『論語』注解2
『論語』注解2■原文(1)
子貢問曰、「(2)
有一言而可以終身行之者乎。」子曰、「(3)
其恕乎。(4)
己所不欲、(5)
勿施於人。」(衛霊公)■訓読子貢問ひて曰はく、「一言にして以て終身之を行ふべき者有りや。」と。子曰はく、「其れ恕(じよ)ならんか。己の欲せざる所、人に施す勿(な)かれ。」と。■訳子貢が質問した、「ひと言で生涯それを行うことのできるものがありますか。」先生がおっしゃった、「『恕』(思いやり)であろうか。自分が望まぬものは、人に施してはならない。」■注(1)【子貢】姓は端木、名は賜。子貢は字である。衛の人。
孔子よりも31歳若い(『史記』仲尼弟子列伝)。
弁舌巧みにして、商才のある資産家であった。
言語的な才能がすぐれていたからこそ、「一言」にして道徳の要諦をつくものに興味を抱いたとも言えよう。
(2)【有一言而可以終身行之者乎】謂語「有」+賓語「一言而可以終身行之者」+語気詞「乎」の構造の存在文。
「一言而可以終身行之」は「一語で終身それを行える」という独立した文だが、結構助詞「者」により名詞句となり、「有」の賓語になりやすくなっている。
「者」自体は具体的な意味のない形式的な名詞ともいえるが、先行する部分を受けて具体的な意味が補われた名詞句をつくり、それを指示する働きがあるのだ。
ここでは物や事を指す。
「乎」は疑問の語気を表す語気詞。
訓読では、通常この例のように疑問代詞やその他の疑問を表す語が伴わぬ場合は、「有~乎」で「有りや」と読むが、「有るか」と読まれることもあるようだ。
「一言」は一つのことば。
「言」が文字を表すことから、漢字一字と解することもできようが、必ずしも「一言」が漢字一字のみを表すわけではない。
『論語・子路』に、定公が
「一言而可以興邦、有諸」
(「一言」で国家を興隆させ得る、それはあろうか)
と孔子に尋ねた際、孔子は
「人之言曰、為君難、為臣不易」
(人のことばに「君であるのは難しく、臣であるのは容易でない」と言います)
と答えている。
一字に限らず、一句ほどのものも「一言」というのである。
「而」は連詞。
「一言」と共に用いられて、後の謂語「可以~行」を連用修飾するのである。
「一言で」の意味で、「一言、そして」ではない。
「可以」について。
働きを明確にするために「可以行之」に簡略にすると、この形は元来「可以A行之」(Aを以て之を行ふべし)であったはずだ。
つまり「以」は介詞であって、何らかの賓語を伴って介詞句を構成し、謂語を連用修飾したものである。
たとえば、『楚辞・漁父』に見られる
「滄浪之水清兮、可以濯我纓」
(滄浪の水清まば、以て我が纓を濯ふべし)
は、「以」の賓語は前出する清んだ滄浪の水である。
「その清らかな水で洗うことができる」の意だ。
「可」は助動詞、すなわち能願動詞であるから、「以」が修飾する「濯我纓」を賓語として、「以濯我纓」を「可とする」の構造をとるのである。
ところが、この例のように「以」の働きが明瞭に残っている場合もあれば、賓語が何であるかがわからず介詞句の働きの不明瞭な例も多出する。
このような場合、「可以」を複音節の助動詞とみなす考えが行われている。
介詞としての働きが虚化したものと考えるわけだ。
そうではあっても、本来は「可以」+謂語の構造ではなく、あくまで「可」+「以」謂語の構造である。
さて、「一言而可以行之」の場合、「以」の賓語はやはり前出する「一言」で、「ひと言で、それでそれを行える」の意。
「それで」が「以」、「それを」が「之」だ。
「それ」が重複するが、「之」は、一言によって示された価値ある徳目を受ける。
あるいは、それにふさわしい行為内容だ。
「之」は1の(3)で述べたように、「此」とは異なる形式的な語であって、前(もしくは後)に述べられたことがあって、はじめて自己の意義が実質化される。
形式的な語であるから、本来賓語をとるべき謂語動詞「行」を単独で用いる不安定さを解消するための穴埋めに用いることができるのだ。
したがって、「それを」はむしろなくして、「それで行える」と解する方が具合がよかろう。
「終身」は「身を終ふるまで」と読んでもよいし、そう読まれることもある。
一生涯の意。
(3)【其恕乎】「恕」は、他者への思いやりの心。
「其~乎」は、不確実な判断を示して、「~であろう」という推量推測の意味を表す。
「其」は元来指示代詞であるが、「此」などとは違って、そこにあるものを直接指す語ではない。
その抽象性から、副詞に転じて不確実な判断を表すようになったのであろう。
もはや指示代詞としての働きを失っているから、「それは」とは訳さない。
「蓋」(けだし)が、おしなべて広く一般的な推量を表すのに対して、「其」はもともと「それ」と指示する代詞であったために、限定的な推量を表す。
つまり、子貢の問いを受けて、それについて限定して推量するのである。
「其恕乎」は、「恕であろうか」という意味だから、「其れ恕ならんか」と読むべきかと思うが、古来「其れ恕か」と読まれている。「乎」は疑問の語気を表す語気詞。
「恕である」と断定するのでなく、「恕であろうか」と不確実な判断として疑問の語気を添えたのである。
(4)【己所不欲】「所」は結構助詞で、後に伴う動詞(ここでは「不」の修飾を受ける「欲」)の客体を表す名詞句を作る。
「欲」は「ソレを欲する」という他動性の客体をとる動詞だから、「所」はソレである。
つまり「所不欲」は「(ソレを)欲しないソレ」という名詞句になる。
それが「己」の修飾を受けて、「自分の」+「欲しないソレ」の意から、「自分が望まないもの・こと」と意訳するのである。
この理解が肝要だ。
それを知らずに単に「~するもの・こと」という名詞句を作るのが「所」の働きだなどと考えていると、「所与桃」を「桃を与ふる所」と読んで、「桃を与えること」などととんちんかんな訳をしたりすることになる。
そもそも動詞の客体には、
・他動性(主に「~を」どうする)
・依拠性(主に「~に・~より」どうする)
・生産性(主に「~と」どうする)
の3つがある。
「船に乗る」なら「船」は「乗る」の依拠性の客体、「美なりと曰ふ」なら「美なり」は「曰ふ」の生産性の客体だ。
「所」が後の動詞の客体を表す時、3つのうちのどの客体を表しているのかを見極めなければならない。
「~するもの・こと」では済まぬ相談だ。
「所与桃」の場合、「所」が他動性の客体を表しているなら、「(ソレを)与えるソレである桃」だ。
つまり「与える桃」の意だから「与ふる所の桃」と読む。
ところが、依拠性の客体を表しているなら、「(ソノヒトに)桃を与えるソノヒト」という意味になるから、「桃を与ふる所」と読むことになる。
つまり、「桃を与ふる所」は「桃を与えるひと」の意であって、「桃を与えること」などという意味を表すはずがない。
この理屈は「所」を「ソレ」「ソノヒト」「ソコ」などと置き換えてみて初めてわかることだ。
名詞句を作る助字などといういい加減な説明で済ませていては、とうてい理解できるものではない。
ところで、「所」によって作られる名詞句は、それと限定されないものになる。
「食桃」なら「桃を食べる」で、桃と限定される。
しかし、「所食」は「食べるソレ」であるから、特に桃とか栗とかに限定されず、食べるものなら何でもよいわけである。
だからこそ、「己所不欲」は、「自分が望まないソレ」と、とにかく自分が望まないものならなんであれと、限定されない内容を指すことになる。
その理解も肝要だ。
この「己所不欲」は「自分が望まないことは」と、判断の対象として文頭に置かれて提示される句。
中国の主流の文法学では主題主語(文の主題を表す主語)とされるが、主題であって主語ではないとする考え方もある。
いずれにしても、「自分が望まないことについていうならばそれは」と文頭に置いて、自己の判断を謂語で述べるのである。
意味的には後の謂語「勿施」(施すな)の賓語の内容にあたるが、決して賓語ではない。
「勿施己所不欲」(自分が望まないことを施すな)なら、「己所不欲」は「勿施」の客体を表すから賓語であるが、「己所不欲勿施」(自分が望まないことは施すな)は、「勿施」の他動性は「己所不欲」に及ばず、賓語としての働きをもたない。
「不読書」(書物を読まない)と「書不読」(書は読まない)の違いを考えるとよくわかる。
(5)【勿施於人】謂語「勿施」+介詞句「於人」の構造。
「勿」は禁止や教戒を表す副詞。
「雑色の旗」が原義の字。
見えにくいことから否定の意を生じた。
ここでは謂語の中心語「施」を連用修飾し、「施すな」(禁止)または「施してはいけない」(教戒)の意を表す。
「於人」は、謂語「勿施」自体が「誰に施すな」なのかという依拠性を欠くがゆえに、それを「人に対してする」という意義をもって謂語に補充する働きをする。
すなわち「施す勿きこと人に於てす」が本来の構造である。
介詞といえども元は動詞、「施於」(に施す)という動詞が「人」という依拠性の賓語をとるのであるが、現在の文法学ではこのような「於人」は謂語の後に置かれる介詞句として、謂語を後置修飾する補語と説明される。
なお、「己所不欲、勿施於人」の八字について、吉川幸次郎は
「仁斎は、『恕』の道徳の要点を、念のために丁寧に告げたのがこの八字だとし、徂徠は『恕』の内容は丁寧にいわなくてもわかっているのに、この八字があるのは、後人の書き足しが、正文にまぎれ込んだとする。徂徠の説は、仁斎に細かな点でも反発しようとしての、思いすごしのように思われる」
と述べている(前出)。
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