(九州出版社)
・杨伯峻・何乐士『古汉语语法及其发展(修订本)』(语文出版社)

・李佐丰『先秦汉语实词』(北京广播学院出版社)
・中国社会科学院语言研究所古代汉语研究室『古代汉语虚词词典』(商务印书馆)
・何乐士『古代汉语虚词词典』(语文出版社)
・解惠全等『古书虚词通解』(中华书局)
・王政白『古汉语虚词词典(增订本)』(黄山书社)
・尹君『文言虚词通释』(广西人民出版社)
・韩峥嵘『古汉语虚词手册』(吉林人民出版社)

・漢語大詞典編輯部『漢語大詞典』(漢語大詞典出版社)
                               等