「故事五編」注解1・「守株」 (株を守る)

(内容:漢文由来の故事成語のうち、教科書によく掲載される「守株」(株を守る)の文章の文法解説。)

『故事五編』・「守株」(株を守る)注解

■本文
(1)宋人有耕田者。(2)田中有株。(3)兎走触株、(4)折頸而死。(5)因釈其耒而守株、(6)冀復得兎。(7)兎不可復得、(8)而身為宋国笑。

■出典
『韓非子』五蠹(底本:冨山房「漢文大系8 韓非子翼毳」)

■書き下し文
宋人(そうひと)に田を耕す者有り。田中(でんちゅう)に株(かぶ)有り。兎走り株に触れ、頸(くび)を折りて死す。因(よ)りて其の耒(すき)を釈(す)てて株を守り、復(ま)た兎を得んことを冀(こひねが)ふ。兎復た得(う)べからずして、身は宋国の笑ひと為(な)る。

■口語訳
宋の国の人に畑を耕すものがいた。畑の中に切り株があった。兎が走ってきて切り株にぶつかり、首を折って死んだ。そこで自分のすきを放り出して切り株を見守り、また兎を手に入れることを望んだ。兎は二度と手に入れることができずに、その身は宋の国の笑いものとなった。

■注
(1)【宋人】
《宋の国の人。》
「宋」は、現在の河南省商丘市にあった国の名。
紀元前11世紀、周の初代武王が殷王朝第30代紂王(ちゅうおう)を牧野の戦いで破り殷を滅亡させた後、周公旦により紂王の異母兄の微子啓(びしけい)がこの国に封じられ殷王朝の宗廟を継承した。

「宋人」はいわゆる亡国の民で、征服者である周の人々に頑迷で愚かな民として軽蔑された。
先秦の書物には愚か者の例として宋人が登場することが多く、たとえば、苗を育てようと無理に引っ張って枯らしてしまった「助長」(『孟子』公孫丑上)の話や、この「守株」などはその代表的な例。
なお、「宋人」は「そうひと」と読み、「そうじん」とは読まない。漢文訓読の慣例として、国の名の下の「人」は訓読みする習慣があるからだ。

(1)【田】
《畑。耕作地。》
『釈名・釈地』に、「已耕曰田。田填也。五稼填満其中也。」(已に耕すを田と曰ふ。田は填なり。五稼其の中に填満するなり。)とある。すでに耕した土地を田といい、五穀がその中に満ちるの意で、いわゆる日本でいう「田んぼ」とは異なる。

(1)【宋人有耕田者】
《宋の国の人に畑を耕すものがいた。》
存在文の形式。
人(生物)や物の存在を表す文を存在文という。
「A有B。」は「存在主語A+謂語「有」+賓語B」の形をとり、主語Aは賓語Bの存在する場所や範囲、対象を表す。
存在文では、Bが意味上の主語となる。
したがって訓読の際には、存在主語Aに送り仮名「ニ」を補って、「AニB有リ。」と読み、「AにBがある・いる。」と訳す。
この存在文の形式は、「AにBがある」と、意味上の主語Bが「有」の下にあるために、日本語感覚で見ると、主語と謂語が逆転しているように見える。
そのために「主語+謂語」の語順からはずれると思う向きもあろうが、本来「AがBを有す(もつ)」から生まれた構造で、「宋人有耕田者」も「宋人が畑を耕すものをもつ」と考えれば、語順の例外ではないことがわかる。

※謂語…述語。
※賓語…謂語(述語)の作用の客体を表す名詞や名詞句。高等学校の教科書などでは目的語と呼ばれることもある。なお、日本では「~に・~より」などと読む名詞を補語と呼ぶことがあるが、これも賓語である。

「者」は名詞句を作り出す結構助詞。
「者」自体は具体的な意味のない形式的な名詞ともいえるが、それに先行する部分を受けて具体的な意味が補われた名詞句をつくり、それを指示する働きがある。
ここでは、「耕田」(畑を耕す)という「謂語+賓語」の構造の後に置かれて、「畑を耕すもの」という名詞句を作り、人を指す働きをする。
用いられる状況によっては必ずしも「人」を指さず、事や状況、理由などを指すこともあるので注意が必要。

※結構助詞…語や語句の修飾関係を明らかにしたり、名詞句を構成したり、賓語の倒置を示すなど、文の構造に関する働きをする語。

(1)【宋人有耕田者】
王先慎は、旧本は「耕」の下に「田」の字があるが、『芸文類聚』巻95、『太平御覧』巻499、822、907等に引用する本文が「宋人有耕者」となっていることを論拠に、「田」の字を削るべきだとする(『韓非子集解』)。
一方、陳奇猷は「田」の字があっても意味は通じるので削る必要はないとする(『韓非子新校注』)。

(2)【株】
《木の切り株。くいぜ。》
『説文解字』木部に「木根也。」とある。
また、太田方は「株、断木也。」として、『一切経音義』の「殺樹之餘也。」を引用している(『韓非子翼毳』)。
要するに木の切り株。

(2)【田中有株】
《畑の中に切り株があった。》
前文「宋人有耕田者」と同じ存在文。
「田中」は存在主語だが、賓語「株」のある場所を示している。

(3)【触】
《ぶつかる。衝突する。》
「ふる」と読んでいるが、「さわる」という意味ではない。

(3)【兎走触株】
《兎が走ってきて切り株にぶつかり。》
俊敏な動物である兎が切り株に衝突するなどということは常識的には考えにくく、およそ滅多にないことの例として韓非は作話したのであろう。
日本に「柳の下にいつも泥鰌(どじょう)はいない」という諺があるが、その程度のレベルの話ではない。

(4)【折頸】
《首を折り。》
「頸」は、首の前部で、のどの部分。

(4)【折頸而死】
《首を折って死んだ。》
「死」は、訓読では通常「死ぬ」(ナ変)ではなく、「死す」(サ変)と読む習慣がある。

「而」は、句と句をつなぐ働きをする連詞。
ここでは「折頸」と「死」を時間列でつなぐ働きとも、「折頸」が原因で「死」という結果を招いたと因果関係を示すとも解せる。
いわゆる順接の用法なので、「テ」をつけて「走りて」と読む。
しかし、「而」の字自体が常に順接を表すわけではなく、並列や逆接、連用修飾を表すなどさまざまな用法があり、前後の文脈から判断する必要がある。
訓読の際には、この文のように文中にある時は置き字として読まないのが普通だが、ことさらに、あるいは無考えに読む人もあったりして、必ずしも一定しない。
たまに、読んであるから強調なのだなどと思い込んだり説いたりする人があるが、もちろん誤りで、あるいは訓読した日本人の思いはこもるかもしれぬが、ことさらに読んだからといって原文(漢文)そのものの意味が変わるわけではもちろんない。

※連詞…接続詞のこと。語と語、句と句、文と文をつなぎ、その関係を示す働きのある語。

(5)【因】
《そこで。》
連詞、前の動作や行為に密接に関わって後の動作や行為が起こることを表す。
ここでは、兎が切り株にぶつかって死んだことを受けて、願ってもない儲けであると考え、「そこで」の意味。

(5)【釈其耒】
《自分のすきを放り出し。》
「釈」は、投げ出す、手放して置くの意。
邵増樺は「棄置」、すなわちうち棄てるの意とする(『韓非子今註今訳』)。

「其」は、宋人を指し、「自分の」の意。

「耒」は、すき。畑を耕す農具の一つ。

(5)【守株】
《切り株を見守り。》
「守」は、見張る、番をするの意。
中国の訳本は、「守候在樹樁旁辺」(邵増樺『韓非子今註今訳』)、「守在樹樁旁辺」(張覚『韓非子全訳』)などと解している。
これだと切り株のそばで番をする、あるいは待ち受けるの意味になり、「株に守る」と読むことになる。

(5)【釈其耒而守株】
《自分のすきを放り出して切り株を見守り。》
順接の「而」についてもう一度触れておく。
ここでは「釈其耒」と「守株」を時間列でつなぐ働きだ。
順接なので「テ」をつけて「釈てテ」と読む。

(6)【冀復得兎】
《また兎を手に入れることを望んだ。》
「冀」は、望む、期待するの意。

「復」は、また、もう一度、かさねての意の副詞。
同じ動作や状況が繰り返される意味を表す。

(7)【兎不可復得】
《兎は二度と手に入れることができず》
「不」は述語の前に置かれて、動作や状態を否定する副詞。
「~しない」「~でない」などと訳すが、働きとしては「しないこととして~する」のように連用修飾しているのである。

「可」は助動詞。
通常、後に動詞A(ここでは「得」)を賓語にとって「可A」の形で、ここでは「Aすることができる」という可能の意味を表す。

※助動詞…動詞または「動詞+名詞」を賓語にとり、謂語動詞に意味を添える語。中国で能願動詞とも呼ばれる通り、もとは動詞でその働きが虚化(=薄らぐ)したもの。「~できる」(可能)、「~を望む・~でありたい」(願望)などの意味を表すものが助動詞に分類された。現在ではこれに受身や当然・義務などの意味をもつ語も加えて助動詞とみなされている。

この句はいわゆる部分否定の形。
ここでは副詞「不」が、「もう一度」の意の副詞「復」が含まれる謂語「可復得」を修飾し否定する。
すなわち「二度得られること」のみを否定して、得られること自体を否定してはいないので、「二度と(は)得られない」「もう得られない」という部分否定を表すことになるのだ。

なお、「不復A。」の形は、よく「一度目はAしたが、二度目はAしない。」の意だと説かれるが、一度目がない例もあるので注意が必要。
たとえば、

a.黄鶴一去不復返。(崔顥「黄鶴楼」)
 ▼黄鶴一たび去りて復た返らず。
 ▽黄鶴は一度飛び去り二度と帰らない。

b.壮士一去兮不復還。(『史記』刺客列伝)
 ▼壮士一たび去りて復た還らず。
 ▽壮士は一度去り二度と帰らない。

c.刑者不可復属。(『史記』孝文本紀)
 ▼刑せらるる者復た属すべからず。
 ▽肉刑を受けた者は二度と元の体に戻ることはできない。

d.帝重信於外国、故不復更人。(『西京雑記』巻二)
 ▼帝信を外国に重んず、故に復た人を更(か)へず。
 ▽皇帝は外国に対して信義を重んじていたので、もう人を代えなかった。

これらの例はいずれも、「一度目は~した」わけではない。

そもそも「不復A」は、再現の否定を表すわけだが、そこから転じて、「事実が発生してからは、それっきり元のようにはならない」ことをも表すようになったものである。
その場合も日本語の「二度とAしない」「もうAしない」という訳でカバーできる。
なお、この一度目がない用法を切り離して、部分否定ではなく「強い否定」と説明している参考書もあるが、「決してAしない」という意味ではないのであって、この場合も別に強い否定ではない。

(8)【身為宋国笑】
《(その)身は宋の国の笑いものとなった。》
「A為BC。」(A BノCト為ル。)で、「AはBのCとなる。」の意で、結果的に「AがBにCされる。」という受身を表すことになる。
構造的には「AはBのCとなる(である)。」という意味の判断文で、「AハBノ為(ため)ニCセラル。」(本文では「身は宋国の為に笑はる」)と読むのは語義的には正しくない。
この構文の「為」は「~ために」という意味を表す去声の語ではなく、「~となる、~となす、~である」の意の平声と考えられるからだ。

楊伯峻、何楽士の『古汉语语法及其发展』(语文出版社2001)によれば、この形は、春秋戦国時代の変わりめ頃から現れ、戦国時代末には「為」を用いて受身を表す用例の大半がこの形になったという。
この形式が、やがて「A為B所C。」(A BノCスル所ト為ル。)の形式の誕生へとつながっていくのである。
したがって、たとえば「身為宋国笑。」が「身為宋国所笑。」(身は宋国の笑ふ所と為る。) の「所」を省略した形だなどと考えたり述べたりするのは妥当ではない。
成立の順序が逆だ。

さて、この「A為BC。」の形については、

a.勝之不武、弗勝為笑。(『春秋左氏伝』襄公十年)
 ▼之に勝つも武ならず、勝たざれば笑ひと為る。
 ▽勝っても武とはいえず、勝たないと笑いものになる。

b.戦而不克、為諸侯笑。(『春秋左氏伝』襄公十年)
 ▼戦ひて克たざれば、諸侯の笑ひと為る。
 ▽戦って勝たないと、諸侯の笑いものになる。

c.身死国亡、為天下大戮。(『荀子』王霸)
 ▼身死し国亡び、天下の大戮と為る。
 ▽自身は死に国は滅び、天下の大恥さらしになる。

d.身死国亡、為天下之大僇。(『荀子』正論)
 ▼身死し国亡び、天下の大僇と為る。
 ▽自身は死に国は滅び、天下の大恥さらしになる。

aのように、行為主Bが示されないこともある。
また、cの「大戮」のように、Cが定語(連体修飾語のこと。ここでは「大」)を伴うこともある。
cとdは同じ意味だが、dのように結構助詞「之」を置いて「A為B之C」(A BノCト為ル)の形をとることもあります。
このことはBとCの結びつきが強いことを示し、「Bノ為ニ」と読むことの不自然を示すものではないか。
ところが、一方、『詞詮』、『助字弁略』、『古書虚字集釈』等の虚詞について述べた中国の書では、「為」を介詞とし、「被」の意としている。
中国ではどうもこの用法の「為」を動詞ではなくて介詞と理解しているようだ。
このあたりのことについては、『漢文の語法』(西田太一郎)に詳しく述べられている。

※虚詞…実詞に対するもの。単独で文の成分または独立成分となりうるのが実詞。単独では文の成分となることができず、語法上の働きをするだけのものが虚詞である。
※介詞…前置詞のこと。名詞や代詞を目的語として伴って介詞句を構成し連用修飾句として動詞(句)を修飾する語。場所や時間、対象、目的など、さまざまな意味を表す虚詞のひとつ。「於」「于」「乎」や「以」「与」などの介詞が代表的。

■補説
「株を守る」という故事成語の出典となった作品。
韓非はこの寓話に先立って、太古の時代までさかのぼり、いわゆる聖王と呼ばれた統治者たちが、その時々の時代に応じた施策をもって新時代を切り開いたことを順を追って語る。

大昔人々が鳥獣の害に苦しめられた時代には、聖人が木を組んで家を作り害を防ぐ工夫をして民びとを喜ばせた。
民が木の実、草の実、貝類などを食べて腹をこわしていたら、聖人が現れて火の使い方を教え食べ物を加熱して食べることを教えた。

次の時代、天下に大洪水が起これば、鯀や禹が治水工事を行って対処した。
さらに夏王朝末、殷王朝末にそれぞれ桀王や紂王が暴政を行ったので、湯王や武王がこれを征伐して天下を平定した。
いくらその時代には意味のあった政策でも、今それをそのまま再現して行えば新たな聖人はきっと時代錯誤だと笑うだろう。
だから新たな聖人は昔のやり方をただまねるだけではなくて、必ず今という時代を見極めてその時代にあった政策を考えるのであると。

たまたま兎が切り株にぶつかって死んだ、労せずして兎が手に入った、だからといってまた同じことが起こると思い込んで働きもせずに切り株を見守る愚かな宋人。
それはまさに昔徳治によって世が治まったから、今もそれを踏襲しようとする儒家たちそのものである。
時代はまさに血で血を洗う戦国末期、周公が周王朝をうちたてた時代からはすでに800年も経っており、世のありさまもすっかり様変わりしている。
それなのに古いしくみや考え方をそのまま今の時代に適応させようという主張がどれほど馬鹿げて見えることか。
宋人が二度と兎を得られずに国中の笑いものになったように、新しい時代を新しい時代としてきちんと見極めることのできる人には、儒家の主張はお笑いぐさでしかないのである。

ちなみに秦の始皇帝は、韓非の「孤憤・五蠹」の書を見て、「嗟乎、寡人此の人を見、之と游ぶを得ば、死すとも恨みず。(ああ、私はこの著者に会いこの人と付き合えたら、死んでも心残りはない。)」と嘆じたという。
この「五蠹」こそ、「守株」の寓話が載せられた書そのものである。



■参考文献

〔日本〕
・太田方『韓非子翼毳』(冨山房「漢文大系8」)
・竹内輝夫『新釈漢文大系 韓非子』(明治書院)
・小野沢精一『全釈漢文大系 韓非子』(集英社)
・若林力『漢文名作選 思想』(大修館書店)
・西川靖二『鑑賞中国の古典 荀子・韓非子』(角川書店)
・工藤潔『研究資料漢文学 思想2』(明治書院)
・古川末喜『漢詩・漢文解釈講座 故事・寓話1 故事成語』(昌平社)
・本田済『筑摩叢書・韓非子』(筑摩書房)

〔中国〕
・王先慎『新編諸子集成 韓非子集解』(中華書局)
・陳奇猷『韓非子新校注』(上海古籍出版社)
・陳奇猷『韓非子集釈』(上海人民出版社)
・邵増樺『韓非子今註今訳』(台湾商務印書館)
・張覚『韓非子全訳』(貴州人民出版社)
・陳秉才『韓非子』(中華書局)