『孟子』注解4

(内容:『孟子』で、教科書によく採用される「四端の説(不忍人之心)」の文章の文法解説。)

『孟子』注解4

■原文
孟子曰、「(1)人皆有不忍人之心。(2)先王有不忍人之心、(3)斯有不忍人之政矣。(4)以不忍人之心、行不忍人之政、(5)治天下可運之掌上。(6)所以謂人皆有不忍人之心者、(7)今人乍見孺子将入於井、(8)皆有怵惕惻隠之心。(9)非所以内交於孺子之父母也。(10)非所以要誉於郷党朋友也。(11)非悪其声而然也。(12)由是観之、(13)無惻隠之心、非人也。(14)無羞悪之心、非人也。無辞譲之心、非人也。無是非之心、非人也。(15)惻隠之心、仁之端也。(16)羞悪之心、義之端也。(17)辞譲之心、礼之端也。(18)是非之心、智之端也。(19)人之有是四端也、(20)猶其有四体也。(21)有是四端、而自謂不能者、(22)自賊者也。(23)謂其君不能者、賊其君者也。(24)凡有四端於我者、(25)知皆拡而充之矣。(26)若火之始然、泉之始達。(27)苟能充之、(28)足以保四海、(29)苟不充之、不足以事父母。」(公孫丑上)

■訓読
孟子曰はく、「人皆人に忍(しの)びざるの心有り。先王人に忍びざるの心有り、斯(ここ)に人に忍びざるの政(まつりごと)有り。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、天下を治むること之を掌上(しやうじやう)に運(めぐ)らすべし。人皆人に忍びざるの心有りと謂(い)ふ所以(ゆゑん)の者は、今人乍(たちま)ち孺子(じゆし)の将(まさ)に井(ゐ)に入(い)らんとするを見れば、皆怵惕(じゆつてき)惻隠(そくいん)の心有り。交(まじ)はりを孺子の父母に内(い)るる所以に非ざるなり。誉(ほま)れを郷党(きやうたう)朋友に要(もと)むる所以に非ざるなり。其の声を悪(にく)みて然るに非ざるなり。是(これ)に由(よ)りて之を観(み)れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり。羞悪(しうを)の心無きは、人に非ざるなり。辞譲(じやう)の心無きは、人に非ざるなり。是非の心無きは、人に非ざるなり。惻隠の心は、仁の端(たん)なり。羞悪の心は、義の端なり。辞譲の心は、礼の端なり。是非の心は、智の端なり。人の是の四端有るや、猶ほ其の四体有るがごときなり。是の四端有りて、自ら能(あた)はずと謂ふ者は、自ら賊(そこな)ふ者なり。其の君能はずと謂ふ者は、其の君を賊ふ者なり。凡そ我に四端有る者は、皆拡(ひろ)げて之を充(み)たすを知る。火の始(はじ)めて然(も)え、泉の始めて達するがごとし。苟(いやし)くも能(よ)く之を充たさば、以て四海を保(やす)んずるに足り、苟くも之を充たさずんば、以て父母に事(つか)ふるに足らず。」と。

■訳
孟子が言うには、「人にはみな他人の不幸を見過ごすに耐えない心がある。昔の聖王は他人の不幸を見過ごすに耐えない心があって、国民の不幸を見過ごすに耐えない政治があった。他人の不幸を見過ごすに耐えない心で、国民の不幸を見過ごすに耐えない政治を行えば、天下を治めることは、手のひらの上で転がすことができる。(私が)人にはみな他人の不幸を見過ごすに堪えない心があるという理由は、今、人が不意に幼児が井戸に入ろうとするのを見れば、みなはっと驚き憐れむ心をもつ(からだ)。(人は幼児を助けようとするであろうが、それは)交際を幼児の父母に入れたいからではないのである。(幼児を助けたという)名誉を村の人々や友人に求めたいからではないのである。(助けなかったという)その(悪い)評判をにくんでそうしたではないのである。このことより見ると、惻隠の心(=いたみ憐れむ心)がないものは、人ではないのだ。羞悪の心(=不善を恥じにくむ心)がないものは、人ではないのだ。辞譲の心(=他者に譲る心)がないものは、人ではないのだ。是非の心(=善悪を正しく判断する心)がないものは、人ではないのだ。惻隠の心は、仁の芽生えである。羞悪の心は、義の芽生えである。辞譲の心は、礼の芽生えである。是非の心は、智の芽生えである。人にこの四つの芽生えがあるのは、その四体(両手両足)があるのと同じである。この四つの芽生えがあって、自分でできないとという者は、自分で自分を傷つけそこなう者である。自分の主君はできないという者は、自分の主君を傷つけそこなうものである。すべて自分に四つの芽生えがあるものは、みな拡大してそれを充実することを知る。火が燃え始め、泉が湧き出し始めるのと同じ。かりにもそれを充実させることができれば、それで四海(天下)を保つに足るが、かりにもそれを充実しなければ、それで父母に仕えるにも足りない。」と。

■注
(1)【人皆有不忍人之心】
主語「人」+謂語「有」+賓語「不忍人之心」の構造。
存在文だが、所有文という場合もある。
しかし、この「有」は客体をとる他動詞ではあっても、意志的な他動ではなく、自然的な他動である。
つまり「有」は主語「人」の意志的な動作ではない。
いわば「人」は自然物にでも相当し、人の意志に関わりなく「不忍人之心」をあらしめているのだ。

「人皆」は、皆の人。
「皆」という副詞は、行為の主体に関わる場合と客体に関わる場合があるが、ここでは前者。
客体に関わる場合については、(25)で述べる。


「忍」は、「抑制、忍耐」が本義で、引申義として悪事に耐えることから「むごい、残酷である」の意がある。
「不忍人之心」とは、他者の不幸を見るに耐えない心であり、他者の不幸を平気で見ていられるほどに残忍ではない心でもある。


(2)【先王有不忍人之心】

構造は(1)に同じ。

「先王」は、古代の聖王。
『孟子』には、堯、舜、禹、文王が古代の聖王として登場する。


(3)【斯有不忍人之政矣】

「斯」は連詞。
「則」に類し、「その場合、~すれば」などの意を表す。
人に忍びざるの心があって、「そうであれば必然的に」人に忍びざるの政治があるということ。

「矣」は、確認の語気を表す語気詞。
「古代の聖王は他人の不幸を見過ごしにできない心をおもちであったればこそ、国民の不幸を見過ごしにできない政治をなさったのだ(よ)」と確認するのだ。


(4)【以不忍人之心、行不忍人之政】

介詞句「以不忍人之心」+謂語「行」+賓語「不忍人之政」の構造。
介詞「以」は、~で、~を用いての意。
介詞句が謂語「行」を連用修飾する。
「不忍人之心」は為政者も先天的にもつ善心だが、「不忍人之政」はそれを拡充することで行える善心に基づく政治である。

(5)【治天下可運之掌上】
「運」は、転がす。

「掌」は、手のひらで、「掌上」は手のひらの上。


「可運之掌上」は、それを手のひらの上で転がすことができるの意で、きわめて容易であることのたとえ。

さて、この句は、「治天下」(天下を治めること)が、「運之掌上」(それを手のひらの上で転がす」ことについて可であるということをいう。
「可」はここでは可能の助動詞とされるが、3の(13)で述べたように、もともとは「よろしい」という意味の形容詞。
したがって、可能の助動詞だから「~できる」という意味だと思い込む前に、「A可B」のAとBの関係に思いを致すことが肝要である。
「AはBすることについて可である」の意だ。


そこで問題となるのが、「之」の指すものである。
『孟子・梁恵王上』に同様の表現として、

「老吾老、以及人之老、幼吾幼、以及人之幼、天下可運於掌」(自分の老者(=たとえば父母)を老いたるものとして(敬し)、他人の老者に(その心を)及ぼし、自分の幼者(=たとえば子供)を幼いものとして(慈しみ)、他人の幼者に(その心を)及ぼせば、天下は手のひらでめぐらすことができる)

があり、この「天下可運於掌」(天下は掌に運らすべし)には「之」が用いられていない。
そもそも「A可B」はAがBの客体を表すことが普通なので、「A可B之」(A之をBすべし)の形をとらないことが多い。
この例の場合なら、「天下」は「運於掌」(手のひらで転がす)について可であり、「天下」が「運」の客体に相当するから、「之」は必ずしも要しないのだ。
したがって、本文は「治天下可運掌上」もしくは「治天下可運於掌上」でも十分に通じる。
ところが実際の本文は「治天下可運之掌上」となっていて、「之」が伴う。
この「之」は何を指すのか。


趙岐の注には、

「先聖王推不忍害人之心、以行不忍傷民之政、以是治天下、易於転丸於掌上也」
(先代の聖王は人をそこなうに忍びない心を押し広めて、人民を傷つけるに忍びない政治を行った、これで天下を治めれば、丸いものを手のひらの上で転がすより易しいのである)

とある。
つまり、「可運之掌上」を「転丸於掌上」とするが、これは句意の説明であって、「之」の指示内容を「丸」としているわけではない。
『新釈漢文大系』は

「天下を治めることなどの容易さは、あたかも手のひらに丸い物をのせてころがすほどに、たやすいことである」と訳し、「丸いものを、てのひらに載せて、ころがすということで、物事をなすのがきわめて容易なことを形容した言い方である」

と注する。
その他の現行の参考書もほぼこれと同様で、訳や注からは「丸いもの」を指すかのような記述になっている。
江戸時代の参考書や中国のものもいくつか目を通したが、明確に述べられているものは見つけられなかった。


私見を述べる。
通常、「之」は前言に述べられた内容を指して自己の実質性を満たす形式的な名詞である。(後で述べられる場合もある。)
その点が実質的な意義をもつ「此」や「是」などと明確に異なる点である。
ところが、「之」が前言にも後言にもその指示する内容をもたないことがある。
たとえば、

「知之者不如好之者。好之者不如楽之者」
(知るは好むに及ばない。好むは楽しむに及ばない 論語・雍也)

の「之」のごときである。
「知之」「好之」「楽之」の「之」は、「知」「好」「楽」の客体ではあるが、具体的にそれと示せない。
知る何かであり、好む何かであり、楽しむ何かである。
本文の「之」もこの類ではないか。
「治天下可運之掌上」は、「天下を治めることは、それを手のひらの上で転がすことができる」の意だが、「之」は「治天下」を直接指すわけではない。
手のひらの上で転がす対象として「之」を置き、それに照らして「治天下」は可であるかどうかということなのだ。
つまり、この「之」は手のひらの上で転がす何物かであり、それと具体的に限定されない。
天下であっても、それ以外のものであっても、転がす上で可か不可かということを判断するために置かれたものであって、「之」は「治天下」をあてはめてみる箱でしかない。

(6)【所以謂人皆有不忍人之心者】
先頭に「吾」を補い、「吾所以謂人皆有不忍人之心者」で、「私が人にはみな人に忍びざるの心があるという理由は」の意で主語となり、後の謂部「今人乍見孺子将入於井、皆有怵惕惻隠之心」(今、人がふいに幼児が井戸に入ろうとするのを見れば、みなはっと驚きあわれみいたむ心をもつ(からだ)」に対する。

「謂」は、あることについて考え評価して述べる、または思うの意。


「(吾)所以謂人皆有不忍人之心者」を直訳すれば、「私の、ソレを理由に『人にはみな人に忍びざるの心がある』というソレは」となる。
「所」がソレである。
一般化して「A所以B者」(AのBする所以の者は)は、「Aの、ソレを理由にBするソレは」から、「AがBする理由は」の意になる。
「所」は、介詞「以」の不定の客体であると同時に、その介詞句「所以」が連用修飾する「謂」以下の句を名詞句にする。
「所以」を「ゆゑん」と熟して読むだけでは、構造はわからない。


これについてもう少し詳しく述べる。
そもそも結構助詞「所」は後の動詞の不定の客体を表す名詞句を作る。
たとえば、「食桃」(桃を食らふ)の「桃」は「食」の限定された客体である。
しかし、「所食」の場合、「所」は「食」の客体ではあるが、限定されぬ不定の何かである。
だから「所」をソレに置き換えると、「所」(ソレ)は後の動詞「食」の不定の客体を表して副詞的に「食」を修飾し「ソレを食べる」となり、同時に名詞句を作るから「食べるソレ」となる。
つまり、「ソレを食べるソレ」の意だから、意訳して「食べるもの」などと訳すのだ。


ところが、「所」が介詞の不定の客体となる場合がある。
介詞はおおむね元は動詞だから、「所+介詞」で介詞句を構成し得るのだ。
「所以」「所与」「所従」などがそうである。
これが先に述べた普通の動詞の場合と異なるのは、介詞が後の謂語動詞を副詞のように修飾する性質をもつ点である。
本文の場合、「所以」は、「ソレを理由に」の意で後の謂語動詞「謂」を修飾して、「ソレを理由にいう」となるが、同時に「所」には後の介詞を名詞句にする働きがあるから、介詞句が修飾した部分も含めて名詞句となり、「ソレを理由にいうソレ」となる。つまり、意訳すれば「いう理由」となる。

他の介詞の例を示せば、『孟子・離婁下』に、

「其妻問所与飲食者、則尽富貴也」
(その妻が(夫の)ともに飲食した人を問うと、すべて富貴(の人)である)

という例があるが、これも「所与飲食」とは、「ソノヒトと飲食するソノヒト」の意であるから、「ともに飲食する人」という意味になる。
陶淵明の「桃花源記」に

「見漁人、乃大驚、問所従来」
(漁師を見て、とても驚き、どこから来たのかを問うた)

の例も、「問所従来」は、本来は「ソコから来たソコを問う」の意である。


本文は「(吾)所以謂人皆有不忍人之心」で十分に意味が通るが、後に結構助詞の「者」をとる。
この「者」は形式的な名詞で、前の語により実質的な意味が補充される。
ここも「所以謂人皆有不忍人之心」により(厳密には「所」により)実質的な意味が補充されて、事物・事情を指す。
「(私の)ソレを理由に人にはみな人に忍びざるの心があるというソレ」という事情(者)である。


(7)【今人乍見孺子将入於井】

「今」については、3の(11)で述べた。
時間を表す名詞だが、文意から「今かりに」と解せるので、現在の語法学では仮設連詞と説明される。


「乍」は、突然、急にの意。


「孺子」は幼児。
趙岐は「未有知之小子」(まだ頑是ない小さな子)という。


この句は、主語「人」+謂語「見」+賓語「孺子将入於井」を基本構造とする。
したがって、「孺子将入於井」は「幼児が井戸に入ろうとすること(光景)」の意の名詞句である。


「将」は、将来を表す時間副詞。
~しようとする、~しそうであるの意。
訓読上再読文字として扱うからといって、必ず「今にも」や「ちょうど」を前につけなければならないわけではない。

賓語にあたる「孺子将入於井」は、主語「孺子」+謂語「入」+介詞句「於井」が基本構造。
「入」は依拠性動詞だが、その依拠性を明確にするために介詞「於」が置かれ、「於井」で「井戸に」という意味を表す。
「於」はここではどこにという場所あるいは対象を表している。


この句は後の部分に対して「今人がふいに幼児が井戸に入ろうとするのを見れば」という仮定を表し、いわば仮定の複文の前句を構成している。
だから「今」が仮設連詞とされるわけだ。


また、「井」について、『全釈漢文大系』は、中国の井戸の高さが低いとし、『鑑賞中国の古典』も、

「中国の井戸はたいてい、高さ二○~三○センチメートルほどの石のわくで囲まれているだけだから、落ちやすいのである。」

とする。


(8)【皆有怵惕惻隠之心】

「怵惕」は、はっと恐れ驚く。
趙岐は

「驚駭之情」
(驚き恐れる気持ち)

といい、朱熹は

「驚動貌」
(驚きさわぐ様子)

という。

「惻隠」は哀れみいたむ。
朱熹は

「惻、傷之切也。隠、痛之深也」
(惻は、傷むことの切なるものである。隠は、痛むことの深きものである)

という。

「有」については、(1)で述べた。
自然的な他動である。


(7)を仮定の複文の前句とし、仮定の結果どうなるかを示すこの句が後句となる。

また、(6)で述べたように、(7)(8)の複文が、主語である(6)の句の謂部になっている。

(9)【非所以内交於孺子之父母也】
これ以降の句を解釈する前提として、諸参考書は、誰もが怵惕惻隠の心をもつの後に言葉を補って解釈している。
『新釈漢文大系』は「それを助けようとする」、『岩波文庫』は「かけつけて助けようとする」、『全釈漢文大系』は「助けようとする」、『研究資料漢文学』は「(…、そして駆け寄って救おうとす)るであろう」などである。
これに従えば、この(9)~(11)の句は、幼児を助ける理由として打ち消される内容になる。


しかし文脈から考えれば、それらの句は誰もが怵惕惻隠の心をもつ理由の候補として否定されるべきものであり、直接的には助けるという行動に出る理由ではないはずである。
趙岐が、

「所以言人皆有是心、凡人暫見小小孺子将入井、賢愚皆有驚駭之情、情発於中、非為人也、非悪有不仁之声名、故怵惕也」
(人にはみなこの心があるという理由は、およそ人が突然小さな子が井戸に入ろうとするのを見れば、賢愚をとわず皆が驚く気持ちをもち、その気持ちは内に起こるのであって、ひとのためにするのではないのであり、不仁の評判があるのを憎むがゆえにはっと恐れ驚くのではないのだ)

と説明するのは、やはりこれらの句を人がみな怵惕の心をもつ理由の否定と捉えていようか。
確かに怵惕惻隠の心をもつだけで幼児の父母に交際を結べたり、郷党朋友に賞賛されたり、あるいはもたずに非難されたりするというのは、やや無理があるかもしれない。
結果的に助けるという行動に出るであろうが、助けたのがではなく、瞬間的に怵惕惻隠の心をもつのは、打算でもなければ、責められることを恐れる気持ちが背景にあるのではないと孟子は言いたいのだと思う。
今、とりあえず諸本に従い、「人は幼児を助けようとするであろうが、それは」という本文には述べられていない内容を主部として、この(9)~(11)の句がそれを否定的判断する謂部にあたるとしておく。

「内」は「納」に同じく、入れるの意。
「内交」は交わりを入れる、つまり、交際を結ぶの意。


「所以内交於孺子之父母」は、直訳すれば、「ソレを理由に交わりを幼児の父母に入れるソレ」となる。
「所」がソレだが、ソノ行為とすれば、わかりやすい。
「ソノ行為を理由に交わりを幼児の父母に入れるソノ行為」だ。
要するに「交際を幼児の父母に結びたいから」となる。


この句、否定副詞「非」で、「~ではない」という否定的判断を表す。
つまり、幼児を助けようとした行為がその理由によるものではないということ。


「也」は、説明の語気を表す語気詞。


(10)【非所以要誉於郷党朋友也】

前項と同様の謂部。

「要」は、求める。
「要求」がその熟語。
「要誉」は、名誉を求める。
幼児を助けたという誉れを求めるのである。


「郷党」は村里。
ここでは郷里の人々。


「所以要誉於郷党朋友」は、「ソレ(ソノ行為)を理由に誉れを郷里の人々や友人に求めるソレ(ソノ行為)」だ。
つまり、「誉れを郷里の人々や友人に求めたいから」である。


この句も「非」により、幼児を助けようとした行為が、その理由によるものではないと否定的判断する。

(11)【非悪其声而然也】
これも同様の謂部。

「悪」は、いやだと思う。
「好」の対義語。


「其声」は、その評判。
文脈から、幼児を助けなかったという悪い評判であることがわかる。

「而」は連詞。
「悪其声」と共に、後の「然」を連用修飾する。

「然」は代詞。
そうであるの意。
叙述性をもち、そうである、そうするという意をもつ。
幼児を助けようとしたことを指す。


「也」は説明の語気を表す語気詞。


この句も「非」により、幼児を助けた理由が、悪い評判をいやだと思ったからではないと否定的判断している。


(12)【由是観之】

「このことよりそれを見ると」の意で用いられることから、一つの連詞のように扱われるが、もとは、介詞句「由是」+謂語「観」+賓語「之」の構造。
「由」は「自」「従」などと同じく、「~より・~から」という時間や場所の出発点を表す。
「これらのことから」のように因果関係を表すこともある。ここはそれ。


「是」は中称の代詞。
幼児を助けようとするが、「怵惕惻隠之心」によるのであって、先の3つの理由によるものではないという事情を指す。

「観」は、よく見る、観察する。
「観之」は、それを見る、それを考えるの意だが、「之」は「観」の客体ではあっても具体的な指示内容をもたず、無理にここまで述べられてきたことと解する必要はなかろう。

(13)【無惻隠之心、非人也】
「A、B也」(Aは、Bである)という判断文の形式。

「無」は「有」の否定で、動詞。
名詞または名詞句を賓語にとる。


「無惻隠之心」は、あわれみいたむ心がないもの、あわれみいたむ心をもたないものの意で、謂部「非人也」に対して、主題主語となっている。

「非人」は、人ではない。
否定副詞「非」が、人であるということに対して否定的判断を示す。


「也」は説明の語気を表す語気詞。


この句は、先の3つの理由が否定される以上、「不忍人之心」の表れでもある「惻隠之心」が、人の誰しもがもつ先天的なものであることになり、したがってそれをもたぬ者は人として認められないことを確認したもの。

(14)【無羞悪之心、非人也。無辞譲之心、非人也。無是非之心、非人也】
これら3句は、(13)と同構造。

「羞悪之心」は、不善を恥じ憎む心。
朱熹は

「羞、恥己之不善也。悪、憎人之不善也」
(羞は、自分の不善を恥じるである。悪は、人の不善を憎むである)

と注している。


「辞譲之心」は、自分を去り他者に譲る心。
朱熹は

「辞、解使去己也。譲、推以与人也」
(辞は、解いて自分を去るである。譲は、推して人に与えるである)

と注している。


「是非之心」は、善悪を判断する心。
朱熹は

「是、知其善而以為是也。非、知其悪而以為非也」
(是は、その善を知ってそれを是とするである。非は、その悪を知ってそれを非とするである)

と注する。

これら3句も、文のつながりとしては、「由是観之」(このことから考えると)として示された判断になるのだが、論理的には証明されていない。
いわゆる論理の飛躍だが、くどさを避けたものか。
弁のたつ孟子のことだから、もし説明を求められれば、容易になし得たものであるかもしれない。

(15)【惻隠之心、仁之端也】
この句も判断文。

「端」については、諸説あり。
「首(はじめ、芽生え)」とする趙岐の説、「緒(糸口、きざし)」とする朱熹の説、「本(もと)」とする伊藤仁斎の説などがあり、『研究資料漢文学』に詳しく述べられているで、参照されたい。
ここでは趙岐の説に従い、芽生えとしておく。


「仁」は、深い人間愛。
人をいつくしむ心である。
孟子は「仁、人心也」(離婁下)と述べている。
かわいそうだと思う気持ち(惻隠)が、深い愛の芽生えだというのである。


「也」は説明の語気を表す語気詞。


(16)【羞悪之心、義之端也】

(15)と同じ判断文。

「義」は、人が踏み行うべき正しい道。
孟子は「義、人路也」(離婁下)と述べている。
「仁」に到達するために、必ず人が踏み行っていかなければならない道徳的に正しい道をいう。
自分の不善を恥じ他者の不善を憎む気持ち(羞悪)が、正しい道を踏み行っていく芽生えだというのだ。


(17)【辞譲之心、礼之端也】

これも(15)と同じ判断文。

「礼」は、秩序。
健全な社会生活を支える礼儀、行動規範。
自分を抑え、他者に譲る心が、社会的な秩序への芽生えだという。


(18)【是非之心、智之端也】

(15)と同じ判断文。

「智」は、道徳的な物事を判断し見極める力。
善悪を判断する心が、道徳的に物事を見極めていく力への芽生えだというのである。


(19)【人之有是四端也】

「人之有是四端」は、後の謂部「猶其有四体也」に対して、主部になる名詞句。
「人有是四端」であれば、「人にはこの(その)四端がある」あるいは「人がこの(その)四端をもつ」の意の独立した文であるが、主語「人」と謂語「有」の間に結構助詞「之」が置かれて名詞句になっている。
このことについては、3の(4)で述べたので参照されたい。


「有」は「あり」と訓読しても、他動詞である。
ただし、自然的他動で、意志的なものではない。人は自分の意志によって四端があるわけではない。

「是」は中称の代詞。
「是四端」は、惻隠、羞悪、辞譲、是非という芽生えを指す。

「也」は語気詞。名詞句「人之有是四端」の後に用いてその意味を提示し、ポーズする。

(20)【猶其有四体也】
「猶」は、近似を表す動詞。
~に似る、~のようである、~と同じであるの意。


「其」は、中称の代詞。
ここでは人を指し、「有四体」の主体を表す。
しかし主体を表してもあくまで定語(連体語)であって、「其有四体」は、それが四体があることという名詞句である。

「四体」は、四肢、両手両足。

「也」は、説明の語気を表す語気詞。


「猶其有四体也」とは、人が両手両足があることに似る、すなわち人に両手両足があるようなものだということだが、人に四端があることと両手両足があることとは、どちらも先天的に備わっているという点において共通するのである。

(21)【有是四端、而自謂不能者】
「而」は連詞。
「有是四端」(その四端がある)を経由しその状態で「自謂不能」(自分でできないという)につながる。

「謂」は、評価し、述べる。
自分自身を「不能」と評価し述べるのである。


「不能」は、できない。
「能」を能力的に可能であることを表す助動詞として、「不能為」(為すこと能はず)の略と考えることもできるが、別に本動詞でもよかろう。
この「能」、通常は「よク」「よクス」と読み、否定副詞「不」が修飾する「不能」の形のみ「あたハず」と訓読する習慣がある。
ただ、この例のように単独で「不能」の形をとる時は、「よクせず」と読まれることもあるようだ。


「自謂不能」は、仁義礼智など大それたことはできないと卑下するということ。


「者」は結構助詞とされるが、形式的な名詞で、「有是四端、而自謂不能」により実質的な意義が補充されて名詞句を構成し、ここでは人を指す。

(22)【自賊者也】
「賊」は、傷つけそこなう。やぶる。

「自」は代詞とされることもあるが、用法的には副詞であろう。
動作の主体を表すが、その動作の客体のように見えることもある。
ここも、「自分で自分をそこなう」と解せる。
「自責」「自戒」などの熟語も同じ。
しかし、自分でそこなうとは、つまりは自分をそこなうことになるのであって、構造的に客体を表す語ではない。

この「者」も前項に同じく、「自賊」により実質的な意義が補充され、人を指す。

「也」は、説明の語気を表す語気詞。

(23)【謂其君不能者、賊其君者也】

「其君」は、自分の主君。
したがって、「謂其君不能者」とは、家臣になる。


「謂」「不能」「者」については、(21)で述べた。

「賊其君」は、自分の主君を傷つけそこなうの意だが、もちろん武器で傷つけるのではなく、見くびることをいう。

「者」「也」は前項に同じ。


(21)~(23)の句は、自分であれ、自分の主君であれ、人の誰もが四端を有しているのに、初手から仁義礼智には至り得ないと決めてかかる判断を責めたもの。

(24)【凡有四端於我者】
「凡」は、総じて、一般にの意。
すべての意と解する説もあるが、後文を見る限り、すべての四端を有する者が拡充を悟り行動するわけでもない。

結構助詞「者」により人を指す名詞句となっているが、「有四端於我」は、謂語「有」+賓語「四端」+介詞句「於我」の構造。

「於」は、場所を表す介詞。~に。

「有四端於我者」は「我に四端有る者」と訓読し、「四端我に有る者」とは読まない。


(25)【知皆拡而充之矣】

謂語「知」+賓語「皆拡而充之」の構造。

この構造からもわかるように、「皆」は「我に四端有る者」が皆の意ではない。
「皆」という副詞は、行為の主体に関わる場合がある一方、客体に関わる場合もある。
「A皆BC」(A皆CをBす)の場合、「みなのAがCをBする」という場合もあれば、「AがCをみなBする」という場合もあるのだ。
ここは後者で「四端皆拡而充之」の意。
つまり、四つの芽生えのいずれをもみな拡充するという意味だ。


「拡而充之」は、拡充という語の典拠となった表現。
「拡」は広げる、拡大する。
「充」は充足、充実するの意。
「之」は、「語調を整えるための助字」(『漢詩・漢文解釈講座』)と述べているものもあるが、やはり四端を指していよう。


「矣」は、確認の語気を表す語気詞。

さて、「凡有四端於我者、知皆拡而充之矣」の句は、通常「凡そ我に四端有る者は、皆拡めて之を充たすを知る。」で文を切る。
しかし、この句を仮定の複文における前句とする解釈もある。
「凡そ我に四端有る者、皆拡めて之を充るを知れば、」(『孟子示蒙』)、
「凡そ我に四端有る者、皆拡めて之を充(大)にすることを知らば、」(『岩波文庫』)、
「凡そ我に四端有る者、皆拡してこれを充すことを知らば、」(『鑑賞中国の古典』)
などである。
そもそも「凡有四端於我者、知皆拡而充之矣」で切れば、己に四端が有る人はその拡充を悟るということになるが、孟子は人はすべて「人に忍びざる心」を有すると最初に述べており、理屈を言えば、それだと人のすべてが悟ることになってしまって、どうもおさまりが悪い。
この句を複文の前句として扱う説があるのは、そのおさまりの悪さを解消しようとしたものかもしれぬ。


(26)【若火之始然、泉之始達】

「若」は、近似を表す動詞。
~に似る、~のようである、~と同じであるの意。


この句は、謂語「若」+賓語「火之始然泉之始達」の構造。
主語は四端、もしくは四端の拡充し始めるさまである。


賓語の「火之始然」、「泉之始達」は、「火始然」(火が始めて燃える)、「泉始達」(地下水が始めて湧き出す)という文の、それぞれ主語「火」「泉」と、謂部「始然」「始達」の間に結構助詞「之」が置かれ名詞句になったもの。
四端が拡充し始めるそのさまは、あたかも火が始めて燃えるさま、地下水が始めて湧き出すさまに似るのである。


「然」は、『字源』など各種字書によれば、もともと原義が火を燃やす意の字であったが、「しかり」など他の用法でもよく用いられたため、「燃える」の意を表すものとして、あえて「火」を加えて「燃」としたのだという。

「達」は、あらわれ出る。
ここでは地下水が湧き出すの意。


さて、前項で述べたように、この句は「凡有四端於我者、知皆拡而充之矣」を前句とする複文の後句と解釈する説がある。
その場合は、「総じて自分に四つの芽生えがあるものがそれらをみな広げてそれを充実することを知れば、(四つの芽生えはあたかも)火が始めて燃え泉が始めて湧き出すようなものだ。」ということになる。
四端を拡充すべきことを悟れば、その勢いはどんどん増して拡大していくということで、文意が通る。
あるいは是とすべきかもしれぬが、複文であるという明確な根拠が語法的になく、また、直後に仮設連詞「苟」を用いた複文が2つ連続するので、不自然だとされるのかもしれない。


(27)【苟能充之】

「苟」は、『説文解字』に

「苟、艸也」
(苟は、草(の名)である)

とあり、音を借りて、しばし、しばらくの意を表す。
それが転じて「しばらく~として・しばらく~したら」から「かりに」という仮設連詞になったもの。
一方、「いやしくも」という訓自体は、もともと卑下して「下賤ながらも」の意から「本当ではないにしても・真実ではないにしても」の意で用いられるようになったものらしく、仮定で用いるのは漢文訓読特有。

「能」は、能力的に可能であることを表す助動詞。
能願動詞ともいい、もともとが動詞であることから「充之」を賓語にとり、「それを満たすこと」を可能とするの意から、それを満たすことができるという意味になる。

「之」は、四端を指す。

この句は「苟」を仮設連詞として複文の前句を構成し、次の「足以保四海」を後句とする。
「もしそれをみたすことができれば」の意。
(連詞「苟」+)謂語「能」+賓語「充之」が本来の構造だが、便宜上、助動詞+動詞を謂語として、(連詞「苟」+)謂語「能充」+賓語「之」としておく。


(28)【足以保四海】

前項「苟能充之」に対する、仮定の複文の後句。

「四海」は、天下。
「保四海」は、天下を保つ、天下を安らかに治めるという意味。

「足」は可能の助動詞とされ、この句も四海を保つことができると解されることもある。
しかし、本来「足」は「可」と同じく形容詞で、十分であるの意。
十分であるから「できる」と意訳するのだが、わざわざそう訳す必要はあるまい。
さらに「足以」は介詞「以」を伴うので、「A足以B」の形で「Aは、それでBするに足る(=十分である)」の意味。
したがって、この句は主語が示されていないが、四端を拡充したものは、「それで四海を保つに十分である」の意になる。
この事情は「可以」と同じ。3の(18)参照のこと。
これらのことから、本来この句は、謂語「足」+賓語「以保四海」の構造だと思うが、便宜的に、謂語「足以保」+賓語「四海」ということにしておく。
同様のことが「可」の場合もいえる。


(29)【苟不充之、不足以事父母】

(27)(28)と同じ仮定の複文。

「不充之」は、それを満たさなければ。
「之」は、やはり「四端」を指す。


「事」は、つかえる。

「不足以事父母」とは、「満たし得ない四端で父母につかえることに足らない」の意で、つまりは「父母につかえることにも足らない」ということになる。
これも主語は示されていないが、「事」の行為主体であり、要するに四端を拡充しようとしなかった人である。


余談になるが、孟子の性善説の主張として、最近はこの四端の説ではなく、3の端水の章を教科書に採録することが多いように思う。
端水の章はやはり孟子の強弁のように思え、学習者にとって説得力がない。
それに比べて四端の説は、論理の飛躍は見られるものの、人の自然な思いに基づく行動を材料に述べており、理解しやすい。
教科書の紙幅の都合もあろうが、採録にあたっては学習者に読ませる教材としての内容の検討を願いたいものである



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【文の成分および品詞分解・3】(←クリックしてください)

※参考文献

・孫奭『孟子注疏』[十三経注疏](北京大学出版社)
・朱熹『四書章句集注』[新編諸子集成 第一輯](中華書局)
・焦循『孟子正義』[十三経清人注疏](中華書局)
・史次耘『孟子今註今訳』(台湾商務印書館)
・楊伯峻『孟子訳注』(中華書局)
・伊藤仁斎『孟子古義』[日本名家四書註釈全書](東洋図書刊行会)
・中村惕斎『孟子示蒙』[先哲遺著 漢籍国字解全書](早稲田大学出版部)
・中井履軒『孟子逢原』[日本名家四書註釈全書](東洋図書刊行会)
・安井息軒『孟子定本』[漢文大系](冨山房)
・簡野道明『孟子通解』(明治書院)
・近藤正治『孟子講義』(大修館書店)
・内野熊一郎『新釈漢文大系4 孟子』(明治書院)
・小林勝人『岩波文庫・孟子』(岩波書店)
・宇野精一『全釈漢文大系2 孟子』(集英社)
・島森哲男『鑑賞中国の古典3 孟子・墨子』(角川書店)
・前田康晴『研究資料漢文学1 思想Ⅰ』(明治書院)
・漢詩・漢文教材研究会編『漢詩・漢文解釈講座7 思想Ⅲ諸子』(昌平社)

・馬建忠『馬氏文通』(商務印書館)
・楚永安『文言复式虚词』(中国人民大学出版社)
・中国社会科学院语言研究所古代汉语研究室『古代汉语虚词词典』(商务印书馆)
・何乐士『古代汉语虚词词典』(语文出版社)
・解惠全等『古书虚词通解』(中华书局)

・松下大三郎『標準漢文法』(紀元社)
・牛島徳次『漢語文法論(古代編)』(大修館書店)
・西田太一郎『新訂 漢文法要説』(朋友書店)
・西田太一郎『漢文の語法』(角川書店)
・鈴木直治『中国古代語法の研究』(汲古書院)
・太田辰夫『古典中国語文法 改訂版』(汲古書院)
・太田辰夫『中国語歴史文法 新装版』(朋友書店)

・加藤常賢『漢字の起源』(角川書店)
・藤堂明保『漢字語源辞典』(學燈社)
・白川静『字統』(平凡社)
・落合淳思『甲骨文字小字典』(筑摩書房)
・李学勤『字源』(天津古籍出版社)

・漢語大詞典編輯部『漢語大詞典』(漢語大詞典出版社)   等