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■本文
(1)楚人有鬻楯与矛者。(2)誉之曰、「(3)吾楯之堅、(4)莫能陥也。」(5)又誉其矛曰、「(6)吾矛之利、(7)於物無不陥也。」(8)或曰、「(9)以子之矛陥子之楯、(10)何如。」(11)其人弗能応也。
■出典
『韓非子』難一(底本:冨山房「漢文大系8 韓非子翼毳」)
■書き下し文
楚人(そひと)に楯(たて)と矛(ほこ)とを鬻(ひさ)ぐ者有り。之を誉(ほ)めて曰はく、「吾が楯の堅きこと、能く陥(とほ)す莫きなり。」と。又た其の矛を誉めて曰はく、「吾が矛の利(と)きこと、物に於て陥さざる無きなり。」と。或(ある)ひと曰はく、「子(し)の矛を以て子の楯を陥さば、何如(いかん)。」と。其の人応(こた)ふる能(あた)はざるなり。
■口語訳
楚の国の人に盾とほこを売るものがいた。これをほめて言うには、「私の盾の堅いことは、何ものも突き通すことはできないのだ。」と。さらにそのほこを誉めて言うには、「私のほこの鋭いことは、物に対して突き通さないことがないのだ(どんなものでも突き通すのだ)。」と。あるひとが言うには、「あなたのほこであなたの盾を突き通せば、どうか。」と。その人は答えられなかったのである。
■注
(1)【楚人】
《楚の国のひと》
「楚」は戦国時代の国の名、戦国の七雄の一つで大国である。
長江中流域に勢力を張り、春秋時代中頃から周辺の小国を併呑して勢力を拡大し、大国の斉や晋、秦と覇権を争った。
「楚人」は「そひと」と読み、「そじん」とは読まない。
漢文訓読の慣例として、国名の下の「人」は訓読みする習慣があるからだ。
この話で楯と矛を売る商人が楚人であるのは、楚が中原(古代中国の中央部)の諸国から見て南の辺境の地にある未開の国として卑しめられた存在だったからで、「守株」の宋人と同じく愚か者の喩えに用いられるのはそうした意識の表れであろう。
なお、『韓非子』難勢篇にも矛盾の話が出てくるが、そこでは「楚人」ではなく、ただ「人」となっている。
(1)【鬻】
《売る》
『全釈漢文大系』によれば、この話はおそらく韓非の祖国である韓の国で行われたもので、韓が東西南北の中心にあって、商業がその頃から盛んで商人の勢力が強かったため、『韓非子』に商業説話が多いのはそれと関係があるのだろうとしている。
(1)【楯与矛】
《盾とほこ》
「楯」は「盾」に通じ、戦闘時に敵から身を守るための板状の防具である。
『中国古代兵器図説』(劉秋霖等編)によると、戦国時代の盾は木と皮を主要な材料として作られ、上部が左右対称な円形で、表面には漆が塗られていた。
また王兆春の『中国古代兵器』によれば、鉄製の盾が使用されるようになったのは秦漢の時代からだという。
この話の場合、戦国末期だから微妙なところではあるが、おそらく鉄などの金属製ではなく、木と皮で作られたものであったろうと思われる。
「矛」は、長い柄の武器で、先端に青銅製の両刃の剣を備える。
時代は本文よりさかのぼるが、1983年に湖北省江陵県の馬山5号墓で出土した呉王夫差の銅矛は、表面に美しい装飾と銘文が彫られていた。
『中国古代兵器』によれば、戦国時代晩期の軍隊は、すでに非常に鋭利な矛を用い始めており、人体を貫くほどであったという。
「与」は接続詞で語や句ABの間に置かれて「A与B」(AトBと)の形で「AとB」という並列の関係を表す。
a.魏与趙攻韓。(『史記』孫呉列伝)
▼魏と趙と韓を攻む。
▽魏の国と趙の国が韓の国を攻めた。
b.知可以戦与不可以戦者、勝。(『孫子』謀攻)
▼以て戦ふべきと以て戦ふべからざるとを知る者は、勝つ。
▽戦える状況と戦えない状況を理解するものは、勝つ。
c.戎人不達於五音与五味。(『呂氏春秋』不苟)
▼戎人は五音と五味とに達せず。
▽戎の人は音楽と美味に達していない(音楽と美味の楽しみを知らない。)
d.凡人之所以生者、衣与食也。(『淮南子』泰族訓)
▼凡そ人の生くる所以の者は、衣と食となり。
▽およそ人が生きていくより所は、衣と食である。
aは、二つの語「魏」と「趙」が並列の関係にあることを示すのに対し、bは、二つの句「可以戦」「不可以戦」が並列の関係になっている。
このように、接続詞「与」は語だけでなく句についても並列の関係であることを表すことができる。
また、aが「魏与趙」が主語の位置にあるのに対し、本文「楯与矛」やbは述語に対して目的語の位置にある。
cは前置詞構造「於五音与五味」の形をとって、述部「不達」の後に置かれている。
dは「衣与食」が述語になっている。
このように、接続詞「与」によって並列でつながれた句は、主語や述語、目的語の位置にも置かれたり、前置詞構造に用いられて述語に後置されることもあるので注意が必要だ。
ちなみに、「~と(ともに)」という意味を表すいわゆる従属の用法も「与」にはあるが、この接続詞としての用法とは異なり、前置詞の用法になる。
(1)【楚人有鬻楯与矛者】
《楚の国の人に盾とほこを売るものがいた》
存在文の形式。
人(生物)や物の存在を表す文を存在文という。
「A有B。」(主語A+述語「有」+目的語B)の形をとり、主語Aは目的語Bの存在する場所や範囲、対象を表す。
したがって存在文では、Bが意味上の主語となる。
「者」は、ここでは、「鬻楯与矛」(盾とほこを売る)という「述語+目的語」の構造の後に置かれて、「盾とほこを売るもの」という名詞句を作る助詞。
ここでは人を表すが、必ずそうであるとは限らない。
この文の構造は、
主語(楚人)+述語(有)+目的語【述語(鬻)+目的語(楯与矛)+助詞(者)】
となり、目的語「鬻楯与矛者」が意味上の主語で、その存在する対象が「楚人」になる。
(2)【誉之】
《これをほめて》
「誉」は、ほめる、称える、賛美するの意の動詞。
「之」は指示代詞で、楯を指す。
下文に「又誉其矛」とあるので、ここでは売り物の矛と楯両方ではなく、まず楯を誉めたと考える方が自然であろう。
(3)【吾楯之堅】
《私の盾の堅いこと》
「吾」は、わたしの意。
『王力古漢語字典』によれば、「吾・我」と「余・予」は同義だが、ただ「吾」は動詞の後に置かれて目的語となることはできないという違いがあるようだ。
宋の乾道本では「吾」の字がない。
王先慎は下文の「吾矛之利」と「吾楯之堅」は対応しており、また「以子之矛陥子之楯」の2つの「子」とこの2つの「吾」も対応しているとして、乾道本が「吾」の字を脱したものと考える(『韓非子集解』)。
「之」は、本来主述関係にある主語Aと述語Bの間に置いて、「A之B」(AがBすること)という句を作る働きの助詞。
「吾楯堅」だと「私の盾は堅い」という主述文だが、「之」が置かれることで、主述関係の独立性が失われて、「私の盾の堅いこと」という意味の句になり、文の主語になる。
なお、この主語「吾楯之堅」(私の盾の堅いこと)は、後の述語「莫能陥也」(何ものも突き通せないのだ)に対して主題を示しているので、主題主語という。
ちなみに、主語は述語との関係から4種類に文類される。
1.施事主語(述語の動作や行為を行う主体)
(例)秦王飲酒。(『史記』廉頗藺相如列伝)
▼秦王酒を飲む。
▽秦王が酒を飲む。
→施事主語(秦王)+述語(飲)+目的語(酒)
主語(秦王)は、「飲む」という動作を行う主体である。
2.受事主語(述語の動作や行為を受ける主体)
(例)狡兎死、走狗烹。(『史記』越王句践世家)
▼狡兎死して、走狗煮らる。
▽ずるがしこい兎が死んで、よく走る猟犬は煮られる。
→施事主語(狡兎)+述語(死)、受事主語(走狗)+述語(烹)
前半部の主語(狡兎)は「死ぬ」という動作の主体なので施事主語だが、後半部の主語(走狗)は、「煮る」という動作を受ける主体なので受事主語である。
3.存在主語(存在や有無の対象や場所・範囲、またはそこに存在する主体)
(例)庖有肥肉、厩有肥馬。(『孟子』梁恵王上)
▼庖に肥肉有り、厩に肥馬有り。
▽くりやに肥えた肉があり、うまやに肥えた馬がいる。
→存在主語(庖)+述語(有)+目的語(肥肉)、存在主語(厩)+述語(有)+目的語(肥馬)
主語(庖)(厩)は、それぞれ「肥肉」「肥馬」が存在する場所・範囲を表す存在主語である。
このような文を存在文といい、意味上の主語は「肥肉」「肥馬」になる。
(例)孔子在陳。(『史記』陳杞世家)
▼孔子陳に在り。
▽孔子は陳の国にいた。
→存在主語(孔子)+述語(在)+目的語(陳)
主語(孔子)は「陳にいる」主体を表す存在主語である。
なお、ここで「陳」を目的語(場所目的語)としたが、補語とする考え方もある。
4.主題主語(述語が描写したり述べたり、判断したりする対象となる主題)
(例)晏子賢人也。(『説苑』奉使)
▼晏子は賢人なり。
▽晏子は賢人である。
→主題主語(晏子)+述語(賢人)+助詞(也)
「賢人」であると判断する対象となる主題が主語(晏子)である。
(例)易水寒。(『史記』刺客列伝)
▼易水寒し。
▽易水は寒い。(易水の水は冷たい。)
→主題主語(易水)+述語(寒)
「寒い」と描写する対象となる主題が主語(易水)である。
本文の主部「吾楯之堅」は、この主題主語になる。
(4)【莫能陥也】
《何ものも突き通すことはできないのだ》
「莫」は、事物や人物、場所を否定する指示代詞で、意味的にはいわば英語の“nothing”、“nobody”に相当するという。
述語(A)の前に置かれて、「莫A」(Aスルコト莫シ・Aスルモノ莫シ・Aスルトコロ莫シ)の形をとって、
・事物→ないものがAする=何ものもAしない
・人物→いない人がAする=誰もAしない
「莫」のような指示代詞の用法を無指という。
多くの場合、主題主語を前にとって、次の形をとる。
主題主語+述部【主語(莫)+述語】
(例)世莫知也。(『史記』封禅書)
▼世に知るもの莫きなり。
▽世の中に知るひとはいないのだ。
「世」(世の中については)が主題主語として示され、その述部に「いない人が知る=誰も知らない」という主述構造が置かれている。
本文も、「吾楯之堅」(私の盾の堅さについては)が主題主語として示され、その後に述部として「ないものが突き通すことができる」という主述構造をとり、この例と同じ形になる。
主題主語〔吾楯之堅〕+述部【主語(莫)+述部〔助動詞(能)+助動詞の目的語(陥)〕】+助詞(也)
なお、「能」は能力的に可能であることを表す助動詞で、後に助動詞の目的語を伴って、「~できる」という意味を表す。
「不能」の形をとった時のみ「能(あた)ハず」と読み、それ以外は「能(よ)ク」と読む。
「也」は、叙述文の文末に置いて、述べた内容を強めたり、その真実性を確認する働きの語気詞。
通常「~だ・である」と訳す。
(5)【又誉其矛曰】
《さらにそのほこを誉めて言うには》
「又」は、さらにの意の副詞。
上文の「誉之」(盾を誉めて)を受けて、誉める行為が重複または継続する意を表す。
「其」は自分のの意。盾とほこを売る者を指します。
(6)【吾矛之利】
《私のほこの鋭いこと》
「吾」「之」の意味、働きについては(3)【吾楯之堅】を参照のこと。
「利」は、鋭いの意の形容詞。
「鋭利」がこの意味の熟語である。
(7)【於物無不陥也】
《物に対して突き通さないことはないのだ》
この文の構造は、
前置詞句〔前置詞(於)+前置詞の目的語(物)〕+述部【〈副詞句〔無不〕〉+述語(陥)】+助詞(也)
「於」は、名詞の前に置かれて前置詞構造を作り、ここでは述語に対して、その対象を表す。
すなわち、「於物」は、物に対しての意。
(7)【無不陥也】
《突き通さないことがないのだ(どんなものでも突き通すのだ)》
「無不」について。「無」は「なシ」と読むが、実は存在や所有を否定する動詞である。
「存在しない」「もたない」と考えるとわかりやすいだろう。
「不」は、行為や状態を否定する副詞。
これらの否定を表す語が一つの句となって副詞句をつくり、二重否定すなわち強い肯定を表す働きとして述語を修飾すると中国では考えられているようだ。
したがって、「無不陥」は「どんなものでも突き通す」ぐらいの意味になる。
なお、「無不」のような副詞句が述語を修飾する形を二重否定の形という。
「也」は、語気詞。
(8)【或】
《あるひと》
不特定のひとを指す代詞。
ある個人や事物をこれと特定せずに指す場合と、前に人や事物を示してその範囲を限定する場合、また、広く一般に人や事物を指す場合がある。
a.或謂孔子曰、「子奚不為政治。」(『論語』為政)
▼或ひと孔子に謂ひて曰はく、「子(し)奚(なん)ぞ政を為さざる。」と。
▽あるひとが孔子に言ったことには、「あなたはなぜ政治をしないのか。」と。
b.宋人或得玉。(『春秋左氏伝』襄公十五年)
▼宋人或るひと玉を得(う)。
▽宋の国のあるひとが宝玉を手に入れた。
c.夫佳兵者不祥之器。物或悪之。(『老子』第三十一章)
▼夫れ佳兵は不祥の器なり。物或いは之を悪(にく)む。
▽そもそもすぐれた武器は不吉な道具である。(そのような)物はだれもがそれを嫌う。
aは、個人を特定せずに指している。
このような指示代詞の用法を虚指という。
本文の用法はこの虚指である。
bは、まず「宋人」と前に示され、「或」はその範囲内に限定された不特定の人を指す。
このような用法を分指という。
訓読では「宋人に玉を得るもの或(あ)り。」と読まれることもある。
cは、個人を限定するのでなく広く一般の人を指している。
このような用法を泛指という。
(9)【以子之矛陥子之楯】
《あなたのほこであなたの盾を突き通せば》
前置詞句(以子之矛)が述語(陥)を連用修飾する形。
すなわちこの文の構造は、
前置詞句〔前置詞(以)+前置詞の目的語(子之矛)〕+述語(矛)+目的語(子之楯)
となる。
前置詞句は述語構造の前に置かれた時は連用修飾句として述語を修飾するが、述語構造の後に置かれることもあり、述語に意味を補う。
したがってこの文は、次のように改めることができる。
・陥子之楯以子之矛、
▼子の楯を陥すに子の矛を以てすれば、
▽あなたの盾を突き通すのにあなたのほこですれば、(→あなたのほこであなたの盾を突き通せば、)
この場合、訓読上は「以」をサ変動詞「以テス」と読む。
前置詞句が述語構造の前にあっても後ろにあってもおおむね文意は変わらないので、語順に従って「A以B」(AスルニBヲ以テス」と読んだからといって、「AするのにBをもってする」とか「AするのにBをもちいる」と無理に訳す必要はなく、同様に「BでAする」と訳せばよい。
なお、この後置される前置詞句を補語と扱う説もある。
さて、「以」は「もつテ」と読むが、「持つて」の意ではなく、ここでは「~で」「~を用いて」という手段を表す前置詞である。
前置詞「以」にはさまざまな意味がある。
a.請以剣舞。(『史記』項羽本紀)
▼請ふ剣を以て舞はん。
▽どうか剣で舞わせてください。
b.(廉頗)以勇気聞於諸侯。(『史記』廉頗藺相如列伝)
▼(廉頗)勇気を以て諸侯に聞こゆ。
▽(廉頗は)勇気があることで諸侯に(名が)聞こえた。
c.以我酌油知之。(『帰田録』巻一)
▼我の油を酌むを以て之を知る。
▽私が油を酌むことに照らしてこれを理解した。
d.吾以捕蛇独存。(柳宗元「捕蛇者説」)
▼吾蛇を捕ふるを以て独り存す。
▽私は蛇を捕らえることのおかげでただ生き残っている。
e.以臣弑君、可謂仁乎。(『史記』伯夷列伝)
▼臣を以て君を弑す、仁と謂ふべけんや。
▽家臣でありながら(=家臣の身分で)主君を殺す。
f.具以沛公言報項王。(『史記』項羽本紀)
▼具(つぶさ)に沛公の言を以て項王に報ず。
▽すべて沛公のことばを項王に報告した。
g.安能以皓皓之白而蒙世俗之塵埃乎。(『楚辞』漁父)
▼安くんぞ皓皓(かうかう)の白きを以て世俗の塵埃(ぢんあい)を蒙(かうむ)らんや。
▽どうして真っ白な身に世俗の汚れを受けようか。(いや、受けはしない。)
h.文以五月五日生。(『史記』孟嘗君列伝)
▼文五月五日を以て生まる。
▽文(=後の孟嘗君)は五月五日に生まれた。
i.敵以東方来。(『墨子』迎敵祠)
▼敵東方を以て来たる。
▽敵が東方から来る。
j.中国之人以億計。(『史記』●生陸賈列傳)●は「麗」+おおざと
▼中国の人は億を以て数ふ。
▽中国の人工は億単位で数える。
aは、動作を行う時の道具や手段を表す。
「~を用いて」「~で」と訳す。
bは、よりどころを表す。
「~で」「~ということで」などと訳す。
諸侯に名が聞こえたよりどころは勇気があることです。
cは、根拠や観点を表す。
「~によって」「~にもとづいて」「~に照らして」などと訳す。
油売りとしてこれまで油を酌み続けてきた経験から理解したという意味だ。
dは、原因や理由を表す。
「~で」「~を理由に」「~のおかげで」などと訳す。
村の隣人達が重税に死亡したり転居したりする中、蛇を捕らえる仕事のおかげで税が免除され生き残り得たのだ。
eは、身分や資格を表す。
「~で」「~という身分(資格)で」などと訳す。
fとgは、対象を表す。
「~を」または「~に」と訳す。
fは項王に報告した内容が沛公のことばであること、すなわち「沛公のことばを」の意だ。
gは、世俗の汚れを受ける対象が真っ白で汚れのない自分自身であることを表す。
このgについては、「真っ白な身で」と解して、eに近い意味と考えることもできるだろう。
hは、時を表す。
「~に」「~する時に」などと訳す。
生まれた時が五月五日だ。
iは、場所や起点を表す。
「~で」「~より・から」と訳す。
「東方を以て」と読んでいるが、むしろ「東方より」と読む方が適切だろう。
jは、数える単位を表す。
「~の単位で」と訳す。
なお、このjの用法については、西田太一郎が『漢文の語法』で、単位で数えるという解釈は誤解であるとし、「~という数である」の意だと述べている。
それに従えば、gは「億という数である」の意になるが、いかがであろうか。
『古代漢語虚詞詞典』(中国社会科学院語言研究所古代漢語研究室編)や『漢語文法論(古代編)』(牛島徳次)などは、数える単位と説明している。
(10)【何如】
《どうか》
「何如」は、動詞「如」と疑問代詞「何」から成り、状況や比較を問いかける時に用いる。
「何若」も同様の意味がある。
ここでは「あなたのほこであなたの盾を突き通せば」という仮定に対して、「どうなるか?」と問いかけているのだ。
a.貧而無諂、富而無驕、何如。(『論語』学而)
▼貧しくして諂(へつら)ふ無く、富みて驕(おご)る無きは、何如(いかん)。
▽貧しくてもこびへつらわず、富んでも驕り高ぶらないのは、どうか。
b.古之君子、何如則仕。(『孟子』告子下)
▼古(いにしへ)の君子は、何如(いか)なれば則ち仕ふる。
▽むかしの有徳者は、どのようであれば仕えるのか。
c.孔子何如人哉。(『史記』孔子世家)
▼孔子は何如(いか)なる人ぞや。
▽孔子はどのような人か。
d.王孝伯問王大、「阮籍何如司馬相如。」(『世説新語』任誕)
▼王孝伯王大に問ふ、「阮籍は司馬相如に何如(いかん)。」と。
▽王孝伯が王大に問うことには、「阮籍は司馬相如と比べてどうか。」と。
aは、「何如」が述語で用いられ、「(~は)、どうであるか。」という意味を表している。
この場合は「いかん。」と訓読する。
bは、条件節に用いられ「則」「斯」などの接続詞を伴って、「どうであれば」という意味を表している。
「いかナレバ」と読む。
cは、名詞の前に置かれて連体修飾語として用いられている。
「何如人」(いかなるひと)や「何如時」(いかなるとき)などの用例があり、どんな人、どんな時などと訳す。
この場合は「いかナル」と読む。
dは、「A何如B」(AハBニ何如)の形で、二人の人物を比較し、「AはBと比べてどうか」と訳す。
人物以外にも二つの事情や状況を比べることもある。
この用法は古くには見られず六朝時代頃から盛んになった。
「いかん」と読む。
「何如」や「何若」は、dの用法を除いては状態を問うのがその働きだが、まれに次のような例がある。
e.及里克将殺奚斉、先告荀息曰、「三怨将作、秦晋輔之。子将何如。」荀息曰、「将死之。」(『春秋左氏伝』僖公九年)
▼里克将に奚斉を殺さんとし、先に荀息に告げて曰はく、「三怨将に作(おこ)り、秦晋之を輔(たす)けんとす。子将に何如せんとする。」と。荀息曰はく、「将に之に死せんとす。」と。
▽里克が奚斉を殺そうとし、先に(奚斉の後見人の)荀息に告げたことには、「奚斉を怨む三公子(の手の者が)乱を起こそうとし、秦と晋の国が援助することになっている。あなたはどうするおつもりか。」と。荀息が言うには、「これに殉じるつもりだ。」と。
この例の場合、「何如」は明らかに「どうする」という意味で用いられており「いかんセン」と読まざるを得ない。
このような例は他にもいくつか見られるが、このことについて、西田太一郎は『漢文の語法』において用例を詳細に分析した上で、「何如と如何との混用が許されたこともあるかも知れないが、書写上の誤りも多いと思われる。そして原則的に言えば、何如と如何(奈何)とは使用上の相違があった。」と述べている。
いずれにしても、「何如」が手段を問うこともあるということには注意しなければならない。
(11)【其人】
《その人》
「鬻楯与矛者」(盾とほこを得る人)を指す。
「其」は、指示代詞。
(11)【其人弗能応也】
《その人は答えられなかったのである》
「弗」は、否定を表す副詞で、「ず」と訓読する。
ここでは可能を表す助動詞「能」を連用修飾して不可能を表している。
「応」は、応対する、答えるの意の動詞。
「也」は、語気詞で前出、(4)【莫能陥也】を参照のこと。
なお、この文の構造は次の通り。
主語(其人)+述部【連用修飾語〈副詞(弗)〉+助動詞(能)+助動詞の目的語(応)】+助詞(也)
何ものも突き通すことはできない盾を、どんなものでも突き通すほこで突いたらどうなるのかと、文字通り矛盾を突かれて答えようがなくなったのである。
■補説
前後のつじつまが合わないことを矛盾というが、その「矛盾」という故事成語の出典となった話である。
韓非は説く。儒者が言う、「太古の昔、歴山というところに住まう農民は畑地の境界とする畦を互いに侵し合っていたが、舜がそこへ行き共に耕すと、まる一年で畦道は正しくなった。黄河のほとりに住まう漁民は漁場をめぐって争いを起こしていたが、舜がそこで共に漁をすると、一年後には若き者たちが年長者に漁場を譲るようになった。また、東夷の陶工たちが作る器はいびつで粗悪なものだったが、舜が行って共に器を作ると、一年にしてしっかりして堅い器になった。孔子はそんな舜の徳を、『舜はまことに仁者ではないか、自ら足を運び苦労して民の誤りを正し、民はそれに従った。』と言って讃えた。」後に尭帝の禅譲を受けて善政を行った舜、そしてその土台となる平和な世の中を実現した尭帝を理想とし徳治の手本とするのは儒家の従来の主張であり、おそらく戦国時代末期も広く世に認められていた考え方であったろう。
しかし、韓非は論を展開する。ある人が儒者に尋ねた、「この時、尭はどこにいたのかね。」儒者は答えた、「尭は天子であった。」「だとすれば、孔子が尭を聖人とするのはどうだかね。聖人が位についていれば、世の中にあらゆる悪事はないはず。畦や漁場の争い、いびつな陶器など当然ないはずだから、舜だって徳の感化のしようがない。逆にもしそれが事実で舜が民の誤りを正したというのなら、尭の失政によるということになる。舜を賢人だとするなら尭の明察は否定せねばならぬし、尭を聖人だとするなら舜の徳化は否定しなければならぬ。同時にどちらも認めるなんて無理だよ。」この後「矛盾」の喩え話になるのだ。「そもそも突き通すことのできない盾と、どんなものでも突き通すほことは両立し得ないものだ。今、尭と舜を二人とも誉め称えるなんて、この矛盾の話そのものだよ。」
旧来の勢力とはいえ、まだまだ儒家の徳治主義は根強い力をもっていた。新時代を迎えようとしていた戦国時代末期、絶対法治を説く韓非にとって儒家に対する批判は必須のものだったが、これほど鮮やかな切り込みは、韓非自身の類いまれなる表現の豊さによると言えるだろう。「守株」の寓話と同様、思わず読み手をうならせる切れ味の鋭さを感じる。
■参考文献
〔日本〕
・太田方『韓非子翼毳』(冨山房「漢文大系8」)
・竹内輝夫『新釈漢文大系 韓非子』(明治書院)
・小野沢精一『全釈漢文大系 韓非子』(集英社)
・若林力『漢文名作選 思想』(大修館書店)
・西川靖二『鑑賞中国の古典 荀子・韓非子』(角川書店)
・工藤潔『研究資料漢文学 思想2』(明治書院)
・古川末喜『漢詩・漢文解釈講座 故事・寓話1 故事成語』(昌平社)
・本田済『筑摩叢書・韓非子』(筑摩書房)
〔中国〕
・王先慎『新編諸子集成 韓非子集解』(中華書局)
・陳奇猷『韓非子新校注』(上海古籍出版社)
・陳奇猷『韓非子集釈』(上海人民出版社)
・邵増樺『韓非子今註今訳』(台湾商務印書館)
・張覚『韓非子全訳』(貴州人民出版社)
・陳秉才『韓非子』(中華書局)
〔その他〕
・劉秋霖等『中国古代兵器図説』(天津古籍出版社)
・王兆春『中国古代兵器』(商務印書館)
等