『論語』注解3
(内容:『論語』で、教科書によく採用される「子貢問政」の文章の文法解説。)
『論語』注解3■原文(1)
子貢問政。子曰、「(2)
足食、足兵、(3)
民信之矣。」子貢曰、「(4)
必不得已而去、(5)
於斯三者何先。」曰、「(6)
去兵。」子貢曰、「必不得已而去、於斯二者何先。」曰、「(7)
去食。(8)
自古皆有死。(9)
民無信、不立。」(顔淵)■訓読子貢政(まつりごと)を問ふ。子曰はく、「食を足らし、兵を足らし、民之を信ず。」と。子貢曰はく、「必ず已(や)むを得ずして去らば、斯(こ)の三者に於て何をか先にせん。」と。曰はく、「兵を去る。」と。子貢曰はく、「必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於て何をか先にせん。」と。曰はく、「食を去る。古(いにしへ)より皆死有り。民信無くんば、立たず。」と。■訳子貢が政治を問うた。先生がおっしゃった、「食糧を十分にし、軍備を十分にし、民はこれを信じるのだ。」子貢が言った、「どうしてもやむを得ずに取り去るなら、この三者で何を先にしますか。」(先生は)おっしゃった、「軍備を去る。」子貢が言った、「どうしてもやむを得ずに取り去るなら、この二者で何を先にしますか。」(先生は)おっしゃった、「食糧を去る。昔からみな死というものはある。民に信がなければ、(政治は)成り立たない。」■注(1)【子貢問政】子貢は2の(1)に前出。
「問政」は、「政治を問う」だが、「政治とはいかにすべきかを問う」の意。
動詞謂語「問」が「問仁」(仁を問う)とか「問君子」(君子を問う)のように、談話の中心となる内容を表す語を賓語にとる時、「何如」(どうであるか)、「如何」(どうするか)などの語を伴わずに、その義を有することが多い。
したがって、それを補って解釈する必要がある。
(2)【足食、足兵】「足」は、充足したさまを表す、本来は形容詞。
それが「食」「兵」を賓語にとることで、充足させるという意味の動詞のように働いている。
これを品詞の活用といい、使役動詞のように働くので使動用法ともいう。
しかし、動詞になったというよりも、「謂語+賓語」という構造の型がそのように語に働きを与えるのである。
「食」は食糧、したがって「足食」とは国を経済的に充実させることを指す。
『礼記・王制』に、
「国無九年之蓄曰不足、無六年之蓄曰急、無三年之蓄曰国非其国也」
(国に九年の蓄えがないのは「不足」といい、六年の蓄えがないのは「急」(さしせまる)といい、三年の蓄えがないのは国が(もはや)その国ではないというのである)
とある。
計画的な備蓄が長期的に行われることが経済政策の根幹だということである。
「兵」は、手に取って打つの原義、武器の意はその引申義。
ここではさらに転じて軍備の意。
(3)【民信之矣】この句、古来3通りに訓じられている。
①民之を信にす。
②民之を信ず。
③民をして之を信ぜしむ。
以上であって、①で読まれることが多いようだ。
このことについて、松尾善弘は
「民コレヲ信ニス→民に信義あらしめる。/民を教ふるに信実の徳を以てする。→道義教育の完成と拡大解釈されるに至る。だが、この訓みは正式に言い直すと、民ハ民ヲ信ズということになり、「信」を「信ニス」と訓読することによって自らを錯覚に導く所以を作っているおかしな訓み方といわねばならない」
と述べている(「立」「而立」「民無信不立」考 九州中國學會報32,1994)。
確かに、「民信之」は普通に読めば②の読みで、「民はこれ(=為政者)を信頼する」の意になる。
現行の『論語』の注釈書は概ね、①も②もいずれも通るとするが、そこには解釈上の要求から語法の無理を許容しているきらいはあるかもしれぬ。
松尾は同論文で、さらに、
「実は巻子本、足利本ではここが『使民信之矣』となっていて、bないしb'で訓むのが正当であることが示唆されているのである。(筆者注:bは「民コレヲ信ズ(之は為政者を指す)」、b'は「民ヲシテ之ヲ信ゼシム(右に同じ)」と前述されている)
ここは民同士が信頼し合ったり道義心を高める、或いはそのように教化するという風に横の関係で捉えるべきではなく、民と為政者が信頼し合うという縦の関係で捉えなければならない。それは経文最後の『民無信不立』とも関わって、この章の真髄を摑むか否かの重大問題として提起されている。」
と述べる。
筆者も正平本と『論語義疏』を確認したが、正平本は「使民信之矣」、義疏は「令民信之矣」に作っている。
伝播のいずれかの段階で混入したものかもしれぬが、この「民信之矣」の解釈の曖昧さを補ったものであろう。
そもそも「民信之矣」という句は、前述したように普通に読めば「民之を信ず」で、「民」は施事主語である。
「之」は1の(3)で述べたように、それ自体には実質的な意味はなく、上の述べられたことを受けて自己を実質化する働きの字だ。
松下大三郎はこれを寄生形式名詞という。
したがって、「民之を信ず」と訓じた場合の「之」は、先に述べられている内容に寄生するのであるから、「足食、足兵」でなければならない。
食糧を十分にし、軍備を十分にする政治である。
民はそれを信頼するということになる。
それは為政者への信頼となるわけだ。
しかし、では「民は之を信にす」はどうかというと、「信」という語に「信義あるものにする」という語の働きを認めることを条件に、構造的に成立する。
すなわち、「民」は提示語、あるいは主題主語であって、「民についていえば」と先に提示されるものである。
その場合、「之」は「民」に寄生して、「(それを)信義あるものにする」という文自体は成り立たないものではなく、松尾の指摘はあたらない。
だが、これには2つの問題があって、「信」が「信じる」ではなく「信義あるものにする」という意味を表し得るかという問題と、そもそも「民之を信ず」で文法的にも内容的にも説明できる文をあえて異なる解釈を導入する必要があるかという問題だ。
「富国強兵」ということばがあるように、「信」が名詞であれ形容詞であれ、「之」を賓語にとることによって、「信であらせる」という意味を表すことは使動用法として語法的には可能だと思うが、『論語』に類例はない。
結論として、筆者は「民は之を信にす」というこの句の構造理解は文法的には成立し得るとは思うが、自然なものではないと思う。
やはり、この部分の孔子の言葉は「民が為政者を信頼する」ではなく、道徳教育こそ国政の最重要事項であって、孔子はそれを説いたのだとしたい後世の学者の解釈上の要求が、そう読ませているのではあるまいか。
ちなみに「使民信之矣」、「令民信之矣」は、「民をして之を信ぜしむ」(民にこれを信頼させる)であって、「民をして之を信にせしむ」とは構造上絶対に読めない。
なぜなら兼語の使役対象「民」が「信之」の事実上の行為主であって、自分が自分を信義あるものにするという矛盾が生じるからである。
無理にそう読めば、「之」は民以外の、為政者の使役の結果、民によって「信」にさせられる別の何ものかを指すことになる。
句末「矣」は、確認の語気を表す語気詞。
前の「足食、足兵、民信之」という叙述の内容の確かめである。
「矣」は止まるが原義の字。
その引申義として完了の語気を表したり、将来そこに行き着くであろうという将来的判断、必然的にそうなる、そうなっているという必然的判断を表すとされるが、いずれもそうなる・そうなのだという確認の働きである。
ここは政治の要諦は、必然的にこの3つなのだという語気を表しているのである。
(4)【必不得已而去】「必不得已而」という句が謂語「去」を連用修飾する形。
したがって連詞「而」は句と共に用いられて連用修飾をする働きで用いられている。
「必」は、しっかり縛り付けるが原義の字で、「かならず」の意はその引申義。
ここでは「どうしても」「必要上どうあっても」という意味の副詞。
「不得已」は、読み通り「やむをえず」の意。
「已」は終結を表し、動詞なら「終わる・終える」、副詞なら「すでに」、語気詞なら「~で終わり」から「のみ」の意を表す。
現状で終えることができずにというのが「やむをえず」だ。
ここで「已」は、行為や状況の客観的な可能性を表す助動詞「得」の賓語となり、客観的な状況が許されて「終えることができる」の意を表す。
つまり、「不得已」は、それが許されない逼迫した状況を表しているのである。
「去」は、除き去る、捨てるの意。
(5)【於斯三者何先】介詞句「於斯三者」+賓語「何」+謂語「先」の構造。
「於斯三者」は、「この三つのもので」の意。
結構助詞「者」は、このように数詞の後に置かれて名詞句を構成することがあるのだ。
また不定の数詞の後に置かれて、「数者」(いくつかのこと)という名詞句を構成することもある。
「斯」は近称の代詞、この。『論語』では「此」は用いられず、「斯」が多用される。
介詞「於」は、ここでは動作行為の依拠する範囲を表す。~(の中)で。
「三者」は「兵」「食」「信」を指す。
「何先」は、「先」(先にする)の賓語「何」が疑問代詞であるため、謂語の前に倒置したもの。
賓語である疑問代詞を謂語より先に表現するのは、問いたい内容を真っ先に表現しようとするもので、いわば強調のために提示するわけだ。
それがいつの間にか標準的な語順に定着したのであろう。
したがって、「何先」(何を先にするか)は、形の上では倒置文だが、むしろこれが普通の表現で特殊ではない。
ちなみに、「先何」という表現は逆に特殊ではあるが、文法上無理な表現ではなく、これに類する表現は探せばいくらでもある。
さて、この箇所、唐の陸徳明は『経典釈文・論語音義』において、
「於斯三者、一読而去於斯為絶句」
(「於斯三者」は、一に「而去於斯」と読みて絶句と為す)
とする。
これに従えば、「必不得已而去於斯、三者何先」(必ず已むを得ずして斯より去らば、三者何をか先にせん)となる。
(6)【去兵】「去兵」は、もちろん軍備を取り去るの意だが、春秋末期の乱世において軍備を有しなければたちまち国は滅亡するのであって、もとより孔子が軍備を軽んじているわけではない。
やむをえず取り去るならという仮定条件の中での話である。だが、それとは別に、明の郝敬は『論語詳解』において、
「一不得已先去兵、再不得已寧去食。去猶言少也。非故欲去之。事窮急、寧少一件耳」
(ひとたびやむをえず先に兵を去り、ふたたびやむをえず食を去る。「去」とは少なくするというようなものである。もとよりこれを去りたいと思うのではない。事態がさしせまっているので、一件を少なくした方がよいとするばかりである)
と述べて、あくまで軍備を減らすのであって完全に取り去るとは解していない。
政治の要諦として挙げた3つはいずれも欠くべからざるものだが、とりあえず兵に重点を置くことをやめるということであって、軍備をもたない、放棄するというわけではあるまい。
(7)【去食】これも前項と同じで、経済政策を一切行わなくするという意味ではあるまい。
(8)【自古皆有死】介詞句「自古」+副詞「皆」+謂語「有」+賓語「死」の構造。
「有死」は存在文、あるいは所有文。
「自古」と「皆」は順に謂語「有」を連用修飾するのである。
「自」は時の起点を表す介詞。~から。1の(5)で述べた。
「皆有」は、「民にはみなある」の意。
「自古皆有死」は、「古来人の世に死はつきものだ」のように解されることがあるが、孔子はそのような一般論として述べているのではあるまい。
戦争で死に、飢饉に餓死する民はこの時代現実的なものであったろう。
民が死にさらされるのは古来より避けようのないことだという前提で孔子は述べているように思う。
この句、「自古皆死」(昔から(民は)みな死ぬ)とは違う。
「有」は「死」という事実が客観的に存在することを示すのである。
つまり、「みな死ぬ」のではなく、「みな死ぬということはある」、「みな死というものをもつ」と客観的に述べているのだ。
(9)【民無信、不立】確定条件を表す複文。
前句は、主語「民」+謂語「無」+賓語「信」で条件を表し、後句は否定副詞「不」によって修飾された謂語「立」で、前句の条件で後句のようになることを表す。
仮定文ではないので、本来は「民信無ければ」と読むべきだが、訓読では「無くんば」と読むほうがむしろ多い。
「民無信」は存在文(民に信頼がない)、あるいは所有文(民が信頼をもたない)。
「無」は「有」の対義の動詞である。
この句、(3)の「民信之矣」をどう解釈するかで、意味が変わってくる。
すなわち、現行の解釈の主流である「民は信義あるものにする」に従えば、「民に信義がなければ、(民は)成り立たない」となる。
つまり、「無」の主語も「不立」の主語も「民」ということになる。
民が成り立たないとは、民が人として自立し得ないとも、民の生活が成り立たないとも解せるし、後世の学者はさまざまに論じている。
しかし、「民信之矣」を「民が為政者を信頼する」と解せば、「民無信、不立」は至極明瞭、「民に(政治に対する)信頼がなければ、(政治は)成り立たない」となる。
これは概ね古注の解釈で、北宋の邢昺の疏に
「治国不可失信。失信則国不立也」
(国を治めるには(民の)信頼を失ってはならない。信頼を失えば国は成り立たないのである)
とあるのが代表格であろう。
前述したように、この解釈の揺れは語法上の問題ではない。
民が為政者を信頼するのか、民に信義の心をもたせるのかは解釈上の問題で、語法的にはどちらも通る。
ただ、前者で普通に解せるものを、あえて後者で解釈しようとするのは、学者の思想如何による。
子貢は政治のありようを問うたのであって、民が「立つ」か否かを問うたわけではあるまい。
民に信義の心をもたせるべく行うのが政治だといえばそれまでだが、筆者は国民に信頼されてこその政治というわかりやすい理解でよいように思う。
なお、正平本と『論語義疏』は、この箇所「民不信、不立」に作る。
普通に読めば「民信ぜざれば、立たず」であり、「民が(政治を)信じなければ、(政治は)成り立たない」と解するのが強引さのない解釈であろう。【文の成分および品詞分解】(←クリックしてください)